2017年12月30日土曜日

12月の読書

米原万里* KAWAIDE夢ムック 2017
芸人と俳人* 又吉直樹x堀本裕樹 集英社 2015
「日本の伝統」の正体* 藤井青銅 柏書房 2017
発酵菌ですぐできるおいしい自由研究* 小倉ヒラク あかね書房 2106
語る兜太-わが俳句人生* 金子兜太・黒田杏子 岩波書店 2014
いま、兜太は* 金子兜太・青木健 岩波書店 2016
寂しい生活 稲垣えみ子 東洋経済新報社 2017

今年の発酵三部作 どれもよかった
 一汁一菜でよいという提案 土井善晴 グラフィック社 2016
 あなたの体は9割が細菌  アランナ・コリン 河出書房新社 2016
 発酵文化人類学      小倉ヒラク 木楽舎 2017

2017年12月28日木曜日

入力減

そうそう、
今年は入力が減った一年でもあった

まず、食べる量が減った
お盆過ぎ、急にものが食べられなくなり、
えっ、とうとうオレも胃がん?と連想してしまったのは、
父も妻も死亡診断書にそう書かれていたせい
なんだ食べなくてもいいんだ、と気づくまでひと月かかった
食いものの嗜好も変化して、肉いらない、豆腐と納豆と野菜があればいい
そんな風に変わってしまった
えっ、ベジタリアンになっちゃうのオレ、みたいな感じ

読書量も減った
活字を追いかける集中力がなくなった
耳も遠くなり、ダン先生の講義が聞き取れなくなってきた
危機感を覚えないわけではないが、
このまま人の話が聴こえなくなってしまったら「もう無敵だな」とも思う
でも、不便

動く範囲も狭くなった
毎月の石川行き、オフ毎の東京行きはルーティンになってるからさほど苦痛ではない
ただ、普段の生活範囲は随分と狭まった
観光客気分が抜けたというか、京都人になってきたというべきか
でも、この好奇心の低下というのは、いかんですね
そういうときには、なぜかよそから人が訪ねてきて、一緒に出かけることになる
ありがたいことです

娑婆

今年一年をひとことで言いあらわせば
娑婆に帰ってきた、
ということに尽きる

じゃあ、これまでどこに行ってたんだ?
という話になるのだけれど、
きっと、娑婆じゃないどっかに行ってたんだろう

娑婆という字、両方に「女」がいる
せうそこ女子チームにはほんと助けられた
娑婆に帰ってくるには女の人の力が必要だった

娑婆じゃないどっかに行きっぱなしでいるのも悪くない
そう思っていたのに、娑婆で生きろと引き戻された
そんなふうに感じている年の暮れです

2017年12月20日水曜日

布あそび

なぜか先送りにしていた来年のカレンダー購入
東京から帰ってきたら、「布あそび」と名付けられた立派なカレンダーが届いていた
企画・編集・デザインは、せうそこチーム三人組
なんて有能な人たち
そういえば、この夏、古布コレクション・カレンダーの話を聞いていたことを思い出した
熊谷はるさんという、画家熊谷守一のご長男のお嫁さんに当たる方が集めた古布の写真が潤沢に使われている
これでやっと来年のことを考えられそうだ


2017年12月3日日曜日

韓国で撮ってもらった写真を娘に送ったら、
「おじいちゃんに似てきたね」という返信が届いた
そうなのだ、なんか急にオヤジの風貌に似てきたと、自分でも思う
出かけた時、ショーウインドウに映る自分の姿が、オヤジそっくりなことに驚く
似てきたのは風貌だけではない
書斎のテーブルの乱雑さといったものまで似てきている
オヤジが座っていた津山の家の居間や江戸川の居室の惨状と同じものが再現されつつある

父の喪は一年で明けた
遺句集を編んだら、すっかり気が済んだ
妻の喪が明けるには三年かかった
せうそこの会でみとりについて話し、それが印刷物になって戻ってきたら、
前に進むしかない、という覚悟が生まれた
喪が明けるとは、忘れてしまうことではなく、
逝ったものたちとの記憶を忘れるほどに同化してしまうことなのだ

今年も、というべきか、何人もの友人知人たちがなくなっていった
つまり、縁の遠近はあるにせよ、僕らは、常に喪に服している

2017年12月2日土曜日

フロンターレ優勝!

川崎フロンターレがJ1で優勝
こんな嬉しいことはない
嬉しいというより安堵したという方がちかい

等々力競技場にはじめて足を踏み入れたのは1999年秋
まだ川崎がJ2を戦っていたころで、対戦相手は札幌
その札幌を目当てに行ったのだった
場所もよく分からず、職場のあった二子玉川からタクシーに乗った

私の住んでいたのは東急田園都市線のあざみ野
サッカー観戦には便利な場所で、日産スタジアム、国立競技場、等々力競技場に
1時間以内にたどり着けた
最初のサッカー観戦は、国立だったか三ツ沢だったか定かではないが、ファンとして定期的に通いはじめたのは、横浜市民ということもあって日産スタジアムだった
ただこの日産スタジアム、W杯の決勝のために造られたハコで、やたらでかい
いちばん安い自由席だと、ビルの屋上からピッチを眺めているようで、選手は豆粒ほどにしかみえない
おまけにサッカー専用でなく、陸上競技用のトラックがピッチの周りを囲んでいる
最新鋭の巨大スクリーンと音響を備えていたが、サッカーそのものを観るには適さない

これに比べると、等々力はのんびりしていた
トラックで囲まれている分、ピッチは遠いが、二階席までしかない
J2の時代だったから、観客席にも余裕があり、1万人入ることはまれ
競技場に向かっていると、ちびっ子が自転車で駆けつけてくるわ、家族づれがのんびり歩いてくるわで、とにかくゆるい
サポーターも優しい
浦和や鹿島の応援風景に比べると小学生のようにみえた

それでも、川崎がJ1に上がり、力をつけてくるにつれ、サポーターの数も増えていった
印象に残っているのは、ジュニーニョ、我那覇、テセ、川島といった選手たち
もちろん中村憲剛
監督も石崎、関塚、風間と変わっていった
チームはだんだん中村憲剛を中心に回りはじめる
それでも、風間監督に代わった時の変化は大きかった
ナビスコ杯の決勝戦は2度国立に見に行ったが、結果は準優勝

関西に越してきて丸二年
サッカーとは縁遠くなってしまったが、川崎の動向はいつもチェックしてきた
小林悠をキャプテンにしたのは正解だったようで、線が一気に太くなった
小林悠は、なんと娘の通った高校のサッカー部員で同学年
2年続けて高校サッカー全国大会の応援に出かけていった記憶がある
まさか、あの小林選手がJ1得点王になるなんて

ともかく、嬉しくて安堵している

2017年11月30日木曜日

11月の読書

俳句の海に潜る* 中沢新一・小澤實 角川書店 2016
アベノミクスによろしく 明石順平 集英社インターナショナル 2017
不死身の特攻兵 鴻上尚史 講談社現代新書 2017
侵略する豚* 青沼陽一郎 小学館 2017
あなたの隣にいる孤独* 樋口有介 文藝春秋 2017

2017年11月26日日曜日

空白

月末だし、今のうちにと稽古受付書の整理をはじめたら、
(最近書類のミスが多い. 原本と控えを間違えて送ったり、送るべき会費を納入し忘れていたり)
月初めに仕事してない空白があることに気づいた
えっ、この空白は何?と、記憶を手繰ってみると、そうだ韓国に行ってたのだ
ということを思い出したーこの間、約10秒
たかだか、三週間前のことなのにもう忘れている
とうとう焼きが回ってきてしまったと解釈すべきなのか、
それとも、単に忙しすぎたと理解すべきなのか
韓国行って帰ってきたら、ブラジル組がやってきて、石川行って、おやこ稽古会があって、
今度は韓国でお世話になった若いお坊さんがまたやってきて...
たしかに濃厚なひと月だったことは確かだな
まだ、月末三日間の稽古が残っているのに...
来月も石川行って、翌週には東京行って、帰ってきたらブラジル女子一名やってきて、
年末には友人家族が「京の正月」めがけてやってくる
あわただしい師走になりそうだぞ、これは

お茶

もともとが「お茶のみ」である
それにしても、最近お茶の種類が増えているような
紅茶系だけでも、ニルギリ、アッサム、スパイスティー(tb)、マルコポーロのtb
日本茶だって、煎茶にほうじ茶、もちろん抹茶も冷凍庫に入ってる
ウーロン茶も2種類、ひとつは奈良の茶畑で摘んだものをウーロン茶に仕立てたもの
パリの西田さんがお土産で持ってきてくれたハーブティーもある
ハーブティーなんて、これまで飲んだことなかったけれど、意外に美味しい
最近加わったのが、韓国土産にいただいた五味子茶という名の液体のお茶
熱いお湯で薄めて飲んだら、ポッと暖かくなって、ん、アルコール飲料?と思ったくらい
発酵させているので、アルコール分あるかも、というお話だった

稽古前にお茶が出る稽古場はここくらいしかないかもしれないが、
まずお茶を出すというのが習慣になってしまった
稽古のあとで、またお茶、というパターンも多いから、ひとりひとりの滞在時間
というか滞留時間は長くなる
操法受けに来て2時間というのがあたりまえ
ちょっとユルいかな〜とは思うのだけれど、自分でも気に入っているからしょうがない
事情が許すかぎり続けることになりそうだ

そうそう、お茶殻とコーヒーかすを庭の土に戻すことをはじめたら、生ゴミが半分に減った


2017年11月23日木曜日

しぐれ

朝起きて陽がさしていると、おっ洗濯できると小躍りする
洗濯機を回し、いざ屋外に干そうとすると、一転どんよりした曇り空
曇天でも乾くだろうと、物干しにかける
晴れた思って、ちょっと遠出していると、途中でパラパラと降ってくる
あわてて家路を急ぐ
この時期の空模様を読むのはむずかしい
晴れたり曇ったり時雨れたり
洗濯物も出したり、取り入れたり、また出すの繰り返し
弁当忘れても傘忘れるな、という格言があることを教えてくれたのは金沢の人だが、
京都の時雨も、これに近いものがある

2017年11月20日月曜日

おやこ稽古会終了

おやこ稽古会無事終了
写真はかろうじて撮ったこの一枚だけ
後日、主催者にもらって追加します
テーマを「歩く」に絞ったのが奏功して、80分一息
要は、後ろ歩き→すり足という流れ
夜なべしてつくった35センチ角のダンボール、
新聞紙で作った「差し足・抜き足」用の円筒が大活躍
床の上に並べただけでその意図が通じてしまい、
指示を出す前に子どもたちは遊びはじめる
最後は坐法の紹介で〆
楽しかったという感想を子どもたちからもらえたのが一番嬉しい
お手伝い参加のMさん、Yさんにも感謝



写真追加しました ↓



2017年11月14日火曜日

なかなおり

乱雑に並んでいる玄関口の履物を揃えて立ち上がったら後頭部をしたたか靴箱の角にぶつけてしまった。「痛い!」っと叫び声をあげてぶつけたところに触れてみる。急処は外しているものの尖った角っこだったので痛い。そういえば、韓国に旅行してるときにも、頭ぶつけたな〜。まあ、立ち上がったときだから大丈夫だろうなどと考えているうちに、山形の紺野さんに教えてもらったあることを思い出した。ぶっつけたときには、ぶっつけた体のその場処を、ぶつけたものともう一度触れさせて仲直りさせるというもの。靴箱の角にぶつけた後頭部を正確に接触させると、実際なじんでくる。ぶつけたときの体勢を再現し、衝撃で停止した動きの続きをそこから再スタートさせるという意味で理にかなった言い伝えだ。それに「仲直り」という名称を与えるなんて、実に味わい深いではないか。

