2016年4月30日土曜日

4月の読書

回り稽古に始まった4月もようやくおわりだ
東京行って、石川行って、おまけに高野山まで行ってと
冬の間ののんびりペースから一転、慌ただしく動きまわってしまった
今月はひたすら多和田葉子

献灯使* 多和田葉子 講談社 2014
言葉と歩く日記* 多和田葉子 岩波新書 2013
雪の練習生* 多和田葉子 新潮社 2011
レッスンする人* 竹内敏晴 藤原書店 2010
たそ彼の妖怪たち* 水上勉 幻戯書房 2003
氷川清話 勝海舟 講談社 1974
職人ワザ* いとうせいこう 新潮文庫 2005
エクスフォニー* 多和田葉子 岩波現代文庫 2012

2016年4月29日金曜日

万博公園

関西にやってきても観たいのは川崎フロンターレのサッカー
なので、ガンバ戦を観に吹田サッカースタジアムに遠征してきた
スタジアムのある万博公園は名前の通り70年万博の会場跡に作られた公園で、
実に46年ぶりに太陽の塔とも再会

万博公園の中には国立民族博物館もある
これは未見だったので、よくばって試合の前に訪問することにした
常設展を観るだけで、「世界は多様性にあふれている」ことがわかる
いや、「あふれていた」と過去形で表現すべきだろうか

ガンバの新スタジアム最高ですね
バックスタンドホーム側コーナー上段の席だったのだが、
コーナーフラッグが掴めそうなくらいピッチが近い
なにより、ピッチ全体が俯瞰できるというのは、試合を見ていて疲れない
フロンターレは随分守備がしっかりしてきた
ガンバの猛攻をしのぎ切った
ガンバに力強さが感じられないのはどうしてだろう
一年ぶりのサッカー観戦













2016年4月28日木曜日

大徳寺

大徳寺に行くなら、曇りか小雨の日にしようと思っていた
今日などぴったりの空模様
白梅町から急行バスに乗ってしまったら、あっという間に大徳寺前
山門はどこにあったっけ〜、と総門をくぐり案内図に沿って山門へ
さて、もう少し奥まで歩いてみようとしたところで事件発生

なんと大井町稽古場の常連だったKさんが着物姿で立っている
最近は、代々木八幡でやっているの松井くんの稽古会に出ているはず
そのKさんがなぜ大徳寺にいるのか?
お茶会に出てくださいと、袖をひっぱられ瑞峯院で進行中のお茶席へ
28日は利休の月命日
大徳寺内のいくつかの塔頭でお茶席が設けられているそうだ
千載一遇の機会はとはいえ、今日の出で立ちはといえば、綿パンにGシャツにスニーカー
まるで、お茶会にはそぐわない
せめて稽古着で来ればよかったと後悔しながら、着飾った女性陣の間に挟まって小さくなっていた

それにしても、どうしてこんなことが起こってしまうのだ
いつでもお茶会に紛れ込めるよう、稽古着生活への完全移行を思案しはじめた

2016年4月27日水曜日

撮影所前駅

京福電鉄に撮影所前という駅が開業をはじめているそうだ
http://news.mynavi.jp/news/2016/04/03/058/
JR山陰本線の太秦駅から徒歩3分ということなので、京都駅方面から等持院稽古場を目指す人には便利になる
google map等にはまだ反映されていない
以前、京都駅に向かうとき、京福電車で帷子の辻に出て、そこからJR太秦駅を目指したことがあるが、予想より遠くて、以来、このルートは使ってなかった
ここから京都駅に出るときにも使えそうである
 京都駅→(山陰線)→太秦→(徒歩)→撮影所前駅→(京福北野線)→等持院
 京都研修会館に行く場合は、宇多野駅下車

2016年4月25日月曜日

自転車

京都で自転車を乗りはじめたときに決めた自分ルール三つ
 1)暗くなったら乗らない
 2)自転車からすぐ降りる
 3)立ち漕ぎをしない
年寄りの冷や水と言われないための自衛策

2キロ圏内は基本徒歩
それを超えると自転車にしようかなという感じ
ただし、買物に行くときは、自転車を使う場合もある

日が長くなって、自転車に乗る機会も増えてきた
ただ、今日など、漕いでいると汗をかくくらい
目的地は北大路駅近くのタバコ屋さん
地図アプリが示す最短距離が必ずしも楽なルートとはならない
少々遠回りしても、起伏のないほうが楽である

