2016年12月31日土曜日

黒豆を煮る

正月に黒豆くらいは食べたい
さいわい、袋三分の一ほど黒豆が残っている
とにかく弱火でことことと煮ていく
錆釘などを入れるとよい
この程度の知識はある

一晩水につけておいた黒豆を鍋に移し、調味料を入れて火にかける
鍋の代わりに、普段は火鉢に載せて白湯を沸かしている鉄瓶を使うのはどうだ?
暴挙といわれそうだが、理にかなっている
焦げつかせることさえしなけば、きっと美味しく煮上がるはずだ
錆釘も不要

去年、石川からもらってきた錆びた鉄瓶
一年使っているうちに錆は抜けてきたが、それでもまだ少し茶色の白湯になってしまう
それはそれで美味しい

目論見通り、おいしい黒豆ができあがった
しばらくは、黒豆風味の白湯を愉しむことになる

12月の読書

ヨーロッパ・コーリング* ブレディみかこ 岩波書店 2016
義太夫を聴こう* 橋本治 河出書房新社 2015
イギリス人アナリスト日本の国宝を守る* デービッド・アトキンソン 講談社α新書 2014
バラカ* 桐野夏生 集英社 2016
聖地巡礼 Beginning* 内田樹・釈撤宗 東京書籍 2013
寄生獣*1-6  岩明均 講談社文庫 2014
文楽の男* 初世吉田玉男・山川静夫 淡交社 2016
あらすじで読む文楽50選* 高木秀樹・青木信二 2015
欧州・トルコ思索紀行* 内藤正典 人文書院 2016
日本人はなにを捨ててきたのか* 鶴見俊輔・関川夏央 ちくま学芸文庫 2015
多次元に生きる* オルダス・ハクスリー コスモス・ライブラリー 2010
人間、やっぱり情でんなぁ* 竹本住大夫 文藝春秋 2014

2016年12月30日金曜日

大阪

大阪に出かけるのはお寺がらみのことが多い
京都に住み始めて、年に何度かお参りに来るようになった
行かなくてもいっこうに構わないのだが、不思議に足を運びたくなる
そもそも、仏壇に毎日お線香をあげてる自分が信じられない

去年も年末の30日、お墓参りにやってきた
そのあとで、南に下って、はじめて四天王寺にお参りした
お寺からの距離は、上町台地をたどって、たかだか1キロ半くらい
今年も同じルートなのだが、途中、生國魂神社に寄ってみることにした

谷町筋を南に下り、この辺りかなと目星をつけていた角を坂を下って行くと、
いきなりラブホテル街に入り込んでしまった
その先に生國魂神社があるのだが、途中、幼稚園があったりもする
どんなエリアにも生活はある

生國魂神社は初めてなのだが、いやすごいところ
上方落語発祥の地で、井原西鶴があの有名な俳句興行をやった地でもあるそうだ
















































そこから四天王寺に寄って、教えてもらっていた釣鐘まんじゅうを買い、
そのまま天王寺を目指すことにした
歩きながら、僕の趣味は「街歩き」だなと合点する
そう、どこに行っても、その街の空気を味わうために、ひたすら歩く

























(六万体? 一瞬ギョッとしたが、古い由来があるようだ)

天王寺が近づくにつれ、カオス度が増す
京都に比べると、大阪はカオスな感じがするが、このエリアはさらにカオス
新しいビルは見えるのだが、そこにたどり着くまで、昔ながらのお店が軒を連ねている
東京の雑踏とはなにが違うのだろう
あえていえば、よりアジア的


(← 一瞬ゴジラが現れたかと思った ↑ なかなか複雑な心境かも)

今日の散歩はここまで
御堂筋線で梅田に戻り、阪急電車で帰ってきた
もっとも、あたたかさに爆睡して、あやうく大阪に逆戻りするところだったのだが

2016年12月28日水曜日

12月28日

ゴミ出しに外に出たら雪が舞っている
午前中、ニューヨークから帰国している40年来の友人夫婦が訪ねてきてくれる
互いに老けてきたことは確かだが、話しはじめると20代の頃と寸分変わらない気分になる
火鉢を気に入ってくれた
ちょっとだけニューヨーク再訪を考えはじめる

午後、今年最後の中央図書館
予約していた本を受け取り、書棚から正月用にアジェンデの「精霊たちの家」も借りる
この大作、どこまで読み進められるのだろう
そういえば、「百年の孤独」、3分の2くらいで止まってるんだー2年くらい