2017年11月13日月曜日

防寒着

順調に冬が近づいている
それとも立冬過ぎたからもう冬なのか
羽織だけでは寒い日も増えてくる
かといって、厚手のウールコートを着るほどでもない
そんな時に気楽に羽織れる軽いコートがほしい
ショールを纏っている女性もときたま見かけるが、あんな感じのもの
先日、暗くなって出かける用事があったので、ひざ掛けのウールを纏って出かけたのだが、
暖かくてよい
ただ、友人におばさんみたいだと言われてしまった
おばさんでも全然かまわないのだけれど、もうちょっとカッコいいものはないのだろうか
イメージとするとポンチョタイプ
いつだか、綿素材のポンチョを着てる人がいたので、尋ねてみたらsousouのものだという
試着させてもらったら、洋服の上に着るにはよいのだが、和服との相性はいまいちな感じ
いっそ、ひざ掛けの真ん中に切れ目を入れてポンチョにしちまおうかとも思うのだが、それもためらわれる
アイデア募集中です

2017年11月7日火曜日

留守

五日間留守にしていただけなのに埃が溜まっている
まず廊下から掃きはじめる
箒で掃いて、そのあともう一度掃除機をかける
稽古室に掃除機をかけ、その次に真ん中の広い部屋を掃きはじめる
障子の桟に埃が溜まっていたので、ハタキをかけ、さらに掃除機で吸いとる
台所と書斎を掃除し終わったら、もうお昼になっていた
全館一度に掃除するなんて、ひさしぶりのことだ
掃除すると随分部屋が広くなる

*****

四泊五日の韓国旅行
たくさん食べて、たくさん歩いて、たくさん紅葉を観た
四泊別々のところに泊まるなんて、僕の旅パターンではないけれど、その分濃厚だった
ずっと韓国語にさらされていたので、ちょっとだけ昔の記憶が蘇ってきたが
もともとたいしたことないので、やはり、たいしたことなく終わってしまった

ずっとお坊さんと一緒だった
インチョン空港まで出迎えてもらい、
最後はお坊さんの秘書という方にプサン空港まで送ってもらった
お寺をめぐり、何人ものお坊さんとも会ったが、
結局、自分が仏教の人ではないということを確認しに行ったようなものだ
やっぱり僕は整体の人です








2017年11月4日土曜日

智異山

智異山の紅葉をみるというミッション達成
いやいやなかなかのもの
結局五人組で動いているのだが、
私以外全員三十代ではないか
バス組合がストライキ突入とかで無事プサンにたどり着けるだろうか



2017年10月30日月曜日

10月の読書

発酵文化人類学* 小倉ヒラク 木楽舎 2017
レクスロス詩集 ジョン・ソルト他訳編 思潮社 2017
数学する人生* 岡潔 森田真生編 新潮社 2016
民主主義を直感するために*國分功一郎晶文社2016
さらば、政治よ 旅の仲間へ* 渡辺京二 晶文社 2016

2017年10月28日土曜日

韓国行

来月、韓国に行くことにした
先月お坊さん連れで訪ねてきてくれた、ソウル在住の若い友人にお世話をかけることになる
ソウル〜智異山〜釜山を巡る予定
ご近所の木田さんも同行することになった
はじめての関空、はじめてのLCC、座席指定にも追加料金がかかるんだ
よって、どの席に座れるか、当日、空港にいってみないとわからない

何年ぶりの韓国になるのか?
一番最近で2004年、すでに13年経っている
この時は、ヨーロッパ往復することで溜まったマイレージを使った一泊二日のソウル一人旅

その前はというと1997年、なんと20年前
この時は、山口での合同稽古会を終えたあと下関に移動
そこから関釜フェリーで釜山に渡った
同行者は松井さん
慶州、束草と東海岸を北上し、雪岳山を訪ね、最後はソウルに出て、
そこから東京に飛行機で帰ってきた
合同稽古会で疲労困憊し、長距離バスでまた疲労困憊し、体調を崩した中での道中
松井さんひとりソウルに置き去りにしたんだった

韓国に一番頻繁に行ったのは80年代
数えてみたら10回
大半は、FWCの研修旅行の引率で、毎回一週間から10日の韓国滞在
これに延世大学語学堂への語学留学を足せば、都合半年以上韓国内で過ごしたことになる
僕の人生の中で、中断したものの筆頭が韓国語学習といってもよいくらい

さて今回はどのような旅になるのか

2017年10月24日火曜日

整体観

いつもは操法する側にいる
そんな私が操法を受けてきた
すると「整体観」という言葉が浮かんできた

そうなのだ、操法とは「整体観」が出会う場なのだ
身体観という言葉を充ててもそう間違ってはいないのだが、
身体観、死生観も含め、ここでは、あえて整体観という言葉を使う

普段は操法をする側にいる
その行いは、私の整体観の表現といえる
受ける側もなにがしかの整体観をもって操法に臨む
そこでどのような出来事が起こるのか?
操法を受ける体験とは、この出来事との邂逅を意味する
はたして、自分はどのような整体観をもって、人に触れているのか?
ひさしぶりに操法を受ける立場に身を置いて、そんなことを考えた

2017年10月21日土曜日

台風接近中

10月に入ってからの時計の進みかたの速いことよ。冬の訪れも早いようで、とうとうホットカーペットを出し、電気ストーブも取り出してきた。

明日は10月22日、もともと「おやこ稽古会」が予定されていた日だ。降って湧いたような総選挙のあおりをうけ(投票会場として使われる)、押し出されるように日程の変更を余儀なくされた。地元の自治会関係者のなかには、選挙の世話人と同じ日に開催される時代祭の世話人を兼ねている方も多く、悲鳴が上がったともきく。結局、台風接近による悪天候が予想されるとのことで、時代祭の方は中止となった。ご近所の神社の秋祭りの行列も中止。投票日に合わせて巨大台風の接近なんて、いったいどうなっちゃってるんでしょう。

等持院稽古場も三年目に突入。認知度が多少上がってきたのか、ちらほらと新しい方が来はじめている。twitterにも書いたけれど、「最初のボタンを正しく掛けてもらう」あるいは「掛け違えたボタンをはめ直す」ことが僕の役回りだと思っている。人は新しいものと出会った時に、自分にとって既知のものに引きつけて理解しようとするわけだが、往々にして、それがボタンの掛け違えになる。どっちにしても、3歩戻って2歩進むくらいがちょうどよい。稽古も操法も結局のところ、その人の「整体観」の表現であり、その整体観を私自身刷新していく必要性を痛感している。

ブラジルの田中さんのところで昔学んだことがあるという日系のダンサーが友人のアルゼンチン人のダンサーを連れてやってきた。二人ともKyoto Experimentというプロジェクトで京都に一ヶ月滞在している。お互いに拙い英語を介してコミュニケーションをとりながらの稽古だが、ダンサーという種族はほんと面白い。初対面でいきなりアルゼンチン女性と「共有された身体の記憶」について話すことになるとは思わなかった。1970年代生まれということだったが、その頃のアルゼンチンはまだ独裁政権が続いていて、政治的に不安定な時代だったはずだ。

台風に備え、食料の買い出しに出掛けようかと思っている矢先、ご近所の方が、祭寿司を差し入れてくださった。一人分には十分すぎる量で、雨足も強くなってきたし、買い出し中止。このまま夕方に入っている予約の方を待つことにしよう。はたしていらっしゃれるかな〜。

一週間後には月末三日間の稽古会がはじまってしまう。

2017年10月8日日曜日

ケーキ

昨日のこと。妻の誕生日であることを思い出し、ケーキ屋さんでケーキひとつだけ注文したら、お土産ですかと問われた。自宅用ですと答えたら、おやつですかと訊かれたので、いえお仏壇用ですと返事したのだが、そしたら、和菓子でなくていいのかと突っ込んでくる。いえ、ケーキの好きな人でしたからと応えたら、ようやく事情が伝わったみたい。自分でも馬鹿正直だな〜とは思ったけど。ケーキは美味しかった。


2017年10月4日水曜日

Road to Brasil

この秋、波状的にブラジルからの来客が続きそうな気配
2013年のヨーロッパ・ブラジル遠征の余波が今頃になって京都に押し寄せてきている
そんなわけで、読めなくしていた「Road to Brasil 2013」を復活させることにします

2017年10月3日火曜日

10月

10月ではないか。
京都暮らしも三年目に突入。

それにしても9月長かった。
8月末から固形物が食べられなくなり、お豆腐といちじく食べて生きながらえていた。麺類は比較的平気なのだが、御飯がダメ。肉類、菓子類も食べる気がおきない。「なんだ、食べなくて平気なんだ」ということに気づいてから、文字通り、食べたくなったら食べるという生活を徹底させた。その割に体重は落ちない(それでも3キロほど痩せただろうか)。先日、ちょっと歩いてみると(近場でも出かけるときは自転車ということが多いので)実に体が軽い。あとしばらくは、こんな調子だろう。

秋になって、またなんか押し寄せてきてる感あり。9月には韓国からお坊さん来て、新たに稽古始める人もちらりほらり。11月にはブラジル組もやってくるので、その打ち合わせをしていたら、別口のブラジル組がすでに京都に来ていることが判明。来月は来客・行事で日程が埋まってしまいそうな予感。今月やる予定だったおやこ稽古会は、選挙投票日と重なり(会場が投票所になる)、11月に変更になってしまったので、なおさら。もう冬支度始めなきゃ。

2017年10月1日日曜日

おやこ稽古会

*11/19(日)に開催されることになりました(10/1)

*選挙投票日と重なるため、日程変更になりましたorz
 新しい日程は、決まり次第告知します(9/27)

6月にやった「こどもからだづくり入門講座」の第二弾
名称も「おやこからだづくり入門講座」となって来月開催です
こちらと主催者の目論見が少しだけ噛み合ってきたのかな
「せいそこ」同様、私は与えられたテーマに沿って稽古するだけです

2017年9月28日木曜日

9月の読書

恋と女の日本文学* 丸谷才一 講談社 1996
俳句世がたり 小沢信男 岩波新書 2016
沢木興道聞き書き 酒井得元 講談社学芸文庫 1984
大阪の芭蕉俳蹟 三善貞司 松籟社 1991
BUENOS AIRES*  Daido Moriyama 講談社 2005
大きな鳥にさらわれないよう* 川上弘美 講談社 2016
絶対平面都市* 森山大道・鈴木一誌 月曜社2016
カコちゃんが語る植田正治の写真と生活* 増谷和子 平凡社 2013
「対米従属」という宿痾* 鳩山由紀夫・孫崎享・植草一秀 飛鳥新社 2013

2017年9月27日水曜日

予言者失格

半年前に予言をふたつした
誰にもいってないけど
有効期限は半年、つまり今月末

一つはある方がお仕事を辞められるというもの
外堀はどんどん埋められきたのに、なかなかしぶとい
とうとう最後の手段に訴えることにしたらしい

もうひとつは、ある方がご懐妊されるというもの
ほどなく、その方でなく別の方が懐妊されたという知らせが届いて、
少し戸惑った

つまり、これらは予言ではなくただの願望に過ぎなかったということ
これはちょっと悲しい

2020年の東京オリンピックは実現しないという予言は、もう京都に引っ越してくる前に
しているのですが、これも、ただの願望で終わってしまうでしょうか

坂道を転がり落ちるように、という表現がありますが、まさにそんな状態
これが、明治150年の日本の姿です

2017年9月24日日曜日

婆子焼庵

韓国・智異山からのお坊さん2名を伴って、ソウル駐在6年となるAさん来宅。6、7年ぶりの再会となる。近所のキダさんのお店で肉なし(お魚はo.k.とのことだったので、魚あり)イタリアン。ヘチマのスープなんてはじめていただいたが秀逸。ここ一月、食欲のない状態が続いていたのに、美味しくいただけた。いっそ、「精進イタリアン」をはじめればよいのに。Aさんに読ませようと探し出してきた「韓国への旅」を自分で読み直しているうちに、三年前に訪ねたきりになっている「宝慶寺」のことを思い出し、そのつながりで、スティーブ・ジョブズと交流のあった「乙川弘文」という僧侶の評伝にたどり着いた。その評伝のなかで「婆子焼庵(ばすしょうあん)」という公案について、宝慶寺のご住職が語っている。「(弘文さんは)願って地獄に落ちたんだ」というご住職の言葉は大仰に聞こえるが、出家者にとって大問題であることは理解できる。僕など、もう一度地獄に落ちてやろうかしらとおもうのだが、この点、整体は道教系なのか。さらにそこから「宿なし興道」と呼ばれた名僧の名前が出てきたので、「沢木興道聞き書き」を取り寄せて読み始めたら止まらない。これを縁に智異山に紅葉観に行こうかなどと考えはじめている。