西大路を上がって、鞍馬口通に入ると緩やかな下り坂
大宮通に来たところで左折して北上
北大路に出たら再び東進

随分品揃えのよいタバコ屋さんだった
ななめ向いにドーナツ屋さんがあったので、ちょっと立ち寄ってみる
北大路駅ビルの中にある本屋さんをのぞき、帰りも同様のルートで帰ってきた

2016年4月24日日曜日

みやこわすれ

庭に咲いている花の名前がわからない
というのはもどかしい
むらさき色のかわいい花
みやこわすれというらしい
稽古に来てくれた方に教わった

ここでいうミヤコとは京都のことだが、
自分に引きつけて考えれば、普段東京のことは忘れている
ときおり連絡をくれる娘の声を聞いて、
ああ、30年の関東暮らしは幻ではなかったのだ
と思い出す


2016年4月22日金曜日

音読

ひとりで暮らすことのメリットは、
自分が音を発しても咎められないということである
ゲップをしてもオナラをしても文句を言われる心配がない
ただ、大きな叫び声を上げると、その声がお向かいの家まで届いて、
様子をみにくるか、110番される可能性がないわけではない

多和田葉子のエッセイのなかに、作者が自らの作品を朗読するという話が出ていて、
そういえば、本を声に出して読むという習慣から随分離れていることを思い出した
黙読自体、明治以降に広まった読み方で、それ以前は音読が主であったようだ
でも、貸本文化のあった江戸期、黙読がなかったわけではないだろうとは思う

夜中思いついて、読みかけの『雪の練習生』(多和田葉子著)を声に出して読んでみた
漢字の中から、ひらかなが破片となって飛び出してきた
紙に定着していた活字が、空中で舞いはじめた
吃驚したが、ほんとそんな感じなのです
マティアス、クリスティアンといったカタカナ名も声にすると角が取れて丸く感じる
調子に乗って、どんどん声にして読みすすめていった
なかなか先には進めないが、黙読とはちがう経験

いったい一頁読むのにどれくらいかかるのだろう
測ってみたら一頁3分
250頁の本なら12時間30分で読み終えられることになる
一回で読める分量にも限りがあるだろうから、黙読の二倍三倍の時間がかかるだろう
でも、「文章を味わう」ことが本を読むことであれば、音読という行為によって定められた速度こそが、適度ということになる

乱読家という呼び名を返上しよう

2016年4月19日火曜日

ワーク考

ユズルさんの紹介もあったりしたせいか(べったりか...)、いわゆるボディワーク系の人たちがポロポロと現れはじめた。その人たちの言葉の使い方が面白い。たとえば、「ワークを受けたい」とおっしゃる。「稽古したい」「操法を受けたい」と比較すると、どちらかというと後者に近いニュアンスのようだ。workは仕事であり作品でもある。語感もイヤではない。ただ、英語のworkと、ここで使われてる日本語としてのワークは、意味合いがだいぶ違っている。意味のズレに注意がいってしまうのは、このところ読んでいる多和田葉子ののせいなのだけれど、はたして、「稽古」を他の言語で表現するとして、それはいったい何になるのだろう。稽古の原義である「いにしえについてかんがえる」というところまで遡らないと、ふさわしい言い回しにたどり着かないのではないか。さて、ぼくらは、原則的に受ける人にも坐法臥法というものをリクエストしている。つまり、「ワーク(?)の半分は貴方が担うんですよ」と言ってる。なぜぼくらが、自分たちの場所を稽古場と呼んでいるのか、新しい人たちと話すことで、その立処が少しだけはっきりしてきたような気がする。

2016年4月15日金曜日

サンダーバード

京都駅から2時間と少々、月例の白山稽古会行きは随分と楽になった。飛行機で、あるいは上越北陸回りで、よく5年間通っていたものだと思う。

サンダーバードの車窓から眺める琵琶湖は春模様。

























15時に松任に着いてしまったので、ワンネススクールの森さんの連絡してみると、夕方には鳥越から金沢に戻るとのこと。まだ行ったことのない金沢校を訪ねてみることにした。広い道路沿いのちょっと「西部」感の漂うエリアで、松任のころとはだいぶ趣が違う。「制服を稽古着にしなさいよ」と無責任かつ素晴らしい提案をして帰ってきた。