六波羅蜜寺に向かう
年末のこの時期、空也躍念仏というのをやっているらしい
空也上人像も見てみたい
ご住職のお話に続き、僧侶三人の念仏踊り
そのあとで、参加者は焼香して願いごとをすることになっているのだが、
なにをお願いすればよいのだろう

六波羅蜜寺を出て、宮川町を通り抜けて四条通りに出る
このあたり、足を踏み入れたことがない
高瀬川の脇にある喫煙所で一服
年の瀬の四条河原町
成城石井でクッキー、紅茶など買って帰宅

あとは、明日天皇杯準決勝を観て(フロンターレ頑張れ! なんで長居でやらないんだ)、
明後日、大阪のお寺に顔を出すくらいだ
大晦日に稽古したいという殊勝な方一名、帰省途中に京都に寄りたいという方一名

なんだかんだいって、今年もあと三日
メディアは激動の一年と今年を総括するのかもしれないが、
わたくし的には、ようやく平和な一年を過ごせました
いたって元気なのだが、まだカラ元気
来年は中身を湿らせなければね

随分冷え込んできた
明朝は氷点下にまで下がるらしい

2016年12月22日木曜日

旅納め

今年も暮れようとしている
普段は京都で隠遁生活をしていて、家から一歩も出ないという日も結構な数ある
ことに日が短くなった秋から冬にかけて、そのような日が増えた
月例の白山稽古会、4ヶ月に一度東京である研修会がなければ完璧なひきこもりである
だから遠征に出るときには、ちょっとだけ欲張ろうとする

ひとふでがきの旅が好きということは以前どこかで書いた
今月の北陸・東京遠征も、当初は、京都〜石川〜東京〜京都というルートで考えていた
ただ、そのまま寒い京都に帰ってくるのではいつものパターンで能がないので、
他にどんな可能性があるか探ってみた
ここから先はもうほとんど頭の体操なのだが、
LCCを使って、成田ー台北ー関空というルートも考えられる
東京ー京都の新幹線費用を考えると、そうべらぼうな値段にはならない
でも、この年末に海外まで足を延ばす気にはならない

飛行機で大分に飛んで、友人を訪ねることにした
うまくすれば、別府温泉につかる時間くらいあるかもしれない
大分からは夜行の船で関西に戻る予定
そうそう、しばらくぶりに船の旅もしてみたかったのだ

2016年12月15日木曜日

愛宕山

誘われて愛宕山
清滝から歩き始める
愛宕神社まで4.2キロ
























いきなりの急勾配に息が切れる
うん、だいぶ体がなまってると自覚しても、もうあとの祭り
100メートルごとの道標がなかなか進んでくれない
























道標(1-41まで振られている)15くらいまでは、休み休み登るしかない
高尾山程度と思っていたが甘かった
それでも15を過ぎたあたりから、普通の山道となり、水平移動も増えてくる
急に視界が開け、桂川の蛇行が確認できる地点にたどり着く
これでもまだ半分か〜

























空は晴れなのに、時々雨も舞う、いかにも冬といった感じの天候
30を超えると、ゴールが少し見えてくる
雨かと思ったら、なんとみぞれ
ただ、粒が細かくて、雨のようにしか見えない
黒門を過ぎたころから、雪に変わる
おお、今年初めての雪だ
登り口よりも大分気温が低い

























愛宕神社到着
所要2時間と少々
いかにも山が神様といった風情の神社だ
お参りのあと、休憩所で朝作ってきたおにぎりをほうばる
手がかじかむほどに寒い

下山
登り2時間なら、下りは1時間でしょう
と思ったが、ゆうに1時間半かかった
登りで手こずった最初の急勾配を降りるときはスネがひきつりそうになるくらい
下山途中で虹を見た
陽が西に傾き、その西日によって作られた虹が、自分より低いところから上に伸びていた
雪に触れ、虹を見て、なかなかよい愛宕神社参拝となった

2016年12月13日火曜日

印刷物

身体教育研究所ができて28年
この間、どんな印刷物が生まれてきたのか俯瞰してみた
手元にあるものだけ並べてみたけど、一部しかないものも多く、もはや貴重な資料だ





















動法としての書展 1990年
世田谷美術館でやった書展用のパンフレット
文章は助手第一号の井上さんとダン先生の共作だが、とにかく気合が入ってる

臥法 坐法 1993年
戸村さんによる漫画二部作
登場人物がだれかを彷彿とさせて楽しい

季刊独鬼 2000年代中期
発行日を調べたが、どこにも印刷されていない
おそらく、2000年代中盤
季刊をうたいながら、結局創刊号しか出てない
ただし、中味は半端なく濃厚で、ことに裕之先生の「形見」は必読