2017年9月19日火曜日

大阪天満宮

彼岸も近いし、カミさんの命日だし、墓参りに大阪へ
三年経っちゃったよな〜

谷町六丁目から南森町まで戻り、大阪天満宮に詣る
天神橋筋商店街を歩きはじめると、ゆるやかな下り勾配であることに意表をつかれる
淀川に向かって降りていくわけだ
京都だと北に向けて進むということは、上りを意味するから、新鮮
古本屋がある
京都にも古本屋は多いが、実のところほとんど足を踏み入れてない
谷川俊太郎の詩集と大阪の郷土史家が著した「大阪の芭蕉俳蹟」(1991)を購入
食べ物屋も軒を連ねるが、あいかわらず食欲ない
パン屋のイートインでカレーパンと紅茶の昼食
結局、天神橋筋六丁目まで歩き、そこから阪急で帰ってきた

2017年9月18日月曜日

三分の一

1月末にはじまった稽古着生活だが、5月に中断している
5月下旬、日記で確かめると22日に、「暑い! Tシャツ短パンに着替える」とある
やっと涼しくなってきたので数日前から稽古着生活に戻した
といっても、着ているのは夏用浴衣地の稽古着なのだが
京都の夏は丸4ヶ月続いたことになる
結論、一年の三分の一は夏である

2017年9月17日日曜日

韓国語

大井町稽古場に来ていた若い友人がいる
ここ何年か、ソウル駐在で仕事をしているとのこと
夏の終わり、暇なので、二泊三日でソウルに行こうかと連絡を取ってみた
すると、9月に若いお坊さん二人の案内のため京都来る予定にしているとのこと
じゃあ、僕のソウル行は延期して、京都で会うときに相談乗ってもらおうという話になった
へぇー、お坊さんか
30年前、韓国の山寺を訪ねたことを思い出し、その時の旅日記を発掘したので、
「蔵出」と称して、このブログに持ってくることにした  → 韓国への旅1986
よく一人で動き回り、さらに案内までしている
それくらいの韓国語力はあったわけだが、30年使ってないと、もうだめだな〜

ちなみに、この旅日記に出てくるT和尚は永平寺を経て、今は福井の山奥にある修行道場の住職をされている。Rさんは、兵庫県北のお寺の住職となったが、何年か前に遷化されたという便りをきいた。Yさんは、アメリカ留学等を経て、いまは某大学で教鞭をとっている。嗚呼30年。

2017年9月15日金曜日

なぞる

ここ二週間、固形物が食べられない
腹は減るので、食べものを口に入れるものの、
胃のあたりで滞留して、下に落ちていかない
「せうそこ3」に載せた「出立記」をなぞっているようだ

笑福亭のきつねうどんは、するりと入る
でも、普段だと物足りなく感じるくらいの量なのに、重い
この季節、食べる量が減っても不思議ではない
ただ、その現れかたが、ちょっとはげしい
菓子類もほぼ口にすることもなく、ほぼ禁糖状態

体調はすこぶるよい
眠りも良くて、ゴミ出しを逃すこともない
静かに、体の組み換えが進行中

2017年9月11日月曜日

平野甲賀と晶文社展

平野甲賀と晶文社展行ってきました
本を並べてるだけなのに、なぜか楽しい
手に取ってよいということだったので、本を開いて発行年を確認したり…
自分の中の記憶の時系列とズレてるものも結構多かった
晶文社と間接的に関わった唯一の「よい戦争」も置いてありました
10月下旬までやってるみたいだし、等持院からそう遠くもないので、
もう一回くらいのぞいてみようかな
年明けには東京でもやるそうです


2017年9月10日日曜日

ふるさと館

白山稽古会が8年続いているる理由の半分くらいは、会場として使わせていただいている「ふるさと館」にあるといってもよい。








  



2017年9月5日火曜日

時間がない

オレには時間がない
そんな言葉が「降りて」きたのが今年の春先
別ににわざわざ降りてこなくても、そんなことは百も承知
残りの人生、淡々と生きていくからほっといとくれ、というのがその時の感想
あと何年生きることになるかわからないけれど、
残された時間の方が短いことは言われなくても自明のこと
畏友安森には「長生きしんさいよ〜」と顔を合わせるたびに言われている

時間がないことが切実になってきたのは夏を過ぎてからだ
せうそこ3が出たことで喪が明けた、そしたら俗が戻ってきた、
というところまでは既にこのブログで書いた通りなのだが、
俗が戻ってくるってどういうことなのかというと、
淡々としてられなくなる
喜怒哀楽が出てくる
人恋しくなる
と、まあ、いわゆる人間的なるものが再び動きはじめるということ

えっ、またあの世界に舞い戻るわけ?
ほんと難儀なことである

2017年9月2日土曜日

やってないこと

京都に戻ってきて二年近く経ってしまったが、まだやってないことも多い。王将の餃子も天下一品のラーメンも食べてない。まあ、いまさら王将にいかなくてもいいのだけれど。ほんやら洞が火事で焼けてしまったので、一度、甲斐さんのやっている八文字屋にはいかねばと思っていたのだが、いかんせん飲み屋というだけで敷居が高い。稽古にきはじめた他称ノンベのお兄さんに相談したら、以前、行ったことありますとのこと。これは渡りに船と二人で木屋町に繰り出したのが7月末のこと。八文字屋に一歩足を踏み入れると、70年代の空気がちょっと発酵しつつ残存していた。ジンジャエル2杯で二時間ほど過ごしてきたのだが、あの空間なら酒飲まなくても粘れそうだ。久しぶりに四条河原町に出かける用事があったので、珉珉

うんこ

前から書こう書こうとおもいつつも、ためらわれていた「うんこ」、排便の話です。
一年で何回、紙なしで排便を終えられるか? いまどき、ウォシュレットが普通になってきてるから、気にも留めないという人も多いと思うけれど、事後、お尻を紙で拭く必要もない、というのが理想の排便経験。30年前、子育てしてるとき、子どもをオマルに座らせ、排便のあとお尻をふくと、なにもついてないことがあって、なるほど、ちゃんとした排便には紙は不要なのかと悟り、以後、どうすれば、紙を使わないで、あるいは紙の消費を最小に抑えられるかを研鑽してきた。ことは、食生活と密接してるし、また気張り方の技の問題でもある。赤ちゃんの入浴の作法として、皮膚が引き締まるタイミングでお湯から出せば、タオルで拭く必要がないくらい水が切れている、というのがある。それは大人も同様。そもそも、バスタオルなんてものが使われはじめたのは戦後のことじゃないかしら。温泉旅館に泊まると、手ぬぐい一枚しかくれないけれど、本来、それで十分だったのではないかな。歳とともに、皮膚の張りは落ちてることは避けられないけれど、風呂の入り方も工夫すべき。少なくとも、トイレで紙をばんばん使う、風呂から出て、体ふいたら、バスタオルが水分でびしょびしょになるというのは、整体の徒とは呼べない。

2017年8月31日木曜日

8月の読書

ぼくの死体をよろしくたのむ* 川上弘美 小学館 2017
沖ノ島* 藤原新也 小学館 2017
これからの地域再生* 飯田泰之編 晶文社 2017
百年の散歩 多和田葉子 新潮社 2017
たましいのふたりごと* 川上未映子x穂村弘 筑摩書房 2015
属国民主主義論* 白井聡x内田樹 東洋経済新報社 2016
経験と教育* ジョン・デューイ 講談社学術文庫 2004
介護するからだ* 細馬宏通 医学書院 2016

2017年8月30日水曜日

現役感

人と会う約束をとりつけようとすると、
意外にみなさん忙しく立ち働いているということに気づく
そうだよな~、とも思う
つまりのところ、いまの私に欠けているのが、この現役感覚なのだ
リタイアしたわけではもちろんなくて、実際に等持院で仕事しているわけだが、
この場所の持つひきこもり感が現役感を失わせている
で、バリバリの現役に戻りたいのか、戻れるのかというと、
いや遠慮します、無理です、というのが答えになる

秋だ

秋の風が吹いている
なにもしないうちに8月が終わってしまいそうだ
糸魚川キャンプへの参加は台風の影響でできず、
郡上踊りも、企画倒れに終わってしまった
月末、広島へ行こうと画策したが、まだ西への回路は開いてないようで、これも頓挫
結局、二泊三日で東京にまた出かけてきた

*****

むすめがダン先生の独観法に出ることは知っていたし、三日目の講座は子守がいないのであきらめるとも聞いていたので、子守役を買って出ることにした。これからの長い整体生活のなかで、娘にとって、この最終日の講座に出ることの意味は小さくないだろう。孫との信頼関係をこの時点でつくっておくのも悪くない。二日目の講座を終えて帰ってきた娘たちと雑談してて、単位補助制度に話が広がった。修養講座に参加して、単位を積み重ねることで段位試験の受験資格を得るというのが、いまの整体協会のスタイルだ。稽古場に単位制度を導入したいという願望をダン先生は持っていたようだが、実現できなかった。それを整体コンサルタント制度のなかに持ち込んだかたち。半ば冗談なのだが、出産を単位に認めるべきではないか、というのが、その趣旨なのだが、整体を次の世代につなげていく意味では、名案といえなくもない。ひとり産んだら50単位、二人産んだら百単位。これなら、子育てで閉塞感を持っている母親には福音となるだろう。じゃあ、男はどうする。結婚したら10単位とか? 整体協会的少子化政策としてはよくできている。でも、チェックは必要だな。ここからは、減点制。生後13ヶ月になったら査察が入って、まだ、オシメ取れてない? はい、マイナス5ポイント。食事もチェックして、レトルトフード使いすぎ、マイナス5ポイント。という具合で、50ポイントがどんどん目減りしていく(笑)。単位制度が進んでいくと、こういう展開もありうるというお話。稽古場に単位制度が実現しなかったのは、単に事務負担を僕ひとりで担えなかったので拒否したというのが実情なのだが、まあ、やらなくてよかったんじゃないかな。

2017年8月14日月曜日

せうそこ#4

9月末に開催予定のせうそこの4回目のおしらせ
どういう展開になるのか、まったく予測不能です


2017年8月4日金曜日

8月3日

二年前の8月3日、白山稽古会を終え京都にやってきた私は、なぜかこの等持院の家と出会い、小さなスイッチがカチッと入ってしまった。あの日の京都は35度を超える猛暑日で、閉め切られていたこの家の中の気温はいったい何度だったのだろう。二ヶ月後、私は京都の住人となっていた。8月3日はロイ先生のご命日でもある。あれから三年。

2017年8月2日水曜日

はちのす

ご注意!
等持院稽古場の玄関先
石段上がって右側の南天の木の下に
直径10センチくらいの蜂の巣がころがっています
昨日発見し、隅っこの土の上に移動させたのですが、10匹くらいの蜂が出入りしている模様
どう処理するか検討中ですが、余分な殺生はしたくないので、当面様子見のつもりです
よい対応法あればご教示ください
レンガを置いて目印にしていますが、くれぐれもご注意ください
心配な方は、呼び鈴押してくだされば迎えに出ます

2017年7月31日月曜日

熱風

京都は熱風が吹いている
台所の温度計は32度を示している
ちょっと危険
洋間のエアコンを入れる
去年はほとんどエアコンなしで過ごしたように思うのだが、
今年はまだ湿気が抜けず、体感的には厳しい夏だ
さっきまで、ゴロゴロ雷がなり、雲も低く暗くなっていたのに
夕立は等持院を迂回していったらしい

ながいながい7月も今日で終わり
孫が来て、室野井さんがなくなり、田中さんが来て、
それから石川に行って、月末の稽古会も無事終了
今回、三日間集注を保てたというの大きな自信でー中味についていけていたかというと、それは別の話ー稽古がまた面白くなってきた

7月、等持院では一息脱力の稽古を主眼にしてやっていた
一息脱力も、坐法臥法と同じようにかなり稽古場初期のころにできあがった稽古法だが、
技法がどんどん進むことで、一息脱力も進化してきた
行気もまた然り

