2016年10月31日月曜日

冬支度

よい季節というのは意外に短い
4ヶ月の冬があって、4ヶ月の夏があって
間に2ヶ月づつの春と秋がある
そんな感じではないか
それでも北陸の人が関西で暮らしはじめたとき、
秋が12月の初めまで続いていたので羨ましかったという話をしてくれた

夏が終わったと思うと、一気に寒さがやってきた
去年は、寒くなって慌てて暖房器具を買いに走ったので、
今年は先回りして準備することにした
ホットカーペットを引っ張り出し、ガスファンヒーターも出してきた
とにかく台所が寒いので、勝手口を引越し時の残りもののポチポチで封じ、
床用にラグも注文
屋内防寒用にオーバーパンツまで頼んでしまった

テレビで昨年は暖冬だっと気象予報士が話している
おいおい、暖冬だったっけ?
結構寒さ厳しかった記憶があるのだが、この冬は平年より寒いという
これから年末年始に向けて、行事催事も予定されているので、
もう一度暖房を見直す必要があるのかもしれない

そうだ、火鉢用の炭も買いに行かねば

2016年10月30日日曜日

10月の読書

アグルーカの行方* 角幡唯介 集英社文庫 2014
武玉川・とくとく清水 田辺聖子 岩波新書 2002
電気は誰のものか* 田中聡 晶文社 2015
脱出老人* 水谷竹秀 小学館 2015
徳は弧ならず 木村元彦 集英社 2016
わたしたちが孤児だったころ* カズオ・イシグロ 早川書房 2001
この国はどこで間違えたのか-沖縄と福島から見えた日本* 徳間書店 2012
トルコ-中東情勢のカギをにぎる国* 内藤正典 集英社 2016

2016年10月27日木曜日

回り稽古

回り稽古の募集要項が出てることを教えてもらい、身体教育研究所のお知らせページを開いてみた。今回の全体テーマは、「動法における身体感覚の活用」。十日ほど前に、このテーマで関西版の回り稽古をはじめたいという連絡が事務局があったばかり。この全体テーマに、担当者がそれぞれ自分のサブテーマを返し、それがリストになって戻ってきたわけだが、その一覧を観て感動してしまった。担当者同士の横の連絡は当然だがない。なのに、こんなリストが出来上がっている。オレたち文学するのか? 戸村氏のサブテーマを読んだときには、もう身悶えしてしまった。


関西より一足早く、同じ全体テーマではじまる関東版回り稽古を見てみた。皆さん真面目だ。松井さんは何も考えずに返事してる風なのが実に彼らしい。それにしても、この地域差はどこから来るんだ。

2016年10月25日火曜日

一周年

日記を読み返していたら、一年前の10月25日が稽古場開きとある。この場所で稽古をはじめて一年が経ってしまったのだ。順風満帆とまではいわないけれど、予想通り〜何を根拠に予想してるのか自分でもわからないけれど〜のペースで来てる。30人の人が、それぞれ月一回の割で来てくれるような、そんな稽古場になればよいと思っていたのだが、一年でその半分くらいにまでにはたどり着いている。

この一年、いろんな人にお世話になった。まず、最初に名前を挙げるとすれば池田先生。もう、相棒ですね。一緒に飯食った回数は文句なく一番多いし、車でしか運べないものの買物等々よく付き合ってもらった。最近、料理をはじめたとのことで、この変身ぶりは一年前には想像もできなかった。次に挙げるとすれば、木田さん。彼の小さなレストランが近所にあってくれたおかげで、どれだけ僕の食生活が豊かになったか。どこで買物すればよいか等についてもご教示いただいた。熱心に稽古にも参加してくださっている。三番目はユズルさん。不思議なひとたちが、ユズルさん経由でこの稽古場にやってきた。京都に引っ越すきっかけにもなった「片桐ユズルに聞く」という月例の会には極力参加するようにしている。もちろん、稽古に来てくださっている人たちがいて、この稽古場は成り立ってるわけで、その方たちにも感謝。

回り稽古があって、せうそこもやって、連座基礎もあって…。こうして振り返ると、随分、充実してる。二年目はどうなっちゃうんだろう。ついでに、稽古関連のアナウンスをしてしまうと、今月31日に安森さんの筆動法(残1名)、来月30日にはせうそこの2回目で、鎌倉稽古場の大松さん登場。そして、12月から関西版回り稽古第2弾がはじまり、ここ等持院稽古場は1月に順番が回ってくるとのこと。なんだか、もう来年の足音が聞こえてきてる。