のんき
これは大井町稽古場の連句会からうまれた手作りミニコミ
3号くらい出たのかしら

動法研究 2013年〜
指導者に配布されている稽古報告書のまとめ
稽古を言葉にすることのむづかしさと大切さを実感する

白誌 2014〜15
2014年から出たメルマガの印刷版
メルマガ自体、二期(第一期は半年、第二期は一年)続いたから、
延べ48冊出たことになる
裕之先生の公開講話記録などが収録されている

回廊 2016年
回り稽古の報告書
第2号がもうすぐ出るはずだ

せうそこ

2016年12月9日金曜日

二度目の冬

京都での二度目の冬である
昨年は廊下暖房と称して、ガスファンヒーターをガンガン焚いていたのが、
光熱費がべらぼうな額になってしまったので、今年は戦略変更
まず厚着から入ることにした

寒さに適応してきたのかもしれない
それとも厚着効果か、寒さの感じ方が昨年ほどではない
稽古着を着ていると暖かく、このまま稽古着生活に入っていけそうだ
もっとも、本格的な寒さはこれからである

ガスを焚かない分、炭の消費量は倍増
朝、炭をおこし火鉢に移すと、その火を寝るまで絶やさない
近所ーといっても歩くと10分くらいかかるのだがーの米屋で買ってきた6キロの切炭がひと月で底を尽きそうな勢い
重くて運ぶのもたいへんだからと、ネットで調べてみたら、米屋で買ったのと同じ岩手産のものが半額で出ているではないか
うーん、ネット依存は考えものだが、これくらい値段が違うとそっちに流れてしまいそう

庭の手入れもひと段落
ムクゲの木は、葉っぱが落ちた時点でだいぶ刈り込んだ
何本もある南天の木の透かしもやり、
上に伸びてしまった椿の木も手入れしやすいように短くした
小枝を切り刻んでゴミに出し、今は太めの枝をのこぎりで刻んでいるところだ

2016年12月5日月曜日

堀川

洛外の人が洛中に行くときに、ちょっと前までは「京都に出かける」と表現したらしい。洛中洛外については、井上章一の「京都ぎらい」に詳しく書かれている。一年前、京都に越してきて最初に丸善で買ったのが出たばかりのこの本で、面白く読ませてもらった。

どこまでが洛中で、どこからが洛外かというのは諸説あるようだが、私が住んでいるのは言うまでもなく洛外。最近では、行動半径がどんどん縮小して、「洛中」に行く機会が随分と減った。普段は自転車で移動しているのだが、南は丸太町通り、東は堀川、北は北大路、西は研修会館どまりである。西大路の東、北大路の南を洛中とすれば、実際には洛中も行動半径の中に入ってくるのだが、問題は堀川通り。

一週間か十日に一度は中央図書館に出かけている。丸太町通りまで下り、そこから東に進んで行くと中央図書館。ただ、ここから御所方面に向かおうとすると堀川通りが大きな壁となって立ちはだかる。京都市内を南北に貫く他の通りより幅の広い道路に過ぎないのだが、この堀川が越えられない。昔は、名前の通り川が流れていたのだろう、強力な結界になっている。結局、堀川丸太町の交差点で左折北上して帰ってくることが多い。

どのルートを使えば自転車で洛中に入れるのか、つまり堀川を越えられるのか? 最終的に見つけたのが中立売通。北野白梅町から一筋南の一条通りを東に進み、七本松通りのところで中立売通りに入り、そこから南東方向に下って行く。そのまま千本通りを越え、御所方面に向かうと堀川。ここだとなぜか堀川通りが越えられる。あとは、ゆるい下り道を東に南に自転車をこいでいれば烏丸丸太町にたどりつく。人力で移動していく面白味がこんなところにある。

2016年12月1日木曜日

稽古日程12月

最新版はこちら
下記カレンダーはクリックすると拡大されます

等持院稽古場を開いて一年が過ぎました。1月以降、稽古の組み方など少し変えていこう、いや、変えねばと思っているのですが、まだ未確定で、稽古カレンダーを前にして試行錯誤中。表示されている1月以降のものは、まだ決定版ではありません。今月中旬までに確定させる予定です。