来月は中旬から動き回ることになる
お盆前には、石川のワンネスのサマーキャンプに加えてもらうことにした
鳥越ではなく、糸魚川に移動して、縄文山田さんのリードで海遊び
さらには、竪穴式住居で寝るという

お盆開けには東京で講座があるので、15日から出かけていくことにした
この夏は送り火が見られないのはちょっと残念
講座のあと、郡上踊り、白鳥おどりを見に行こうと思っている
日程は19日〜21日
興味の有りそうな人に声をかけてみたが、なかなか日程が合わず、
このままでは単独決行ということになりそうで、ちと心細い
現在隊員募集中です

7月の読書

映画にまつわるxについて 2* 西川美和 実業之日本社 2017
ぼくはお金を使わずに生きることにした* マーク・ボイル 紀伊國屋書店 2011
セカンドハンドの時代* スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ 岩波書店 2016
さわる文化への招待* 広瀬浩二郎 世界思想社 2009
生きる職場 武藤北斗 イースト・プレス 2017
哲学の自然* 中沢新一・國分功一郎 太田出版 2013

2017年7月24日月曜日

あとがきのつづき

せうそこ3ができあがってきた
#1#2とはずいぶん異なった構成になっている

あとがきとして「喪が明ける」ことについて書いたのだが、
では、喪が明けたあと、なにがやってくるのか?
身も蓋もない結論なのだが、「俗」がやってくるのだ
イヤダイヤダ

このせうそこシリーズ、秋から第2期がはじまることになっています



2017年7月20日木曜日

左京区

「外」に空間現代のライブを聴きに行き、「片桐ユズルにきく」会に参加したりと、左京区にばかり出かけている。今日、はじめて訪ねていったミシマ社、ここも左京区だった。40数年前、京都暮らしをはじめたのが左京区だったから、いちばん土地勘はきくエリアで、今でも左京区に行くと、どことなくなつかしい。

ミシマ社であった対談「イスラムから世界を見ると」は面白かった。買ったことのある本の筆者の話を聴きにいこうなんて思い立ったのは京都のサイズ感の賜物だろう。なんせ、ミシマ社まで自転車で30分。あまりにもとぼしい自分のイスラム体験 - イスタンブールからデリーまで三週間かけてひたすら移動したことがある(1974)- と現代政治の間は埋めようもないが、オリエンタリズムを介さずにイスラムを知るには、うってつけの話者二人(中田考・内藤正典)だったし、イスラムを鏡にして日本社会を相対化していく試みは有効だ。お二人の話を聴きながら、イスラム国の勃興が、わけしり顔の大人に対する若者の反乱ではないかというの僕の見立てはそう的を外してないように感じられた。西欧列強が勝手に引いた国境線がそもそもの混乱の元なのだから。

2017年7月16日日曜日

8月日程

やっと8月の日程決まりました ↗︎↗︎↗︎
暫定版よりだいぶ変更されてます
行気基礎やります 5日 25日
筆動法は27日です - 七夕前夜

2017年7月14日金曜日

ボレロ

ここ数週間、ボレロが頭の中で鳴り響いている
たしかCDあったよな〜、と思ってカゴの中を探したが見当たらない
PCの中にもない
Youtubeなら、ラヴェル指揮のボレロあるにちがいないと探してみた
ダウンロードして聴いてみたのだが、
ぼくの記憶していたものよりテンポが速い
もっと、びっくりするくらいのんびりしていたと思うのだが…
いったいあのボレロはどこで聴いたものなのだろう?
そもそも、いまなんでボレロなのだ?
室野井さんがボレロで踊ったという記憶もないし…
なんとも不思議

2017年7月11日火曜日

台風一過

娘が一歳になる孫を連れてやってきた
どうやら娘にとっては、ここが実家になるらしい
まあ、それはそうだな
ただ、ここは稽古場であり、ぼくの隠居所でもある

都合一週間滞在していったのだが、結論からすると、稽古場と実家は両立しない
今回は、月初めで比較的暇な時期だったのでよかったが、忙しい時期だと無理である
ぼくの仕事が休みの期間ーたとえば年末年始ーに来てもらうか、
でなければ、仕事を休みにしちゃうかの二択だな

孫は来てよし、いんでよし
という格言を教えてくれたのは大阪の友人だが、たしかにその通りで、
みんなが引き揚げてから、思わず、妻に手紙を書いた
おれたち、よくやってたよな〜、と

わたしのことば

ユズルさんの通訳は上手である
「なんで上手なの?」と生徒に訊かれると、
「わたしのことば」で喋ってるからと答えている

では「わたし」とはだれのことなのか?
普段のユズルさんがいて、それをユズルとする
通訳される講師Aという人がいて、Aの話をユズルさんが通訳する場面を想定してみる
そのときのユズルさんをユズルAとする
同じように講師Bの通訳をするときのユズルさんをユズルBとする
では、ユズル=ユズルA=ユズルBなのか?

同じなわけないですね
同じ文章が通訳のことばとしてユズルさんの口から出てきたとしても、
それが同じ意味をもつかというと、ちがっていて当然

どのようなユズルA、ユズルBが立ち現れてくるか?
そこに同調の技法というものが存在する
ベースに強靭な語学力が備わっていることが大前提だが

7/10 片桐ユズルにきく

2017年7月5日水曜日

追悼 室野井洋子

7月3日、室野井洋子さん逝去。
室野井さんで最初に思い出すのは、1995年、稽古場総出でソウルで開催された「韓日ダンスフェスティバル」に出かけたことだ。当時の日誌を引っ張り出してきて下に再掲する。固有名詞いっぱい出てくるけれど、そのまま載せてしまいます。

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韓国公演日誌  -  韓日ダンスフェスティバル 1995

【10月23日】
5時 起床。6時20分 榎田君が迎えに来てくれる。シビックの背には稽古場の戸板がくくりつけられている。渋滞には全くひっかからず成田着8時。市内で時間をつぶし、9時成田空港到着。10時半 ユナイテッド航空の窓口で手続き開始。予想通り、戸板・毛氈の大物、重い粘土の手続きに手間取る。11時半、超過料金なしで手続き完了。12時50分 ユナイティッド航空で成田発。15時15分 ソウル金浦空港着。17時 受け入れ側の用意してくれた車で、宿泊先のコグン(古宮)ホテルへ。18時 ホテル近くの、韓式食堂で日本側公演者・スタッフ、韓国側スタッフで夕食会。20時20分 地下鉄誠信女大入口で十年来の友人である李哲旭氏と落ち合う。在仏20年の老シェフ(元韓国空軍パイロット)の経営する小さなフランス料理店で会食。ホテル帰着22時半。

【10月24日】
10時半 ホテル発。地下鉄、恵化駅のそばにある会場の文芸会館へ。ホテルから徒歩で15分。打ち合わせ開始。13時30分 初日は、打ち合わせと場当たりだけの予定が、突然、通しのリハーサルに変更される。全員、消耗感に打ちひしがれる。レンガづくりの空間がすべてを冲にしてしまう。15時 李兄妹と合流。学生街の小さな料理店で昼食。16時 森・室野井は会場に戻り稽古、新井・榎田・角南はいったんホテルに戻った後、松井君を迎えにプラザホテルへ向かうことにする。18時 松井くんと合流。南大門市場へ。20時 恵化へ戻り夕食。李兄妹と合流するが、消耗感がひどく、翌日、公演会場で再度会うことにし、ホテルに戻る

【10月25日】公演当日
10時 松井君と2人で朝食。10時半 文芸会館前で李文昌先生と会う。氏の事務所に行く。11時 文芸会館で準備、リハーサル。前日とは打って変わり、メリハリが出た。これなら本番も大丈夫。16時半 午後の部公演。やや固い印象はあるが上出来。日本側の最初の公演者ということで、森・室野井は、テレビ各局の取材を受ける。19時半 夜の部公演。午後の部より、透明感あり。21時半 公演終了後、片づけ。22時 角南以外は初日出演者の打ち上げへ、角南は李哲旭氏に見つけてもらった稽古場応援団(小須田・橋・早川他)との打ち上げ会場へ。23時半 出演者組到着。24時 ホテルへ戻り、打ち上げ2次会 就寝4時。

【10月26日】
12時 文芸会館から荷物の搬出。李哲旭氏が頼んでくれていたはずのトラックが到着せず、流しのトラックに頼み込み、荷物を空港まで運ぶ。手続きは問題なし。17時 ホテル着。19時半 文芸会館で夜の部の公演をみる。

【10月27日】
9時 ホテル発。東大門市場へ。12時 語学研究院に河正子女史を訪ねる。歳とってないことに驚く。肩の力が以前より抜けて暖かみが出てきている。おそるべし、孫の力。14時 景福宮で李哲旭氏が森陽子さんの写真を撮る。ミンピ暗殺をテーマにしたゲリラ公演を覗く。15時半 松井・森・角南は明洞へ。ロッテ百貨店免税店。ロッテホテルのスカイカフェテリアで一服。19時 文芸会館に戻り、最終日の公演を観、シンポジウム参加。土方巽夫人である元藤氏の講演。22時 公演終了。新村で打ち上げ。午前2時にお開き ホテル着3時。就寝4時。

【10月28日】
9時 起床。午前便で帰る森さんを見送る。11時 室野井・松井・角南の3人で明洞へ。全州ピビンパの店で昼食。庶民的な店だが、学生食堂的なところでばかり食べていたから嬉しい。ユッケ、パチョン(お好み焼き)、焼肉、石鍋ピビンパ。14時 リムジンバスで空港へ。17時 金浦空港発。成田着、 19時半。榎田君が出迎えてくれる。高速が渋滞してるとのことなので夕食をとったのち帰途につく。あざみ野着 24時ちょうど。

(初出 あざみ野通信1995.11)

2017年7月4日火曜日

小鬼襲来

この場所が一週間後、稽古場として存続しているかどうか、いささか自信がない

2017年7月1日土曜日

一息脱力

公開講話のあとの初心者コースで一息脱力をやった
一息脱力が稽古として現れたのは稽古場がはじまってかなり初期の頃で、
坐法・臥法なみに古い稽古法である
ひさしぶりに2番の脱力動法をやったら足がつった

からだを目一杯使うかんじ、流れに乗っていく感覚を学ぶには最適の稽古法
「自分」というのは、つまりのところ「習慣の集合体」にすぎないのだけれど、
それが、習慣であるということを自覚するのって当然のことだけれど、むずかしい

一息脱力は脱力法なのだけれど、その前段階として、腰椎1〜5に対応する型を定め、
そこから脱力に移行する
カタの決めかた、決まり度合いの確認、脱力に転じる初動の定め方...
チェックポイントはいくつもあるが、それぞれが、随分進化してきて、
30年分の厚みが出てきた
今月のテーマ稽古は一息脱力やるしかないですね

「その他」の多様性

テーマ稽古をはじめたらで、「稽古場は所詮ダン先生+その他しかいない」と書いてしまった。間違ってはいないが、「その他」で括ってしまってはあまりに雑すぎるのではないかと反省。今回は「その他」の多様性に書いてみようとおもう。

一度、回り稽古に出てみればわかるが(残念ながら私は参加したことがないーきっと修様養講座も同様)、指導者10人いれば、整体の理解のしかたが、文字通り十人十様であることに驚くことだろう。だれも間違っていないことはわかるが、正解がどこにあるかもわからなくなる。間違っているのは、そこに正解があるにちがいないという最初の設問の方で、つまり正解はない。正解は自分でみつけるしかない、そういう世界。ここに至るまでだいたい十年くらいかかる。

ダン先生以外の指導者は、互いに相補的な存在であるともいえる。得手不得手もあるし、興味の持ち方もそれぞれ違う。ぼくなど、下手五人衆のリストに載るくらい下手である。なのに、指導者を名乗っている。下手は自慢すべき事柄でないことは自覚しているし、だからこそ稽古しているわけで、その稽古に付き合ってもらうとで学べることはきっとある。

稽古場がはじまったとき、ダン先生の「僕は僕の稽古をします、あなたたちは僕の稽古に付き合う人です」という表現には驚かされたが、実際、自分が人前に立つことになると、稽古のあり様は、これ以外にないことがわかる。人の稽古に付き合って、それを自分の稽古とするところが、稽古場の眼目なのです。