2016年4月13日水曜日

たそ彼の妖怪たち

『たそ彼の妖怪たち』(水上勉 幻戯書房 2003)という本を読んでいる。水上勉は13歳から数年間等持院で小僧だった。この本は、同時期小僧をしていた二歳年上の衣斐陽三という少年への追悼として書かれたものである。ただ、等持院の新住民としては、昭和初期のこの地域についての記述により興味をそそられてしまうのは、いたしかたのないところ。

日夏耿之介、金子光晴らが震災後、関東から避難してきて滞在していたという伝聞が述べられ(p.100-101)、更に、「私が入った頃は境内に東亜キネマ撮影所があったので、間借りする映画人が多かった」(p.116)とある。このことは、立命館大学のマキノプロジェクトというサイトで知った。記述はさらに続き、「尾上松之介や河部五郎や嵐寛寿郎が撮影に来ない日がないほどで、境内での撮影があると小僧も借り出された。...石田民三などは、門前の鳥原というタバコ屋の二階からどてら姿で来て、小僧に銀紙を貼った板をもたせてライトがわりに俳優や女優の顔を照らさせたものである。」石田民三という映画監督のことはしらなかったが、鳥原というお店はいまでもあって、時々、等持院饅頭を買いに行く。

マキノプロジェクトには、「当初、等持院山門をくぐると参道の西側部分にステージ1棟、倉庫、俳優部屋、事務所があった。」という記述がある。つまり、ここ等持院稽古場は、旧東亜キネマ撮影所跡に建てられたと考えてよいだろう。1932年10月、東亜キネマ撮影所閉鎖とあるから、この場所が宅地になったのは、1932年(昭和7年)以降のことだと思われる。つまり、古都京都とはいえ、この場所に人が住んでいるのは、たかだか80年ということになる。もっとも、もともとがお寺の境内だったわけで、ずっと以前は墓地だった可能性がないわけではない。

2016年4月12日火曜日

断片

公開講話と初心者コースに一年以上通っている人がやってきて曰く、公開講話は楽しんだけれど、いろんな断片ばかりを受け取っている気がすると仰る。まったくその通りで、稽古を30年ちかくやっている我々にとっても同じである。その断片をどのように組み合わせて全体像を捉えていくか、創り上げていくか、それ自体が稽古ということになる。いちばん安易なのは、自分がすでに知っていること、やったことのあることに引きつけて理解することだが、これだと単なる矮小化でおわる。稽古を続けていけば断片の数はどんどん増えていき、混乱の度合いはより高まり、途方に暮れてしまうことになる。わかった!と思う場面は一瞬やってくるが、たいがいそれは単なる勘違いで、再び奈落の底に突き落とされることになる。像が結ばれそうで、なかなか結ばれない宙ぶらりんの状態にある自分をどれだけ愉しめるか、稽古を続けられるかどうかは、そこにかかっている。

2016年4月11日月曜日

三泊四日

初日は新横浜で降り、あざみ野で娘と待ち合わせ32℉へ
途中、妻の看取りでお世話になった在宅診療の先生・看護婦さんコンビと遭遇
32℉には旧ご近所さんも来てくれ、しばし歓談
夕食は吾妻橋の鰻禅へ
清澄白河泊

2日目3日目は二子玉川で整体操法講座
これまで学んできたことが総合される刺激的内容
向こう十年分の課題をいただく
ダン先生にもあと十年元気でいていただかねば
泊めてもらったみどり稽古場から二子玉川に向かう途中の郊外の風景がなつかしい

操法講座終了後、12人でお茶を飲むことになったはよいが、
日曜日の二子玉川にこれだけの人数をまとめて収容できるお店はない
アンクルサムズに電話して場所を確保、上野毛に向かってぞろぞろと歩き始める
関東組関西組東北北海道組が一堂に会する稀有な機会
一瞬自分がどこにいるのか見失ないそうになる

最終日は、現代美術館近くのナンディニという南インド料理店でランチ
深畑くんも合流し、むすめを含め3人でそれぞれの近況報告
木場公園を抜け、東西線の木場駅から大手町へ
東京駅で迷子になりながら新幹線ホームにたどり着く