【12月】

15日の連座は「個人教授」に変更します
16日〜23日 北陸、関東遠征につき稽古会はお休みです
公開講話は24日、13時〜15時に行います










2016年11月30日水曜日

11月の読書

転換期の日本へ* ジョン・W・ダワー ガバン・マコーマック NHK出版 2014
おいでよ、小豆島。* 平野公子と島民のみなさん 晶文社 2016
芭蕉の風景 文化の記憶 ハルオ・シラネ 角川書店 2001
アジア未知動物紀行* 高野秀行 講談社文庫 2013
ザ・ロード* コーマック・マッカーシー ハヤカワepi文庫 
となりのイスラム* 内藤正典 ミシマ社 2016
謎のアジア納豆* 高野秀行 新潮社 2016

2016年11月23日水曜日

手紙

6月末にやった「せうそこ」が印刷物になって帰ってきた
大きな一枚の紙の表裏に印刷し、それを懐紙くらいの大きさに折り畳んでいる
まるでお手紙のようだ
僕自身は、文章のチェックくらいで、ほとんどなにもやってない
稽古場の女子力が結集されて、このようなものが出来上がっってきた

これは、お手紙です
企画者から読者への手紙であり、
この企画に関わった者たちからのダン先生への手紙でもある
僕から東京の友人たちへの手紙であるとさへ言える

どこかの稽古場で見かけたら、是非手にしてみてください

2016年11月22日火曜日

嵐山

嵐電等持院駅まで徒歩3分
帷子ノ辻乗り換えで嵐山まで20分
家を出てから半時間で嵐山到着
普段は一輌で走っている北野線もこのシーズンは2輌編成のようで、
車内もえらく混み合っている
客の大半は観光客らしく、しかもその半数は外国人
観光客に囲まれていると、こちらまで観光気分になるのは不思議
人の流れに沿って動いていると、保津川右岸を上流に向かって歩いて行くことに
たしかに嵐山は紅葉の名所

インバウンド観光は輸出だとよくいわれる
嵐山に集まってきている外国人観光客を眺めていると、
金銭的なことのみならず、「紅葉狩り」という文化を輸出してるということがよくわかる
なんせ、紅葉を愛でる習慣のない人たちに平安時代から伝わる紅葉狩りの伝統を売ろうとしている

渡月橋を渡り、阪急嵐山に向かって歩く
河川敷は公園として整備され、屋台っぽいお店もたくさん出ている
阪急嵐山からも観光客が続々と出てくる
この時期、嵐山を楽しむのであれば、午前の早い時間に出掛けた方が良さそうです

さてここから、ここ二週間、ツイッターのTLを埋め尽くしてくれている映画を観に行く
上映館が京都市内とはいえ、随分と遠く、
京都駅あるいは西院、つまり市中を経由していくのがスタンダードなルート
地図を眺めているうちに、思いついたのがこの嵐山ルートなのだ



2016年11月20日日曜日

納豆汁

高野秀行の「謎のアジア納豆-そして帰ってきた〈日本納豆〉」は今年読んだ本の中でベスト3に入る傑作。これを読んで急に納豆汁を作りたくなった。クックパッドであらかたの作り方を確認。鍋に昆布を少しだけ敷いて、そこにイチョウ切りした大根を入れて火にかける。そこに秋田でもらってきていたなめこ缶を開け、豚肉はウインナーソーセージで代用することにして細かく刻んで放り込む。冷凍保存していた納豆を解凍し、それをすり鉢に移し味噌と一緒に擦っていく。大根が煮えたくらいで、この納豆&味噌を鍋に入れる。気がつくと鍋一杯の納豆汁もどきが出来上がってしまった。この量だと、むこう三日は納豆汁だな。味見すると材料の種類が少ない分、やや平板な感じは否めない。つぎ作るときは、油揚げは入れなくてはと思う。食べてみると胃にこないで、ハラにくる。お腹があたたまってきて、いかにもこれは冬のたべものだ。