2017年6月29日木曜日

6月の読書

目の見えない人は世界をどう見ているのか* 伊藤亜紗 光文社新書 2015
旅にとり憑かれたイギリス人* 窪田憲子・木下卓・久守和子編著 ミネルヴァ書房 2016
神楽と出会う本* 三上敏視 アルテスパブリッシング 2009
はじめての短歌 穂村弘 河出書房 2016
ニッポンのマツリズム* 大石始 アルテスパブリッシング 2016
暇と退屈の倫理学* 國分功一郎 太田出版2015

2017年6月24日土曜日

テーマ稽古その後

テーマ稽古をはじめて3ヶ月
いろんな人がいろんなテーマを持ち込んできて一緒に稽古してきた
坐法、臥法、しずみ、随伴行気といったところが定番で、
公開講話や稽古会の復習というのもある
先を急がないというか、急がば戻れというのが私のスタイル
ちょっと昔やった稽古を一緒にやってみましょうということも多い

1テーマ1時間という目論見だったのだけれど、
やっているうちに、これは無理だということがわかったので、
来月から2階建て会費はやめて一律3000円にします
60分〜90分くらいが目安になると思います

テーマ稽古を通じて、もっと行気やんなきゃだめだとか、
一息脱力も必要とか、私の側で、やりたいものも出てきているので、
定食屋のメニューじゃないけれど、「今月の稽古」みたいなものも
提示できればよいなと思っています

2017年6月21日水曜日

京都は雨
昨晩、旧友の通夜から戻って来て晩飯をつくり、
食べ終わったあと、ちょっと横になったら、そのまま眠ってしまった
夜中、寒さで目が覚め、あらためて布団を敷いて寝た
こんなにぐっすり眠れたのはいつぶりだろう

先月末からの不調が霧が晴れたように消えていったのは石川から戻って来た翌日の月曜日
あれっ、何が変わったんだろうと訝っていたら、その翌朝、Oの訃報を知らされた
え、あいつが? と驚くと同時に、やっぱりと思っている自分もいる
昨秋、京都を訪ねて来てくれ、近所で食事したのが最後になってしまった
40年来の友人を送るのは寂しいけれど、あいつにとっては、解放であるにちがいない

京都は雨
京都だけでなく、広い範囲で降ってるのだろうが、
ずっと晴れの日が続いていたから、恵みの雨
これで、地面に蓄積されつつあった熱も少し冷やされるだろう
いずれ猛暑はやってくるだろうが、もう少し先にしてほしい

ん、今日が夏至なんだ

2017年6月20日火曜日

夜の自転車

京都で自転車に乗り始めたとき、いくつかのルールを自分に課した
1 交通ルールを守る
2 立ち漕ぎをしない
3 暗くなったら乗らない

1は、まあ当然ですね
2は、年寄りの冷水とよばれないように自制する
3は、夜目が効かなくなってきているので、夜移動するときは素直にバスに乗る

概ね、自分で決めたルールに沿って自転車に乗ってきたつもりであるが、
昼間自転車で買い物に出かけたら熱風が吹いている
夜、ちょっと遠くまで出かける予定があり、当初バスを使うつもりでいた
でも、途中寄りたいところもあるし、それを考えると自転車のほうが便利なので、
思い切って、自転車で出かけることにした

帰り、時計は23時近かったのだが、ゆっくり漕いでも一時間はかからないだろうと、出先から帰途についた
これが、意外に快適
風は涼しいし、歩道を歩いている歩行者も少ない
ー京都の場合、歩道を自転車で走れるエリアがひろい
走っているバスも少なく、その分、停留所の人だかりもない
汗ひとつかかず、自宅にたどり着いた

夜の自転車もわるくない

2017年6月13日火曜日

こども稽古会終了

こども稽古会無事終了
こども大人あわせて30人越え
稽古会関係者の見学参加も予想外に多かった
こどもって動き回るいきものなのね
飽きさせないように用意していた稽古をつぎつぎ投下
メインターゲットだったお母さん方に面白いと思ってもらえれば成功だったのだけれど、
どうだったんでしょう

*主催者の報告記事も出てきているようなのでリンク貼っておきます(6/16)
 https://meirinkids.blogspot.jp/2017/06/610.html
 http://zisoku.com/kyoto/2017/06/14/post-2548/


 (写真提供 ぜんばやしさん)

2017年6月11日日曜日

コト

コトが起こるとはどういうコトなのか
コトは起こすコトができるのか
コトは立ち上がるだけなのか

起こるべきコトが起こらないとはどういうコトなのか
そもそも起こるべきコトとはどのような文脈において起こるべきコトと定義されるのか
起こるべきコトが共有されないとコトは起こらないのか
コトが起こるとは、
コトが起こるかもしれないと起こらないかもしれないという間にあるわけで、
起こるべきコトと起こるコトにはズレがあって当然ではないのか

なにも起こらなかったように見えるが、なにかは起こったわけで、
その起こったコトが、予想あるいは期待と異なっていただけのコトで、
たしかにコトは起こったのである

読んでる人にはなんのコトや、というお話ですな

2017年6月10日土曜日

菊舎句集

田上菊舎句集が届いた
菊舎は江戸時代末期に生きた長門の人、女性である
二十九歳にして得度し、以後、三十五年に渡り日本全国を歩いたという

月を笠に着て遊ばゞや旅のそら

「月」を季語とする俳句を探しているうちに出会った一句
出立時に詠まれたとある
気負いと覚悟がすがすがしい




2017年6月4日日曜日

シラバス

月末三日間の稽古会終わったら倒れ込んでしまい、
気がつくと、あらら、こども稽古会まであと一週間
やりたいこと、やるべきことをリストアップして、並べ替えたら、
立派なシラバスが出来上がった
これは面白いわと自画自賛
そのまま大人用にも使えてしまうところが稽古の偉大さだな
稽古場初期のころの合同稽古会メニューにちかい
ただ、どう考えても90分でカバーできる量ではない
さてどうするか

2017年5月30日火曜日

5月の読書

This Is JAPAN* ブレイディみかこ 太田出版 2016
なぜ「原子力の時代」に終止符を打てないか* 中尾ハジメ・加藤典洋 SURE 2014
キトラ・ボックス* 池澤夏樹 角川書店 2017
目の見えないアスリートの身体論* 伊藤亜紗 潮出版社 2016
敗北力* 鶴見俊輔 編集グループSURE 2016
あなたの体は9割が細菌* アランナ・コリン 河出書房新社 2016
本当の戦争の話をしよう* 伊勢﨑賢治 朝日出版社 2015
坊っちゃんの時代* 4,5 関川夏央・谷口ジロー 双葉文庫 2002

2017年5月28日日曜日

真空

ひさしぶりの空間現代@外
空気感の薄さなのかと最初は思った
だが、それは空気感の希薄さではなく真空の現出であった
大音量で音はスピーカーから聴こえてくる
ステージも近いから、ドラムの響きもボーカルの声も直に伝わってくる
音は空気を介して伝わってくる
しかしこの音がなくても、つまり真空の中で演奏しても、これは音楽なのではないか
そのような妄想に駆られた
耳の聴こえない人は、どのように空間現代を聴くだろうか?
映画メッセージを観たばかりなのかもしれないが、
こいつらなら宇宙人と交信できるんじゃないかしら
ボクにとって、空間現代は妄想の種である


2017年5月21日日曜日

弘法市

暑い日が続くと、家の中も暑くなってくる
引き籠もってばかりもいられないので、出かけることにする
稽古着を脱ぎ捨ててー4ヶ月ぶりだーTシャツの上に、薄い綿のシャツを羽織る
最近見つけた南インドカレーを食べさせてくれるお店でお昼を食べ、進路を南に取る
基本、京都は北が高く、南が低いから、自転車をこいでいても暑さが気にならない
東寺の弘法市に行くのは何年ぶりのことか
この近くに仕事場があった時期には、毎月のように覗きにきていた
高校の脇に自転車を停め、境内に入ると、なかなかの活気
毎月25日にやっている北野天満宮の市よりもお店の配置に統制が取れている
市ってなんで楽しいのだろう
京都に遊びに来る人は、弘法市(毎月21日)や天神市(毎月25日)をめがけて来るとよろしい

























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片桐庸子さんコーナーですが、器がひとつ貰われていきました
まだ、大物が残っています
もっと前に、持ち込まれた花瓶も並べました
プロフィールもいただいたので、脇に掲示することにしました

2017年5月20日土曜日

あなたの体は9割が細菌

今年これまで読んだ本の中では群を抜いて面白かった。肥満は伝播してきた、免疫系における虫垂の重要性、自閉症と大腸の関係、経道出産時における母体から新生児への免疫系の伝達、等々。大腸のマイクロバイオータと呼ばれている細菌群の多様性とそのはたらきについて書かれている。ここ百年ほどの間に、抗生物質に代表される薬品が使われてきたことで、何万年もかけて築きあげられてきた人体と細菌の共存関係が毀損され、さまざまな問題の原因となっている。眼から鱗が何枚も落ちた。と同時に、晴哉先生の慧眼にいまさらながら驚かされた。禁糖前と禁糖後のマイクロバイオータの多様性の比較などしてみると、どんな結果がでるだろう? これから子どもを育てようという世代必読(稽古もしてね)。原題は"10% Human". 「10%だけ人間」という邦題だと売れないな。

あなたの体は9割が細菌 アランナ・コリン著 河出書房新社 2016

2017年5月16日火曜日

早く杖の似合う老人になりたいと思ってきたが、とりあえず二本の足で歩いている。いや、京都に越してきて以来、歩くことが多くなり、3キロ4キロは当たり前のように歩いている。これまで、杖を使っている人には、「杖は支えにしちゃいけない」と言ってきたのだが、実際に自分で杖を使って歩いたのは、熊野での経験(→熊野詣2)が初めてかもしれない。お遍路さんが杖を使って歩くのも、さもありなんという感じだ。

市販の杖は、ほぼ100%短くて頭にT字型の握りがあるタイプのものだ。いかにも杖を支えにしますという感じ。登山やウオーキング等で使われているものーこちらはストックと呼ばれているみたいーは、手を通す輪っかがついて、グリップが効くような握り手になっている。歩行にふさわしいのは、むしろ、行者さんが使うような長いタイプー錫杖と呼ばれているのもの。杖の先っぽを一歩先の地面に置くだけで、接点に力が加わらないよう歩く。坂道、石段を登るときには、足を運ぶのと同時に握ってる手を下に滑らせる。いや、手を下に滑らせることで足を運ぶ。杖は握りしめない。つまり、カタをもって杖を持ちさえすれば、これは可能だ。杖の役目って、稽古でいうと「跡おい」の感じ。杖を置いたところに自分の足を運んでいく感じなのだな。

熊野から京都に帰り着き、最寄り駅から等持院まで2キロほどの道のりをやはり杖を使って歩いたのだが、疲労困憊していたのにもかかわらず、足がスタスタと運べた。夜遅い時間だったから目立たなかったけれど、昼日中、長い杖をついて街中を歩くにはちょっと勇気が要りそうだ。回峰行の写真などみると、行者さんは自分の背丈より長い杖を使っている。ちなみに、熊野から借りてきた杖の寸法を測ってみたら125センチだった。最低、これくらいの長さは欲しい。伸縮式でオシャレな長杖ってないかな〜。

2017年5月10日水曜日

熊野詣 3

ゴールデンウィーク明けなので混み合ってる感じはしない
それでも、そこそこの人出
京都ほどではないけれど、外国からのインバウンド客の比率が高い
熊野に来るだけでなく、熊野古道を歩いてる
那智の滝に向かうバスを待っているとき、30歳くらいの肌の黒い若者と話したら、
インドのチェンナイから来たという

大門坂でバスを降り、石段を登り那智大社を目指す
それにしても、よく歩いてるな〜
那智大社、青岸渡寺を参拝し、いよいよ那智の滝と対面
坂を下り、滝に近づいていく
落差133メートルというのは半端ない

























滝壺の近くまで登る
幸いなことにだれもおらず、一人で滝と対坐する
水の塊が落下し、途中の岩にぶつかり、そこから水の膜となって広がり落下していく
ひたすら、水の動きに集注していく
20分もそうしていただろうか