2016年10月22日土曜日

腰痛

腰痛になったことは一度や二度ではない
しかし、今回の腰痛といったら…
そうとうに痛い

夏の終わり頃から、
骨盤が後傾して歩いてる自覚はあった
つまり老衰の兆し
ちょっとまずい

そして、この腰痛
タイムリーとしかいいようがない
このまま老いさらばえていくのか、もうひと踏ん張りするのか
人生のわかれ道
というのは、ちと大袈裟か

静止しているときは問題なし
動いているときも問題なし
止まった状態から動き始めるときが大問題
ちょっと間違うと、ぎゃ〜、と悲鳴をあげることになる

動法で動けばよい
これが稽古者の鉄則
実際、動法の身につき具合が日々試されている
動法の甘さが日々露呈しているというべきか
もとより、自分の体を素材にして技を磨いていくのが整体指導者
悲鳴は上げても弱音は吐かない
いや、その悲鳴も封じ込める

そういう時に限ってひとはやってくる
しかも、これから稽古をはじめよう、などという人がやってくる
みっともないところを見せるわけにはいかない
日々試練

2016年10月18日火曜日

土俵

昨夏、本部で独法がはじまった
その頃からダン先生の稽古の中味も変わってきた
ぼくら相手の稽古が独法・双観法への仕込みの場になってきた

突然、ロイ先生が亡くなり、
その後を引き受けることになり、
修養講座という制度をつくりだした
修養講座で試されているのは、むしろ整体指導者だろう
整体指導者が整体を自分の言葉で話す稽古でもある

どうすれば、これまでロイ先生がやられていたことと、
身体教育研究所でダン先生が追求してきたことを並列させるか
これはなかなか大変な仕事である

稽古場は28年の歴史のなかで、独自の言語空間を形成してきた
それは、ダン先生による野口晴哉解題といえるものだが、
整体協会全体のなかでは共有されてはこなかった

最近、公開講話で感受性という言葉が多用されている
いうまでもなく、整体協会的にいえば、晴哉先生の語彙に属するものであり、
整体を語る上でのキーワードのひとつである
どうやらダン先生は、晴哉先生の語彙を媒介にして、
言葉が通じなくなっていた二つのグループがコミュニケートできるよう
共通の土俵をつくる作業をはじめたらしい
一朝一夕でできる仕事ではない

あたらしい世代
修養講座、独法・双観法で学んだ世代が指導者になるまで最低でも5年はかかる
そこまでは面倒をみるつもりでいるらしい
とんでもない負荷であることは間違いないが、その負荷をさらなる技の進化に転じてしまう
そこが、わが師のとんでもないところである
70代のダン先生を目撃するために、こちらも、もうひと頑張りせねばと思う

2016年10月17日月曜日

歯が抜けて...

歯が抜けてから顔の静けさ (武玉川)

これは名句だな
付句とすれば、どんな句につけたのだろう 

第三折々のうた p131

旅の重さ

映画館でしか映画を見られない
DVDで映画を見ていると、ついipadを取り出して調べものをはじめたり、
怖い場面が来ると、思わずリモコンの停止ボタンを押してしまったり、
いささか集中力を欠いてしまう
映画館の椅子に座り、そこに他の観客もいて、場内が暗くなって、
という環境を自分に強制してはじめて映画に没入できる。

それでも、昔の映画をみたくなることは、ままある
近所にレンタルビデオ屋がないわけではないが、どうも肌にあわない
最近になって図書館ではDVDも貸し出していることを知り、時折借りはじめた
書籍・DVDを10件まで予約できる強み

「旅の重さ」を借りてきた
1972年の作品だから、もう44年前のもの
二十歳くらいのときに、映画館で見ているはずだ
家出して四国を歩いて回る16歳の女の子のお話なのだが、田園風景がほんとうに美しい
音楽は吉田拓郎
四国遍路のことを知ったのは、この映画だったかもしれない
僕自身も旅をはじめたころだ
映画館で一度しか観てない映画を何十年経っても覚えているということは、
それだけ集中していたということなのだな

2016年10月16日日曜日

集団のちから

白山稽古会がはじまってから7年経った
7年というと、そう長い期間とも思えないが、
それぞれが7歳年取ったと言い換えるといささか感慨深いものがある
7年のうち6年は関東から毎月通ってたわけで、まあ、よく続いたものだ

今回はなぜか古いけど新しいひとが参加したり、
最近になく大人数が集まった
といっても10人くらいなのだけれど、いつもよりは多い
それだけで、会の密度が大分増し、「ひとにもまれる」という感じが生まれてくる

普段、等持院ではほんと少人数で稽古している
丁寧といえば丁寧な稽古になるが、「ひとにもまれる」という感じはない
もっと集団のちからを活用したほうが、ひとりひとりのレベルも上げられるかもしれない
そんなことを思った