三泊四日の旅を終えて京都帰着
やっと京都と東京が地続きになった
今週末は白山稽古会もあるし、ちょっとペースが上がってきたのかな

2016年4月6日水曜日

きまらない

このブログは半ば自分の備忘録として書いているのだが、「稽古覚書」として稽古してきたなかで気づいたこと、覚えていることをメモしていくことにします。

【きまらない】
稽古会がはじまっても、まだやることが決まらない、そんなときがある。毎度ではない。そんなときは、皆の前で話しながら、同時になにをやるかを考えている。それでも決まらないときは、決まらないまま、エイっと、誰かを前に出す。「xxさん出てきてください」と声をかけると、スッと前に出てくる。その僅かな空気の動きが初動となって稽古がはじまる。問題なのは、誰を前に出すか、ということ。大井町稽古場でやっていた頃、スズキくんという、当時まだ学生だった若者がいて、随分、彼には助けられた。空気が動く人と、そうでない人がいるのだ。これで、空気が動かなければ、もう八方づまりである。ただ、土壷にはまりかけたことはあるが、落ちたことはまだない。

【正座】
正座はいまでも苦手である。ひとの話を聞きながら座っている時というのは、すぐ足がしびれてくる。いまでも公開講話2時間はつらい。ところが、話す側に回ると全然平気なのだ。おっ、あいつ痺れてきたな、くらいの余裕を持って眺めている。自分がつらくなってきたら、そこで休憩を入れればいいという余裕のなせる技なのか。

【サピア=ウォーフ仮説】
ユズルさんの傘寿のお祝いのときだったか、稽古場でやっていることを話ししたら、「ダン先生はトランスパーソナルのことをやりはじめたのね」、という反応が返ってきた。トランスパーソナルという言葉の前提になっているものは、もちろん、パーソナルという言葉であって、はじめに「個」ありきということだ。言語によって、その前提となるものが異なることを痛感した。「言語によって世界の切り取り方が異なる」というサピア=ウォーフ仮説というのがあるらしいが、いまでは昔の理論として忘れさられているとのこと。えっ、どこがだめなのと僕など思ってしまうのだが、このあたりの経緯をどなたかご教示いただければありがたい。

2016年4月4日月曜日

平野神社

平野神社に行ってみたら、えらいことになっている
桜の名所ということは聞いていたが、これほどの人出とは...
平野神社を抜けて北野天満宮に行くと、こっちは閑散としている
ついこないだまで、梅見の人で賑わっていたのに
人は、人が集まるところに集まるようにできているらしい



回り稽古終了

回り稽古無事終了
最初は、ホームなのにアウェイ感あり、あれあれと思ったが
実習がはじまると空気が動きはじめた

真ん中の六畳+広縁に私も含め16人がちゃんと収まり、
十分稽古できるスペースであることを確認
定員3名でやっている集団の稽古も、人数が増えてくれば、こっちでもできそう

稽古の中味については触れない
6回シリーズの初回にしては、まずまずだったのではないか
あとは後続の担当者におまかせすることにする

この回り稽古、一応初心者が対象なのだが、
稽古をはじめて四五年たったくらいの人たちにもよさそうだ
自分たちが取り組もうという稽古の世界を捉え直すよい機会になる

ともあれ、参加者のみなさん、スタッフの皆さん、ご苦労様でした
旅はまだはじまったばかり
よい稽古の旅を!

2016年4月2日土曜日

回り稽古前夜

回り稽古まで24時間を切った
和室六畳と広縁の間の障子を取っ払い、
炬燵を上げて押し入れにしまい込み、広縁のテーブルも片付けると
けっこう広い空間が立ち現われてきた

掃除機をかける
引っ越してきて半年になるが、
これまでで一番丁寧にかけたのではないか
これでようやく空間ができあがる
まず空間ができあがらないと、どんな稽古が可能かが見えてこない

回り稽古は昨秋東京ではじまり、
この春は、関東関西ふたつのエリアで同時にはじまる
1グループ12人の初心者が、6人の担当者のもとを訪ねる
設定されているテーマ(今回は「足捌き」)に
担当者が夫々サブテーマをもうけ、夫々の稽古をやる
面白くないわけがない

昨秋の関東編では担当は回ってこなかったが、
京都に引っ越してきて回り稽古が追いかけてきた
しかも初回担当
ちょっと緊張している