バスで紀伊勝浦
もう一泊する選択肢はあったが、もう満腹
最終の特急列車に乗り、大阪回りで京都に帰り着いた

テーマ稽古をはじめたら

本部登録してる人に教えることはなにもない
というのが基本的なスタンス
稽古場には、ダン先生+その他、しかいない
指導者と呼ばれている人にしても、年数長くやっているというだけで、
分かっているかというと、そんなこともなくて、つまり五十歩百歩
ダン先生に梯子を外された回数が多い分
稽古始めたばかりの人に比べ多少転び方は上手かもしれない
その程度のちがい

テーマ稽古というのを設定したら、ポロポロと希望者が現れて、
「坐法」「臥法」をはじめ、「しずみ」「観点」といったテーマで稽古している
そのうちに、「裏の輪郭」だ、「中眼の随伴行気」だ、
つまり三日間の稽古会でやったばかりのテーマを抱えてやってくる人が現れはじめた
最新のことなど、とてもついてってないのに、そんなテーマでここに来るか?
と、言いたいところだが、一緒に稽古できる千載一遇のチャンス到来と喜んでいる

その人たちに尻叩かれて、随伴行気の一覧表とのにらめっこをはじめた
まったくありがたい話である
1時間枠で始めたものの1時間で収まりきらないところが難点
そんなわけで、2時間枠の稽古も受け付けることにしました

2017年5月9日火曜日

片桐庸子さんからお預かりした器、本棚の上に並べてみたら、いい感じです
希望される方に差し上げてくださいとのことですので、一度手に取ってみてください


こども稽古会

こども稽古会の詳細決定
やってくる話はお断りしないというのが主義
でも、小学生相手の稽古会をやることになるとは思わなかった
小学校低学年って、最近会ったことがないし...
去年、石川のワンネスの事務所にお邪魔したときに、十代の若者何人かに会ったが、
「わー、十代だ!」と感動したくらい

とうとう孫世代が相手ですよ
まったく未知との遭遇
話聞いてくれるのかしら、ことば通じるのかしら、心配の種は尽きない
とにかく、ゲームとして提示するしかない
会場は80畳分の板の間

昔よくやった合同稽古会の感じなのかしら
基本、ぼくらの稽古って、傍から見ると、「大のおとなが遊んでいる」
ようにしか見えないし、実際、遊んでいたとしか思えない
30代〜50代のおじさんおばさんが、体育館の端から端まで忍者走りで駆け抜ける
あの熱気、明るさ、邪心のなさって、いったい何だったんでしょうね
大人が遊べたんだから、こどもも同じように遊べるでしょう
立つ、座る、歩くとつないで、跳ぶで締めたいな

チラシをつくるというので、言い出しっぺのお母さんと作戦会議
できあがってきた下書きのプロフィール欄に、「米国を放浪し」などという一行
「いや、ぼく放浪してませんから」と訂正してもらったのだが、なんで、放浪者にされてしまうのだ

チラシは今週末には刷り上がってくるそうです


熊野詣 2

稽古着姿で杖ついて歩いていると巡礼者に見えるらしい。

バスで新宮に出て、最初に目指したのが神倉神社。岩山が御神体で、急な石段を登っていかなくてはならない。登り口に杖が用意されていて、参拝客はそれを借りて登って行く。細身でやや長めの一本を借りて登りはじめた。

























神倉神社からは新宮市内が一望でき、その先には太平洋。さて降りようとしたときに横道発見。牛の背経由速玉大社と表示されている。登って来た石段を降りてコンクリ道を通って速玉神社に向かうより、山道を抜けてった方が理にかなってる。道は山の中腹をアップダウンしながら続いている。いかにも古道という雰囲気。今回、熊野古道を歩く予定はなかったから、プチ古道ウォーク気分。無事、速玉大社近くの駐車場に降り立った。ただ、神倉神社で借りた杖をまだ手に持っている。

























速玉大社は熊野三社のひとつ。どこかに杖を返せるところはないかしらと探してみたが、そんなものはあるはずもなく、かといって神倉神社に戻る時間もない。しかたなく、杖を手にしたまま那智大社を目指すことにした。

杖を手にして街中を歩いていると、人の視線がちがう。きっとこの人は熊野古道をずっと歩いてきたんだ、という好奇心と少しばかりの尊敬の混じった視線。ちなみに熊野古道を歩いてる人たちの大半は、いわゆるウォーキングスタイルで決めてらっしゃいます。

この杖を相棒に、電車に乗りバスに乗り、那智大社の参道を歩きー実に役に立ったー結局、京都まで連れかえってきてしまったのです。神倉神社さん御免なさい。必ずお返しに参ります。

杖おもしろい。杖に関してはいずれこのブログに書こうと思っている。

2017年5月8日月曜日

熊野詣 1

熊野に行こうと思った
那智の滝は一度は見てみたい
1日1本、京都から紀伊勝浦、新宮に特急が走っている
これを使えば、午後の早い時間に紀伊勝浦に着く
でも地図でこの海沿いルートを眺めてもピンとこない
いや拒絶されてる感じさえある
まだ熊野に行くのは早いのかな〜と
諦め気分で床についた

朝4時に目が覚めた
そうだ最初に本宮大社に行けばいいんだ
紀伊半島のど真ん中を縦断するバス路線がある
本宮大社ー速玉大社ー那智大社とつないで行けば、熊野世界に入って行けそうな気がする

京都駅から近鉄電車で大和八木
電車に乗っている間にみつけた民宿に電話して宿を確保
日本一長い路線バスという新宮行きの特急バスに乗る
5時間バスに揺られて熊野本宮大社到着

























(路線バスも途中休憩を入れながら走る。十津川村にある谷津の吊り橋)

特筆すべきは大斎原ーおおゆのはらと読むもともとの神社があった川の中洲
こんなに気持ちよい場はない
もっと厳しい場所かと思っていたが
空気がこまやかでやわらかく、女性的といってもよい
神域なのに慈悲という仏教語が浮かんでくる
河原に出て土手を越えて戻る途中、大きな黒蛇と遭遇した
神様に会ってしまったような気分








そうそう、本宮大社でおみくじを引いたら「大吉」だった

2017年5月2日火曜日

俎板を削る

ネギを細かく切ろうとしたら切れない
俎板の中央が凹み、包丁の歯が届いていないのだ
この俎板、一体何年使ってんだろう?
20年ではきかない
俎板削りで探してみると、サンドペーパーらしきものを使うタイプがある
でもこれでは、表面の汚れを落とすくらいで、凹みには無力
カンナがけするしかない
木工に詳しい池田さんに相談するとー彼は自分で動法盤までつくる
カンナを持って訪ねてきてくれた
見本を見せてもらいー実際には半分くらいやってもらったー続きをやりはじめた
これは愉しい
筆動法の墨すりみたいなものだが、墨すりよりも愉しい
ただ、木屑の量に比べ、中央の汚れた領域、つまり窪んだ部分の面積はなかなか減らない
随分と深くえぐれていたのだな
作業が進み、凹凸が減って、真ん中の黒ずんだ部分が小さくなってくる
全部削って新品同様にしてしまう?
いや、真ん中少しだけ残して、歴史を留めることにする

2017年4月29日土曜日

4月の読書

米朝快談* 嶽本野ばら 新潮社 2013
ニッポンの風景をつくりなおせ* 梅原真 羽島書店 2010
天国の国境を越える* 李学俊 東洋経済新報社 2013
いるか句会へようこそ!* 堀本裕樹 駿河台出版社 2014
熊野古道* 写真・山本卓蔵 淡交社 2006
認知症をつくっているのは誰なのか* 村瀬孝生・東田勤 SB新書 2016
坊っちゃんの時代* 1,2,3 関川夏央・谷口ジロー 双葉文庫 2002
「思想の科学」私史* 鶴見俊輔 編集グループSURE 2015
日本人はどう死ぬべきか?* 養老孟司x隈研吾 日経BP社 2014

2017年4月27日木曜日

足袋

【業務連絡?】
足袋をまとめて岡山の業者に注文しようと思います。希望者は等持院稽古場までご連絡ください。ゴールデンウィーク明けに発注の予定です。

帰着

■一週間の遠征から帰ってきたら庭の緑の勢いがすごい。ドクダミが一気にひろがり、南天の葉が密度を増している。去年あまりに道路側に花が落ちるので過剰なまでに刈り込んでしまったムクゲの木も枝を伸ばしはじめている。■今回の遠征は、白山と上越で稽古会、東京で操法講座と濃密なものだったのだが、そのあと2日ほど下町とモダンが同居する清澄白河エリアで少しのんびりできた。二子玉川に降りたときは、アウェイ感いっぱい。ぼくの知るニコタマはどこに行ってしまったんだろう。操法講座。これまでやってきたことを全否定されて嬉々としている我々は相当に変な人の集まりだ。■孫の顔をみていると、なんか赤ちゃんのオヤジがいるようで不思議な気分。なんか似てるんだよね。■京都に戻ってきたのは火曜日の夜。あと5日もすると4月が終わってしまう。3月末のせうそこ3。その十日後に「片桐ユズルにきく」。その間に同窓会も二回。そして遠征。いろんなものが4月に集まってきてしまった。■せうそこ3の掘り起こしが早速上がってきたので朱を入れている。これまでのせうそこは「テーマ」について語られているのだけれど、このせうそこ3は、企画者に煽られ、ちょっとはずかしいくらいに「ボク」がさらけ出されている。ま、僕自身踊りたかったのだね。■「こども稽古会」をやることになった。最近、稽古に通いはじめたお母さんが言い出しっぺなのだが、話がトントンと進んで、6月開催が決まった。気楽に「やりましょう」と言ってはみたものの、いったいなにをやれば子供に通じるのか見当もつかない。弘田さんあたりに相談してみよう。■暖房器具の片付けは5月に入ってからだな。


2017年4月21日金曜日

i am not your enemy

アメリカ人の古い友人に連れられて、BBQパーティー
長く京都に暮らした知り合いの帰国お別れパーティーとのこと
大勢の外国人が集まってきている
そういえば、40年前、京都のこういうボヘミアン的空気感の中にいたのだった
でも、気軽に自己紹介して、会話の輪に加わるという文化には、最後まで馴染めなかった
長年の謎が解けた気がする
出会い頭の自己紹介は、"i am not your enemy"と自己申告することなのだ
異人種異文化の多様な人間が集まってくる土地が産み出し育んできたカタにちがない
このことに気づいていれば、もう少し、社交的に振る舞えるようになれたかもしれないな〜
あとの祭りであるが、もし習熟していたら、いまここに私はいない

2017年4月19日水曜日

同窓会

「片桐ユズルにきく」会のあと、
ユズルさんに「出立記」のコピーを渡す
後日、メールがきて、あれは、art of dyingでしたね〜
まるで聖書を読んでいるようでした、との感想
あれは、詩でしょうか、と問うと
チャールス・モリスの分類によれば、小説です
という、英語の先生的答えが返ってきた
「あれは詩です」と言ってほしかっただけなのだが

だれと会ってもそうなのだが、
30年ぶりに会うKathiは、年相応に老けていた
が、中身はかわらない
なにより驚いたのは、彼女が話す英語がスラスラと入ってくること
そうか、40年前、初めて触れた英語はKathi とJackの英語だったことを思い出す
雛鳥が初めて出会ったものを親と思い込むように、
彼らの英語が僕の中に入り込んでいたのだ

他日、もう少し若い世代のアメリカ人と同窓会
Tiffany と Richard
そうか〜、松井くんや池田くんたちと同世代なんだ
立派なおじさん、おばさんじゃないか
二人とも日本は長いので会話はちゃんぽん






2017年4月14日金曜日

おしよせる

70年代が押し寄せてきた
いや、それ以外のものも押し寄せてきている
せうそこ3が終わったと思ったら、
連句の順番が回ってきて、
延期されていた「片桐ユズルにきく」もやってきた
その翌々日には、ハワイからやって来た旧友を囲んで70年代の同窓会
40年ぶりに会う人もいる
その上、土曜日には80年代の同窓会
いったいなにが始まろうとしているのだ?