2016年10月11日火曜日

岡山行き 3

▪️岡山駅がお洒落に生まれかわっているにには驚いた。まずは腹ごしらえと、駅ナカの寿司屋で昼食。さてどうするか。このまま帰ってオーストラリア戦に備えるか、それとも倉敷まで足を伸ばすか。■大原美術館を訪れるのは、いったいいつぶりなんだろう。津山への帰省に合わせてアイビースクエアに行った記憶はあるのだが、まだ母が生きていた頃のことだから20年も前のことかもしれない。大原美術館はコレクションといい見せ方といい、スタッフの対応といい、押し付けがましさがなく、気持ちよく過ごせる。■帰路は相生、姫路と山陽線を乗り継いで京都に帰り着く。学校帰り、仕事帰りの人たちで車内はずっと活気がある状態が続く。内陸側のさびれ具合とのコントラストが著しい。▪️これで西に向け風穴が少し空いたな。




 


岡山行き 2

■津山は次回に回すことにして、岡山に向かうことにした。意地でも往復運動を回避。ホテルが岡山駅まで無料バスを出しているというので、それを利用することにした。出発は11時。それまでの時間を使って、生まれ育った町を散歩することにした。■おそらく20年も前のことになるが、同じようにこの町を歩いたことがある。子供の時の記憶に比べ、町は思っていたよりずっと小さく狭かった。その20年前よりも、さらに町はゴーストタウン化していた。夏草や強者どもの夢の跡。廃墟ツアーができそうなくらいだ。半世紀経つと、町はこのように変貌してしまうのか。日本の津々浦々で見られる風景に違いない。■河原に出てみた。この河原で遊んだのが、ボクの一番古い記憶。母親は他の女たちと一緒に、河原で洗濯をしていた。そんな記憶である。昭和30年−1955年前後、つまり60年前の記憶だ。水遊びして溺れかけたのも、この川だし、平らな石を向こう岸に向けて投げたのも、この河原だった。町の風景は変わってしまったが、川は同じように流れていた。▪️さて、もうすぐ岡山駅だ。


岡山行き 1

■岡山行きを思いついたのは朝起きて空が青かったから。湯郷温泉のホテルが予約可能なことを確かめ、叔母に「これから行きます」と電話し、それから旅支度を10分で済ませ家を飛び出した。京都駅からも津山便のバスはあるのだが、朝いちに1本、あとは夕方に3本。この時間帯(9時)だと大阪駅発の便に乗るしかない。■まずはお土産と、北野天満宮脇の和菓子屋さんに行くが、買いたいものはどれも賞味期限が本日中なので、しかたなく日持ちするお菓子を買ってバス停に戻ろうとすると、今度は、目当てのバスは行ってしまう。なんだか行手を邪魔されているようだ。早足で白梅町のバス停に戻り、西院行きのバスを待つ。大阪駅の雑踏を抜けるのはいやなので、結局、阪急と地下鉄を乗り継いで新大阪。津山行きのバス待ちしている間にホテルに電話してピックアップを依頼。ところが、下車する停留所が近づいたころで、時刻表を一列読み間違えていたことに気づく。美作インターでバスを降り、ホテルに「1時間早く着いてしまいました」と電話すると、15分ほどで迎えの車が来る。■津山の家を畳んだのが6年前の春。以来、岡山の地に足を踏み入れることはなかった。震災後の混乱期と重なり余力がなかったことも確かだが、西に向かおうとすると必ず拒絶された。去年の夏もそうで、石川から岡山に行こうとしたのだが、叔父さんの都合が悪く、結果、京都に向かうことになった。あの時、岡山に行っていたら、京都への引っ越しもなかったかもしれない。■京都に引っ越してきても、まだ西に向かえなかった。妙に、南方向にばかり足が向いた。一年経って、やっと見えない壁を通り抜けた。■ボクが生まれ育ったのが今の美作市林野という町で、湯郷はそこから数キロ南。たまに温泉に入りに来ることはあったが、泊まるのは今回がはじめて。つまり、それだけボクが異邦人になった証拠だ。叔父叔母たちと再会し、宿に戻って温泉にも入り、明日は津山に出てから帰ろうかと思ったのだが…。

2016年10月9日日曜日

せうそこ、その後

6月末に等持院稽古場で開催した「せうそこ#1」を活字化する作業が進行中。はやければ今月末には地下出版物として出来上がってきそうです。その時の話者の安森さんに等持院稽古場で「筆動法」の稽古をやっていただけることになりました。→ 等持院稽古日程。但し、定員6名で、残2名です。更に、11月末にせうそこ#2を開催の予定。話者は大松美紀子(鎌倉稽古場)さんで、テーマは「育つ」。日時は11月30日、17時〜19時。会場は等持院稽古場になります。