納豆汁なるものをはじめて食べたのは秋田に行ったときのことで、義妹が作って食べさせてくれた。芋煮などにつながる東北特有のたべものらしい。山菜やらキノコが入っていたような。娘に訊いたたら、里芋も入ってたよとのこと。たしかに、里芋を入れると美味しいだろう。ねばねば系総出演だな。「謎のアジア納豆」によると、日本において納豆のルーツは秋田にありということになっているらしい。また納豆は東南アジアの山岳民族の間で広く作られていて、ただ、日本のものほど糸引きしない。食べ方も多用で、潰して平べったくおせんべいのようにして乾燥させて保存させ、使うときは、それを割って料理の材料として使ったり、調味料として使うことが多いらしい。日本で納豆=糸を引くものとされてきたのは最近のことで、ご飯と一緒に食べることに特化された結果ではないかという。また、海側の住民は魚醤系の調味料を使うのに対し、山岳系の民は納豆を調味料として使う。非常に説得力のある説。秋田南部内陸住民=シャン民族説など照葉樹林文化論などと繋がってきてまことに愉しい。

2016年11月17日木曜日

開通

山門修復工事のため8月末から閉鎖中だった山門ルートですが、ようやく開通しました
工事はあと暫く続くようです


2016年11月14日月曜日

回り稽古考

身体教育研究所ができて28年
裕之先生はいったい何コマの稽古をやってきたのか
数千コマ? あるいは万という数になっているかもしれない
一つとして同じ稽古はない

いま身体教育研究所の指導者として活動している人たちは、
その数千コマの稽古のうち、ごく一部のものに参加しているにすぎない
身体教育研究所に入ってきた時期も経緯も当たり前だが人それぞれ違う
集中的に稽古に参加していた期間もまちまちだ
稽古の中味がそれぞれ驚くほど異なったものになっているのは、このような理由による

何年か前、「賞味期限切れ」感に苛まされていた時期がある
新しい世代が台頭してきて、もうオレなんか居なくてもいいんじゃない?と引退を考えた
今は、多少なりとも「多様性」に与しているのでは、という一点で現役に踏みとどまっている
この多様性を横断している共通の空気感が間違いなく在る
数多くの稽古場で稽古を担当させてもらった経験からいわせてもらうと、
最初多少のアウェイ感はあったにしても、それは初対面同士が出会ったときの緊張感で、
一旦稽古の実習に入ると、瞬く間にそのアウェイ感は消え、稽古会の空気感がその場に立ち上がってくる

稽古の多様性と共通の空気感
回り稽古とは、稽古会を構成しているこれら二つの要素を経験していくための仕組みだ
しかも、よくできた仕組みだ

2016年11月10日木曜日

永い言い訳

妻と父の三回忌が終わったら、急に寂しくなった。取り残されて置いてきぼりをくった幼な子が、いなくなった母親を探し求めているような、そのような寂しさ。でも子どももいずれ、親以外の世界があることを学んでいくのだ。

先月、西川美和監督の『永い言い訳』という映画を観てきた。まったく、この西川監督、侠気のある方で、男の情けなさをギリギリと突いてくる。長い結婚生活の中で、喧嘩したことのない夫婦者はまったく幸せな方で、それに文句をつける筋合いはまったくないのだが、たいがいは一度や二度一度、「こいつがいなければ」くらいのことは呟いたことはあるのではなかろうか。ただ、いざ実際に先立たれてしまうと、残された男は、続きの人生を言い訳しながら生きていくしかない。まったく、タイトルの付け方からして憎ったらしい。

今週は暇なので、白山稽古会の前に山中温泉に寄っていくことにした。ついでに、いつも素通りしている敦賀で途中下車し、気比神宮にも立ち寄ることにした。敦賀は奥のほそ道の終点手前。芭蕉の句碑も境内に建てられていた。山中温泉は三年半ぶり。ひょっとすると、あれが最後の家族旅行だったのかもしれない。前回は4月下旬なのに随分と寒かったのだが、今回はこの冬一番の冷え込み。山中温泉もまた、奥のほそ道、ゆかりの地である。

























月清し遊行のもてる砂の上

2016年11月7日月曜日

育児講座

30年前、上京して整体協会事務局に入り、最初に任された仕事が育児講座の受付だった。月刊全生をひっくり返してみると、この年、1986年夏の育児講座は二週間に渡って行われている。当時、裕之先生の講義は子育てに関するものが多く、その時代に整体の勉強をはじめた人間は、整体の人間観をこれらの講義を通して学んでいったように思う。今、鎌倉稽古場を担当している大松さんとはじめて会ったのは、この育児講座のときではなかったか。この月末、等持院稽古場に、その大松さんに来ていただき、「育つ」というテーマで話すことになっている。それぞれジイさん、バアさんになった我々が、30年前の育児講座をふり返るのも一興だ。