2017年4月10日月曜日

今後の稽古について

等持院稽古場が活動をはじめて一年半
5月以降、少し、稽古のやりかたを変えようと思っています
名称の変更もあれば、稽古内容の変更もあります

1 日程変更
これまで主に1の日、6の日中心で行っていた個人教授・個別稽古枠を
偶数日全般にひろげます
テーマ稽古もこの枠で行います

2 坐法臥法 → 動法基礎
いうまでもなく、動法基礎には坐法臥法も含まれます
脱力動法等もこの稽古の中で行うことにします

3 合掌行気以前・活元運動以前 → 合掌行気・愉気
従来より少しだけ、合掌行気本体に重心を移します
随伴行気等を加えることで、合掌行気をより深く行えるか実習していきます
愉気の実習も行っていこうと思います

4 連座 → 連座入門
連座の前提となる稽古も行っていきます

2017年4月6日木曜日

断絶

なぜ、僕らの親世代は僕らを躾けることを忌避したのか
これは長年の謎だったが、「片桐ユズルにきく」会などを通し、
つまりは戦争

2017年4月2日日曜日

4月だ

4月だ
むこう半年が日本にとっての正念場になる
唐突だけど、そんな予感

さて、せうそこ第三回目終了
この企画が持ち上がったのが一年前の春
6月、11月とやって、三回目が3月31日
ひとつの会が終り、数カ月後に、それが印刷物になって再び姿を現し、
そして、また次の会がはじまる
ほんと「つづきもの」という感じで会が進んできた
企画者はえらい

ぼくに与えられたのは「みとり」というテーマ
最初のリアクションは狼狽といってもよいものだったが
このテーマと一年間付き合うことで、いろんなことを気づかさせられた
たとえば、
「出立記」って挽歌だったんだ、とか
それまで、ぼくは「なにかになろう」「なにかをなそう」としてたんだ、とか
句読点なし改行といったぼくのブログの文体は、どこかで「詩」を意識してたんだ、などなど
でも、3回目のせうそこ、これって印刷物にできるのかな〜
掘り起こしが上がってきたとき、自分がどんな反応を示すか、ちょっと予測不能だ

企画者は次なるシリーズを計画中らしい
でもね、秋までに何が起こるかわかんないですからね〜

2017年3月30日木曜日

3月の読書

追憶のほんやら洞* 甲斐扶佐義編 風媒社 2016
中動態の世界 國分功一郎 医学書院 2017
一投に賭ける* 上原善広 角川書店 2016
モンドくん* 奥村門土 PARCO出版 2014
カブールの園* 宮内悠介 文藝春秋 2017
へろへろ* 鹿子裕文 ナナロク社 2015
その後の不自由* 上岡陽江+大嶋栄子 医学書院 2010
京の大工棟梁と七人の職人衆* 笠井一子 草思社 1999

2017年3月20日月曜日

月末

月末がちかづいてきた
意識しているつもりはないが、せうそこ#3のことが気になるのか、
当時の記憶の断片が甦ってくる
聞き手が阪本さんになったのも不思議なご縁

3年前の12月
妻の四十九日を終え、そこから父の看取りモードに入っていった
整体操法講座の前日
目黒の額縁屋さんで開かれていたマメ画伯の個展に娘と連れ立ってでかけた
その帰り道、九州から上京してきていた阪本さんと遭遇
しばらく立ち話したあと、「じゃあまた明日」と言葉を交わし、
僕らは父の住む江戸川に向かったのだった

父はその日の未明息をひきとり、
当然のことだが、ぼくは操法講座を欠席することになった

迷う

高潮期は迷う
迷い迷って、左大文字山頂
標高230メートルなのに、ここに至る道はなかなか険しい
誰にも会わず、熊でも出てこないか不安になる
山頂からは京都の街が一望できる
左に比叡山
その右に大文字山
その手前に見える丘は船岡山
ずっと、右に視線を移すと、北野天満宮、平野神社の森
手前にあるのは送り火のための火床
等持院から1時間でたどり着く

2017年3月18日土曜日

高潮期

気がつくと高潮期
高潮を好調と勘違いしていた若い頃とは異なり
まったりのんびり過ごしていたいはずなのに、なにげに気ぜわしくなる
いやだいやだ

夜も眠れず
タバコの量ばかり増え
かといって、落ち着いて本が読めるわけではない
と、言いながら、「へろへろ」を読みはじめたら止まらなくなって、
結局、夜が白み始めるころ眠りにつく

結果は寝坊
10時半に布団から抜け出して、お天気がよいことを確認して洗濯機を回しはじめる
洗濯物を干したらもう昼近い
ボウルに、小麦粉、ベーキングパウダー、少々の砂糖、さらに卵、牛乳と水を加える
コーヒーを淹れつつ、パンケーキを焼く
1枚目ははちみつをかけ、2枚目はクリームチーズにブルーベリージャムを添える

前日は結局出かけることがなかったので、買物がてら散歩に出ることにする
白梅町まで出ると、三連休ということなのか人がけっこう出ている
一条通りまで下り、商店街を東へ
長五郎餅で桜餅とうぐいす餅を一個づつ買い、さらに、とようけ屋で木綿豆腐一丁と油揚一枚
コーナンに寄って、サンドペーパー購入
先日、ヨーコさんからいただいた二重局面硯の表面を少し研磨するつもり

そのまま北上
上七軒の通りを斜めに上がり、北野天満宮の脇を抜け、平野神社をかすめてコープへ
牛乳だけのつもりが、数日前、楽天堂で買った豆で久しぶりにチリコンをつくることを思いつき、
ひき肉とトマト缶を買い物カゴに入れると結構重くなってしまった

西大路に出てそのまま南下
再び平野神社の横を通り過ぎようとすると、「桜花祭」4月10日とある
等持院稽古場でやることになっている「片桐ユズルにきく」の当日ではないか
去年はちょうどその頃、東京に行ってたのではないかな
見た記憶がない
どうやら、行列も出るらしい

平野神社の交差点を渡り、そのまま西へ
馬代通も越えて、そのまま直進し、立命館の東門からキャンパスに足を踏み入れる
これが近道なのだが、普段は学生であふれかえっているから、めったに通ることはない
南門に抜け、そのまま歩くと等持院の山門の脇に出る

なんだか、散歩案内になってしまった
ね、高潮期でしょ
あ、お彼岸用の花買うの忘れてた

2017年3月17日金曜日

稽古着生活

ここ1月半、ほぼ100パーセント稽古着生活
すると、意外なことに稽古着の数が十分でないことに気づいた

普段着用の稽古着の数は足りている
つまり、着古された稽古着はたくさんある
ところが、外着としての稽古着、稽古用の稽古着が足りてない
最近は冠婚葬祭も稽古着で出かけているのだが、袴の膝が擦り切れたものはダメだから、
外着用の袴は最低ひとつ必要
つまり、あと一、二本袴を誂えないとだめということだな

防寒着も課題
ウールの着物用コートはあるのだが、着ぶくれた感じになってしまう
春のこの時期には野暮すぎる
かといって、羽織だけでは寒い時もある
ポンチョみたいな上からかぶるだけのものがあればよいのにと思う
どなたかアドバイスをいただければありがたい

シャツを頭から「かぶる」という動きがいやになった
腕を袖に通す時もそうだが、あの摩擦感がいやになった
ふんどしにスイッチを押されたかたちだが、この変化に自分で驚いている
ゴム紐の害について甲野さんが説いているという話を最近聞いたのだが、非常に納得
父の介護をしているとき、年寄りほど和服を着ればよいのにと思ったことがある
シャツの代わりに襦袢を、パンツでなく褌にすれば、介護する側も本人たちも楽だろう

向こう一年かけて、必要な衣類とそうでないものを分別していこうと思う
ひょっとすると一年後、衣類の量は半減しているかもしれない

2017年3月15日水曜日

前にすすむ

一昨年の春から秋にかけて書いていた、「前にすすむ」シリーズを読める状態に復活させました

片桐ユズルにきくat 等持院

4月の「片桐ユズルにきく」を等持院稽古場で開催することになりましたのでご案内します
 日時  4月10日(月) 14時30分〜16時30分くらい
 会費 2000円
・14時に嵐電北野白梅町で集合し、等持院稽古場に移動します
 直接いらっしゃる方は、地図を参考にしてください
・はじめての方も参加できます(予約はこちらから)

2017年3月13日月曜日

石川遠征

月例の石川遠征
予約してあったサンダーバードをキャンセルして青春18きっぷ購入
円町より山陰線で京都駅
敦賀福井経由で松任着16時すぎ
サンダーバードは2時間で京都ー石川を結んでくれるので便利だが、
在来線の速度の方が体にはしっくりくる

ホテルにチェックイン
テレビを点けてみると森友学園園長会見などを流している
食事に出かけるのが遅くなり、7時を過ぎてから電車で金沢駅まで移動
稽古前日はフォーラスで映画を観るという習慣も最近は薄れがち
駅ナカのスーパーでタコ飯などを買い、これを持ち帰って夕食にするつもりでいたが、
結局、8番ラーメンに入る
石川のソウルフードと呼ばれていることは知っているが、ちょっと淋しい夕食

今回の稽古は土日2日間
初日は「支点を外す」をテーマに稽古
二日目は「合掌行気&愉気」
男性陣にふんどしの効用を説いている自分が可笑しい
出入りはあるが、この会は十名ほどのメンバーが入れ替わり立ち替わり参加してくれている
前に進んでいる感には欠けるが、積み重なってきてる感じはある

松任は金沢から西に三つ目の駅
北陸新幹線の開通以来、金沢駅周辺の宿が取りづらくなったこともあり、
この駅近くのビジネスホテルが定宿になりつつある
会場まで徒歩3分だから便利なのだけれど、夜は閑散としている
居酒屋での食事はちょっと気がひけるので金沢駅まで出かけることが多い
金沢に出かけなければ、もうコンビニ恃み

稽古会が終わって、帰りは福井で途中下車というか電車待ち
新幹線開通に備え、新しい駅ビルができてから随分モダンになった
どこにでもある駅になったという意味でもある
ベンチの一角を恐竜くんが占めているのが福井らしい
蕎麦屋でおろしそばとソースカツ丼
ちょっと不思議な組み合わせだが、定番メニューらしい

帰りは米原回りで京都到着
京都の方が暖かくホッとする
青春18きっぷ、あと3回分残っているけど、でかける時間はあるだろうか?

2017年3月5日日曜日

せかいにふれる

昨年4月の回り稽古で話した内容が掘り起こしされて戻ってきた
近々『回廊』という冊子にまとめられるはずである

私の話の中で、キーワードとして「世界にふれる」という言葉が出てくるのだが、
これはアリ先生の「連座をやっていると、世界へのふれかたが変わる」という言葉を借用したもの
ひとにふれる、ものにふれる、というところまでは出てきても、
なかなか「せかいにふれる」という言葉は出てこない
ぼくらが稽古のなかでやろうとしていることを美しく表現している言葉だとおもう

「整体三代」というのが、もうひとつのキーワード
先月末に「せうそこ2」に載せる文章を書いたのだが、やはり、この言葉を使っていた
つまり、一年通して同じことを言っている
「せうそこ2」の冊子版は、今月末にはできあがってくる予定
前回と同じく、限定200部だそうです

せうそこ3

月末31日、第3回目のせうそこやります
とうとう、話し手として登場することに...