合宿

円高になっても外国人観光客が減ってきた様子はあまりない
あいかわらず稽古会に通ってくる人たちは宿の確保に苦労している
等持院を月末の稽古会、あるいは修養講座の宿泊所として使ってもらうのは大いに結構
先月も、東京から修養講座にやってきたついでに等持院の稽古にも出たいという若者がやってきた
どこに泊まるの?と訊くと、ネットカフェという
ネットカフェというと、随分窮屈で不自由な印象があったから、泊めてあげることにした
でも、話を聞いてみると、ネカフェでもそれなりに快適に過ごせるようで、余分なお節介だったのかもしれない
温情をかける必要のない大人たちは逆に泊まりづらいようで、値段を言って下さいと仰る
それはそれで困ってしまう
結局、一泊2500円朝食付きという話になった
朝食つくるの面倒なら、近所の喫茶店のモーニングを食べに行けばよい

等持院稽古場も二年目に入ったので、ちょっと新しい試みもはじめようか
合宿形式の稽古会をやらないかという話もある
定員3名の集中稽古なら可能だろう
一泊二日でどれだけの稽古ができるのだろう?
食事はキダさんにお願いできそうだ
もっとも、キダさんのところでご馳走食べてしまうと、
稽古したことを忘れてしまうのではないかという懸念はある
等持院に稽古に行きましたが、一番印象に残っているのはキダさんのところの食事です
これは困るな
一泊二日一万五千円くらいでできるんじゃないか
稽古して、食事して、観光して...
昔の整体協会の地方講習なんて、温泉場の大きなホテルに何百人も集まってやっていたわけで、ある種の「のどかさ」はあった
まあ、古き良き時代の話ですが

2016年10月8日土曜日

二年目

9月は、夏の疲れと、一年前の引っ越し疲れと、その前の年の看病疲れが一気に押し寄せてきたようで不調の極み。何人かの人に「寂しそう」と声を掛けられたが、まあ、妻の命日が近づいてくると、あれこれ想い出すことも多い。急に涼しくなったので、扇風機を片付けたり、冬支度をはじめたのだが、その後、暑さが戻ってきてしまったのはご愛嬌。台風18号が通り過ぎ、これで、やっと秋になるだろう。旧暦ではもう晩秋なのに。

30年間書き続けてきたので、このブログももう閉じてしまおうかとも考えたのだが、稽古会の告知には使っているので、当面、継続することにした。ただし、以前使っていたseesaaブログは閉鎖し、このブロクの記事も京都引っ越し以前のものは読めない状態にしてしまいました。ただし、資料的に読めたほうが良さそうなものは順次復活させていきます。振り返ってばかりもいられない。

京都暮らしが二年目に入ってようやく次になにが起こるのか少しだけ予測がつくようになった。案の定、今月末の近所の神社のお祭りのための奉加帳も回ってきた。三ヶ月以上咲き続けていたムクゲもようやく終盤に近づいてきて、代わりに南天の実が色づいてきている。秋明菊も咲いている。植物についての知識が増えたのが、ここ一年のいちばんの成果かもしれない。

2016年10月1日土曜日

10月1日

稽古会が終わって一晩すぎたらもう10月ではないか。今回も知恵熱出そうな三日間で、おまけに泊り客が26日から続いたことも影響しているのか、昨晩は爆睡。気がついたら昼近くになっていた。陽が射していたのであわてて洗濯機を回す。このところ雨の日が多く、陽が出ると条件反射的に洗濯する習慣が生まれた。6月末にやったせうそこの掘り起こし原稿に朱を入れていたらあっという間に日が傾いてくる。ほんと、もう秋なのだ。もっとも、暦の上ではもう晩秋に入ってしまっている。時計の針を見るともう17時。買物にでも出かけようかと思っているところに、Bさんから空間現代ライブのお知らせメール。ライブは今晩20時から百万遍南のアンスティチュ・フランセ関西、つまり昔の日仏会館。そういえば、Kさん興味あるかもとメールしてみたら「行きたい!」との返事が来たので、急遽出掛けることにして、買物はあきらめ、Yさんがお土産に持ってきてくれていた新潟の厚揚げをフライパンで焼き、生姜醤油で食べ小腹を満たす。19時に家を出て白梅町からバスで百万遍。Kさんは会場の一番奥の二つだけ置いてある椅子に座って待っていてくれたので、その隣に座る。つまり敬老席だ。ライブは結構な賑わいで、百人近い人たちが立ち見の状態。稽古会関係者の姿もチラホラ。今日はドラムがやたら和太鼓に聞こえてきた。ライブ終わったら21時。再び百万遍まで歩き、西方向へのバスが行ってしまったので、同じ系統のバスを逆向きに乗ったら、丸太町通りではなく東大路を南に走りはじめ、結局、祇園経由で白梅町。随分大回りしてしまったが、期せずして京都ナイトクルーズになってしまう。祇園界隈って、夜でも観光客で賑わってるのね。結局、帰宅は22時過ぎになってしまった。それでも、ライブ開始3時間前に告知を受け、そのままさっと動けてしまうというのは、京都のサイズ感に依るところが大きい。この街で暮らしはじめて丸一年になる。