2017年7月5日水曜日

追悼 室野井洋子

7月3日、室野井洋子さん逝去。
室野井さんで最初に思い出すのは、1995年、稽古場総出でソウルで開催された「韓日ダンスフェスティバル」に出かけたことだ。当時の日誌を引っ張り出してきて下に再掲する。固有名詞いっぱい出てくるけれど、そのまま載せてしまいます。

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韓国公演日誌  -  韓日ダンスフェスティバル 1995

【10月23日】
5時 起床。6時20分 榎田君が迎えに来てくれる。シビックの背には稽古場の戸板がくくりつけられている。渋滞には全くひっかからず成田着8時。市内で時間をつぶし、9時成田空港到着。10時半 ユナイテッド航空の窓口で手続き開始。予想通り、戸板・毛氈の大物、重い粘土の手続きに手間取る。11時半、超過料金なしで手続き完了。12時50分 ユナイティッド航空で成田発。15時15分 ソウル金浦空港着。17時 受け入れ側の用意してくれた車で、宿泊先のコグン(古宮)ホテルへ。18時 ホテル近くの、韓式食堂で日本側公演者・スタッフ、韓国側スタッフで夕食会。20時20分 地下鉄誠信女大入口で十年来の友人である李哲旭氏と落ち合う。在仏20年の老シェフ(元韓国空軍パイロット)の経営する小さなフランス料理店で会食。ホテル帰着22時半。

【10月24日】
10時半 ホテル発。地下鉄、恵化駅のそばにある会場の文芸会館へ。ホテルから徒歩で15分。打ち合わせ開始。13時30分 初日は、打ち合わせと場当たりだけの予定が、突然、通しのリハーサルに変更される。全員、消耗感に打ちひしがれる。レンガづくりの空間がすべてを冲にしてしまう。15時 李兄妹と合流。学生街の小さな料理店で昼食。16時 森・室野井は会場に戻り稽古、新井・榎田・角南はいったんホテルに戻った後、松井君を迎えにプラザホテルへ向かうことにする。18時 松井くんと合流。南大門市場へ。20時 恵化へ戻り夕食。李兄妹と合流するが、消耗感がひどく、翌日、公演会場で再度会うことにし、ホテルに戻る

【10月25日】公演当日
10時 松井君と2人で朝食。10時半 文芸会館前で李文昌先生と会う。氏の事務所に行く。11時 文芸会館で準備、リハーサル。前日とは打って変わり、メリハリが出た。これなら本番も大丈夫。16時半 午後の部公演。やや固い印象はあるが上出来。日本側の最初の公演者ということで、森・室野井は、テレビ各局の取材を受ける。19時半 夜の部公演。午後の部より、透明感あり。21時半 公演終了後、片づけ。22時 角南以外は初日出演者の打ち上げへ、角南は李哲旭氏に見つけてもらった稽古場応援団(小須田・橋・早川他)との打ち上げ会場へ。23時半 出演者組到着。24時 ホテルへ戻り、打ち上げ2次会 就寝4時。

【10月26日】
12時 文芸会館から荷物の搬出。李哲旭氏が頼んでくれていたはずのトラックが到着せず、流しのトラックに頼み込み、荷物を空港まで運ぶ。手続きは問題なし。17時 ホテル着。19時半 文芸会館で夜の部の公演をみる。

【10月27日】
9時 ホテル発。東大門市場へ。12時 語学研究院に河正子女史を訪ねる。歳とってないことに驚く。肩の力が以前より抜けて暖かみが出てきている。おそるべし、孫の力。14時 景福宮で李哲旭氏が森陽子さんの写真を撮る。ミンピ暗殺をテーマにしたゲリラ公演を覗く。15時半 松井・森・角南は明洞へ。ロッテ百貨店免税店。ロッテホテルのスカイカフェテリアで一服。19時 文芸会館に戻り、最終日の公演を観、シンポジウム参加。土方巽夫人である元藤氏の講演。22時 公演終了。新村で打ち上げ。午前2時にお開き ホテル着3時。就寝4時。

【10月28日】
9時 起床。午前便で帰る森さんを見送る。11時 室野井・松井・角南の3人で明洞へ。全州ピビンパの店で昼食。庶民的な店だが、学生食堂的なところでばかり食べていたから嬉しい。ユッケ、パチョン(お好み焼き)、焼肉、石鍋ピビンパ。14時 リムジンバスで空港へ。17時 金浦空港発。成田着、 19時半。榎田君が出迎えてくれる。高速が渋滞してるとのことなので夕食をとったのち帰途につく。あざみ野着 24時ちょうど。

(初出 あざみ野通信1995.11)