2017年2月27日月曜日

2月の読書

月と太陽の盤* 宮内悠介 光文社 2016
田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」* 渡邉格 講談社 2013
素顔の「竹喬」さん* 小野常正 山陽新聞社 2001
ふるさとの色* 小野竹喬 1996 
漂流* 角幡唯介 新潮社 2016
京の職人が語る桂離宮* 笠井一子 草思社 2001
一汁一菜でよいという提案 土井善晴 グラフィック社 2016
四畳半神話大系* 森見登美彦 角川文庫 2005
聖地巡礼 Returns* 内田樹x釈徹宗 東京書籍 2016
義太夫を読もう* 橋本治 新潮社 2012

2017年2月24日金曜日

八人の侍

あれは琴平で講習会があった時だから、80年代の初めだったと思う
(月刊全生で調べてみたら1984年、会場は琴平グランドホテル)
講習会の会場は大きなホテルの宴会場で、講習生の多くは、そのホテルに泊まり、
部屋と会場の間をいったりきたりしていた

会場に行こうとしていたのか、
それとも部屋に戻ろうとしていたのか、
一階ロビーからエレベーターに乗ろうとその前で待っていたら、
エレベーターが降りてきて、扉が開いた
すると、そこに講師陣の面々が姿を現した
ダン先生、ロイ先生、吉田先生、柳田先生、堅田先生、福鬼先生、京鬼先生、田総先生
いきなり、八人の先生たちと対面するかたちになってしまった

これは野武士の集団か?
その迫力に気圧されてしまった
驚くべきは、諸先生方、まだ30代〜50代
長老格の柳田先生吉田先生でも50代前半ではなかったか
ダン先生、ロイ先生に至っては30代
勉強しはじめのペーペーの頃とはいえ、強く印象に残っている光景である

講習会からの帰路は、神戸の足立さんの車に便乗させてもらった
久楽先生も一緒だったようで、写真が残っている
車中、「整体協会で仕事ないかな〜」と冗談混じりで言ったことは覚えている
それが二年しないうちに実現してしまうことになるとは、その時は知る由もない

ふんどし

手持ちの洋服と稽古着を含む和服の量をくらべると半々
モノの質でいえば、圧倒的に和服の方が勝る
洋服といったら、ユニクロ、無印くらいのものしか着ていない
それでも、外では洋服、家では和服というように切り替えていたのは、
外では、目立たない中年、いや老人を装っていたいから

ところが
ふんどしをつかいはじめたら
洋服を着ることに急に違和感を感じるようになった
結果、稽古着ですごす時間が増え、夜も浴衣で寝るようになった
なにこの変化?
これまで、どのように稽古着生活に移行すればよいのだろうと思案していたのに
あっさりと、その逡巡が振り切られてしまった
おそるべしふんどし

2017年2月18日土曜日

梅見

春から思い浮かべる漢字を探していくと、
「光」「満」「期」「玉」といった字が現れてきた
「満期」という熟語には笑ってしまったが、春が来たことをよろこんでいる自分を発見
嬉しいときは、素直に喜べばよろしい
蕪村の「梅咲て帯買ふ室の遊女かな」の句を書く
翌日、北野天満宮の梅を見に行くことにして、筆動法の稽古を終えた



2017年2月12日日曜日

澁谷和子展

案内をいただいていた「澁谷和子展 PART-1 デビューから1999年までの作品群」に行ってきた。84歳にしてバリバリの現役で仕事されている澁谷先生。その澁谷先生の前期の仕事を見る機会はこれまでなかったのだが、いや初期作品の瑞々しさといったら...。残すところあと1週間です。Part2は来年開催とのこと。



http://someseiryu.net/topic_page.html

春が来た

禁糖がはじめられると思ったら、急に身内のお葬式が入り、月はじめ三日ほど上京して来た。通夜葬式に一通り付き合うということは、そこで出てくる料理に手を付けるということで、禁糖どころではない。結局、正式な禁糖を始めたのは帰って来てからなのだが、プレ禁糖をやっていたにも関わらず、それなりの飢餓感が襲ってくる。映画『沈黙』を観に二条駅まで行き、そのまえに一階にある本屋を冷やかしていると、平積みされていた『一汁一菜でよいという提案』という本に呼ばれたような気がした。手に取ってみると、装丁といい写真といい、なんだか読みたくなってレジに直行。ご飯と具だくさんの味噌汁を基本とすることをカタとすることが書かれている。食に対する真摯な感じが伝わってくる素敵な本だった。禁糖期間中ならではの出会い。今回の禁糖のヒットは焼き芋。アルミホイルにさつまいもをくるみ、それを火鉢の灰の中に埋めておく。一時間もしないうちによい香りが漂ってくる。これは美味い。その香りが部屋からなかなか抜けてくれず、稽古会の前には食べられないところが難点である。週末は白山稽古会。今回は一泊二日なので、持参のおにぎりと簡易味噌汁で乗り切った。石川に出かけた時は一ヶ月の中でも集中的に外食する期間なのだが、雪模様だったこともあり、外出もせずホテルの部屋でひたすら橋本治の『浄瑠璃を読もう』を読んでいた。禁糖、尾骨焼塩など、春の風物詩みたいなものである。旬の時期に旬のことをやっておくと季節の変化に上手に対応できる。われわれ夏冬30度の温度差の中を生きているわけで、それだけでも人間の適応力というのはたいしたものだと思う。ただ、尾骨焼塩にしろ足湯(そくとう)にしろ、僕の中では、身近な人間同士でやりあうものとしてあり、自分一人でやってる風景というのは空想しづらい。子育てをしている中で、足湯など頻繁に活用してきたけれど、最近は、足湯の潜在意識教育的な側面が薄れてきた印象があって、それはちょっと残念。ともあれ、今年いちばんの寒波到来とはいえ、もう春ですね。

2017年2月6日月曜日

テーマ別稽古

テーマ別稽古を受け付けます
・【テーマ例】坐法、臥法、しずみ、脱力動法、行気法、随伴行気、合掌行気、観点、等々   公開講話復習、稽古会復習も可
・個人教授の時間枠で、テーマと時間を指定してお申し込みください
・会費は2000円(1時間)、3000円(2時間)とします
・二人組みも可

2017年2月4日土曜日

禁糖2017

禁糖をやるとなると2週間ほぼ外食ができないので、自分の日程と照らし合わせて、禁糖計画を立てることになる。でもそれでは、本当はどのタイミングではじめればよいのかが怪しくなる。今回は、その始まりを確かめるべく、「プレ禁糖」と称して、1月の下旬から、お菓子、コーヒー断ちをはじめてみた。外食は許容。プレ禁糖とはいえ、おそらく量的に言えば、限りなく禁糖に近いもので、実際にすこぶる体調もよい。なのに、腹部をみると、中指から薬指に動いていく。薬指に移り切った時が、本当の開始時期になるのだろう。プレ禁糖1週間目で薬指に移った。つまり禁糖開始。残念なことに、突発的な行事が飛び込んできて、そのタイミングで禁糖に入ることはできず、かろうじてプレ禁糖を継続中。禁糖は明日の日曜日からはじめることにします。ど真ん中に白山稽古会が入っているのですが、おにぎりとフランスパンで乗り越えられるでしょう。この時期、尾骨焼塩もやっておきたいところだが、稽古に組み込むわけにもいかないし、さてどうしよう。

2017年1月31日火曜日

2月の稽古

*2月3日(金)の稽古はお休みになります
*夜(18時〜20時)の個人教授枠を新設します

2017年1月30日月曜日

1月の読書

精霊たちの家* イザベル・アジェンデ 河出書房新社 2009
聖地巡礼rising* 内田樹x釈徹宗 東京書籍 2015
寄生獣* 7.8 岩明均 講談社文庫 2015
国宝消滅* デービッド・アトキンソン 東洋経済新報社 2016
この経済政策が民主主義を救う* 松尾匡 大月書店 2016

2017年1月28日土曜日

月末

なんと旧暦新年。そして、稽古会の初日。あっという間の月末です。1月は寒さに震えて等持院で過ごしていました。

年明け早々にあった回り稽古には、9名の参加者があり、それにスタッフの方たち3名を加え、私も入れれば総勢13名が、この狭い稽古場に集まりました。なるべく地味な稽古をやろう、と思っていたのですが、目論見どおりの地味な稽古で終始。

中旬の白山稽古会は、寒波がやってくるとのことだったので、覚悟して出向いたのですが、雪はそれほどでもなく、むしろ、帰ってきた京都の方が積雪は多く、15センチも積もっていたでしょうか。京都もふた冬めになると、寒さに対する感受性もだいぶ変わってきたようで、朝起きて、一番寒い台所の気温計が3度を示していても、驚かなくなりました。年明けてから、湯たんぽを使いはじめたのですが、一度使いはじめてしまうと、もう手放せません。

禁糖も間近ですね。5日ほど前から、プレ禁糖と称して、コーヒーとお菓子を断っているのですが、すこぶる快調。ほぼ、88%くらい禁糖している感じ。それでも、まだ、腹部第二のなじみ具合は、中指薬指五分五分といったところで、まだ、はじまりではない様子。

稽古会の方はぼちぼち。体の方はもう春満開って感じなので、ひさしぶりに一息脱力をやってみたり、そうだ、竹ひごを使おうと、東急ハンズに走ったり、少しづつ、エンジンがかかってきています。2月からは、夜枠の個人教授も始めようと思っています。

2017年1月18日水曜日

2017年1月8日日曜日

公私混同

稽古場をつくるときは、公私の別をつけるのが原則。自宅と離れた独立した稽古場が理想で、自宅に稽古場を設けるときは、一階と二階で機能を分けるといった工夫をして、住の部分と稽古の空間に分別をつけるのが望ましい。

ただ、この等持院稽古場は平屋なので、空間で分けることはむずかしい。職住近接どころか職住一体、公私混同の極みである。唯一、「私」の空間は書斎ということになるが、トイレに向かえば、書斎の前を通るし、その散らかり具合も目にすることになる。ドアを閉めておくことで「私」を保つやり方は採らない。そもそも、男子の更衣室となることもある。やり方とすれば、私自身が稽古場化する、あるいは備品化するしかない。透明人間化するといってもよい。

それにしても、ブログタイトル通りの稽古場になるとは、ブログをはじめた2004年には予想もしなかった。当時は、仕事がどんどん私生活を蚕食していくような公私混同だったが、ここでは公私の別さえも消えている。

2017年1月3日火曜日

今年の稽古

あけましておめでとうございます。
1月~3月分の日程表出しました()。
特に変わった点はありませんが、「カタと同調」を分割し、「合掌行気以前」「活元運動以前」の枠を設け、連座とともに「5」に日に入れることにしました。百通りの合掌行気があり、百通りの準備運動があるといったことを追求する稽古になります。稽古場も30年続いていると、稽古場で入会した人には活元運動を知らない世代が多くなってしまい、「活元運動以前」の稽古は成り立つのか?という疑問はありますが、動法的、内観的に活元運動の準備運動を捉え直していくという作業はあってもよいと思います。稽古の途中で脱線していくことは必至の稽古ともいえますが、多方向から攻めていくのが稽古のスタイルですから、けっこう面白い展開になるかもしれません。「合掌行気以前」は「愉気以前」でもあるわけで、人に触れられるためのカタがどのように「生成」されていくかを稽古できればよいなと思っています。

新年点描

 橋本治の「義太夫を聴こう」とブレイディみかこの「ヨーロッパ・コーリング」を交互に読んでいるうちに大晦日が暮れていった。遠くからゴーンという鐘の音が聴こえてくる。いや遠くない。炬燵から出る気にはならず、今年はこのまま年越しかな~、などと思っていたが、体は勝手に動きだし、稽古袴の上にオーバーパンツをはき、羽織の上に着物用のコートを着て、頭にはウールの帽子、手袋もはめ、足元はブーツという完璧ないでたちで等持院を目指していた。87番と書かれた紙切れをもらい行列に加わる。空を見上げると星が綺麗。オリオン座がよく見える。鐘をつかせていただき、そのまま六請神社に流れ、お神酒をいただいて家に戻れば、もう1時近い。読書に戻る。

 布団に入ったのが3時なのに9時前には目が覚めてしまう。しきりに裕之先生に尻を叩かれてる夢をみた。はいっ。布団から抜け出し、いつものように、火起こしに炭を入れ、ガス台に載せて炭をおこし火鉢に移す。長着に着替え帯を締める。前の日の夜から鍋に入れておいた昆布を取り出し、スルメは入れたままで沸騰させる。鶏肉も入れ、さらに調味料を加える。これで雑煮用の出汁の完成。生協で買っておいたひとり用のおせちを漆の皿に移し、それに自作の黒豆を添え、それらしく見せる。買っておいた小ぶりの丸もちを茹でる。せめてお屠蘇くらいいただこうと、引越し前に赤尾さんにもらった黄色の可愛いお猪口を取り出してくる。随分手抜きだけれど、とりあえず正月気分。あけましておめでとうございます。

 郵便受けをみると年賀状が届いている。いやー、ご無沙汰してる方たちに返事出さなきゃ、と書きはじめたのがこの文章。本年もどうぞよろしくお願いいたします。