2016年11月2日水曜日

網戸

快晴
冬が来る前に網戸を洗っておこうと、
広縁のガラス窓の先にはまっている網戸を外した
洗剤をつけたタワシで洗い、散水用のシャワーで洗い流した

乾かしている間、広縁の椅子に座ってみたら、随分と明るい
そうか、窓の半分を網戸が覆っていたのだ
冬の間は、網戸なしの方が、陽がたくさん入ってくるんだ
乾いた網戸は押入れの奥に滑り込ませた

六畳間との間の障子戸を閉めればサンルームの完成だ

2016年11月1日火曜日

錐体外路系

10月末の公開講話でいきなり「錐体外路系」の話が出てきてびっくりした。活元運動の説明のときに、この錐体外路系という言葉は用いられてきたが、だれも実感を持って使えない、こそばゆい感じがいつもつきまとう、そんな単語だった。医学界では死語扱いされているそうだ。その錐体外路系という言葉がダン先生の手によって、ゾンビのように蘇ってしまった。なんちう人だ。帰宅して、思わず、公益社団法人になって手を入れられた定款を読み直してみたら、ちゃんと錐体外路系という単語が使われている、というか最重要ワードとして扱われている。

(目的)
第3条 この法人は人間行動における無意識領域を錐体外路系運動という身体運動 の不随意相から考究し、それらの関連機序を視点とした身心関係の調和を促す身体 技法及び生活法の開発と実践に努め、以って、当来の教育学・体育学・人間学をは じめ人間に関わるあらゆる学術研究の発展に寄与すると共に国民個々の身心の人間的基盤を豊穣たらしめんとすることを目的とする体育団体である。

医学界に打ち棄てられた単語を整体協会が後生大事に守ろうとしているわけだが、今回の公開講話では、「錐体外路系」が「前近代的身体」を表現するものとして再定義されてしまった。ゾンビして蘇ったというより、新しい息吹を吹き込まれて再降臨した感じ。これなら、実感を持って「錐体外路系」という単語を使えそうではないか。

活元運動の「元」とは、前近代のことなのです、となれば、自ずと、いま活元運動として行われているものの大半が「近代」の動きであり、「元」にたどり着いてないことも明らかになっていく。裕之先生、晴哉語に新しい意味=感覚経験を付け加えることで、あたらしい「土俵」を作ろうとしている。なんと野心的な。

2016年10月31日月曜日

冬支度

よい季節というのは意外に短い
4ヶ月の冬があって、4ヶ月の夏があって
間に2ヶ月づつの春と秋がある
そんな感じではないか
それでも北陸の人が関西で暮らしはじめたとき、
秋が12月の初めまで続いていたので羨ましかったという話をしてくれた

夏が終わったと思うと、一気に寒さがやってきた
去年は、寒くなって慌てて暖房器具を買いに走ったので、
今年は先回りして準備することにした
ホットカーペットを引っ張り出し、ガスファンヒーターも出してきた
とにかく台所が寒いので、勝手口を引越し時の残りもののポチポチで封じ、
床用にラグも注文
屋内防寒用にオーバーパンツまで頼んでしまった

テレビで昨年は暖冬だっと気象予報士が話している
おいおい、暖冬だったっけ?
結構寒さ厳しかった記憶があるのだが、この冬は平年より寒いという
これから年末年始に向けて、行事催事も予定されているので、
もう一度暖房を見直す必要があるのかもしれない

そうだ、火鉢用の炭も買いに行かねば

2016年10月30日日曜日

10月の読書

アグルーカの行方* 角幡唯介 集英社文庫 2014
武玉川・とくとく清水 田辺聖子 岩波新書 2002
電気は誰のものか* 田中聡 晶文社 2015
脱出老人* 水谷竹秀 小学館 2015
徳は弧ならず 木村元彦 集英社 2016
わたしたちが孤児だったころ* カズオ・イシグロ 早川書房 2001
この国はどこで間違えたのか-沖縄と福島から見えた日本* 徳間書店 2012
トルコ-中東情勢のカギをにぎる国* 内藤正典 集英社 2016

2016年10月27日木曜日

回り稽古

回り稽古の募集要項が出てることを教えてもらい、身体教育研究所のお知らせページを開いてみた。今回の全体テーマは、「動法における身体感覚の活用」。十日ほど前に、このテーマで関西版の回り稽古をはじめたいという連絡が事務局があったばかり。この全体テーマに、担当者がそれぞれ自分のサブテーマを返し、それがリストになって戻ってきたわけだが、その一覧を観て感動してしまった。担当者同士の横の連絡は当然だがない。なのに、こんなリストが出来上がっている。オレたち文学するのか? 戸村氏のサブテーマを読んだときには、もう身悶えしてしまった。


関西より一足早く、同じ全体テーマではじまる関東版回り稽古を見てみた。皆さん真面目だ。松井さんは何も考えずに返事してる風なのが実に彼らしい。それにしても、この地域差はどこから来るんだ。

2016年10月25日火曜日

一周年

日記を読み返していたら、一年前の10月25日が稽古場開きとある。この場所で稽古をはじめて一年が経ってしまったのだ。順風満帆とまではいわないけれど、予想通り〜何を根拠に予想してるのか自分でもわからないけれど〜のペースで来てる。30人の人が、それぞれ月一回の割で来てくれるような、そんな稽古場になればよいと思っていたのだが、一年でその半分くらいにまでにはたどり着いている。

この一年、いろんな人にお世話になった。まず、最初に名前を挙げるとすれば池田先生。もう、相棒ですね。一緒に飯食った回数は文句なく一番多いし、車でしか運べないものの買物等々よく付き合ってもらった。最近、料理をはじめたとのことで、この変身ぶりは一年前には想像もできなかった。次に挙げるとすれば、木田さん。彼の小さなレストランが近所にあってくれたおかげで、どれだけ僕の食生活が豊かになったか。どこで買物すればよいか等についてもご教示いただいた。熱心に稽古にも参加してくださっている。三番目はユズルさん。不思議なひとたちが、ユズルさん経由でこの稽古場にやってきた。京都に引っ越すきっかけにもなった「片桐ユズルに聞く」という月例の会には極力参加するようにしている。もちろん、稽古に来てくださっている人たちがいて、この稽古場は成り立ってるわけで、その方たちにも感謝。

回り稽古があって、せうそこもやって、連座基礎もあって…。こうして振り返ると、随分、充実してる。二年目はどうなっちゃうんだろう。ついでに、稽古関連のアナウンスをしてしまうと、今月31日に安森さんの筆動法(残1名)、来月30日にはせうそこの2回目で、鎌倉稽古場の大松さん登場。そして、12月から関西版回り稽古第2弾がはじまり、ここ等持院稽古場は1月に順番が回ってくるとのこと。なんだか、もう来年の足音が聞こえてきてる。

2016年10月22日土曜日

腰痛

腰痛になったことは一度や二度ではない
しかし、今回の腰痛といったら…
そうとうに痛い

夏の終わり頃から、
骨盤が後傾して歩いてる自覚はあった
つまり老衰の兆し
ちょっとまずい

そして、この腰痛
タイムリーとしかいいようがない
このまま老いさらばえていくのか、もうひと踏ん張りするのか
人生のわかれ道
というのは、ちと大袈裟か

静止しているときは問題なし
動いているときも問題なし
止まった状態から動き始めるときが大問題
ちょっと間違うと、ぎゃ〜、と悲鳴をあげることになる

動法で動けばよい
これが稽古者の鉄則
実際、動法の身につき具合が日々試されている
動法の甘さが日々露呈しているというべきか
もとより、自分の体を素材にして技を磨いていくのが整体指導者
悲鳴は上げても弱音は吐かない
いや、その悲鳴も封じ込める

そういう時に限ってひとはやってくる
しかも、これから稽古をはじめよう、などという人がやってくる
みっともないところを見せるわけにはいかない
日々試練

2016年10月18日火曜日

土俵

昨夏、本部で独法がはじまった
その頃からダン先生の稽古の中味も変わってきた
ぼくら相手の稽古が独法・双観法への仕込みの場になってきた

突然、ロイ先生が亡くなり、
その後を引き受けることになり、
修養講座という制度をつくりだした
修養講座で試されているのは、むしろ整体指導者だろう
整体指導者が整体を自分の言葉で話す稽古でもある

どうすれば、これまでロイ先生がやられていたことと、
身体教育研究所でダン先生が追求してきたことを並列させるか
これはなかなか大変な仕事である

稽古場は28年の歴史のなかで、独自の言語空間を形成してきた
それは、ダン先生による野口晴哉解題といえるものだが、
整体協会全体のなかでは共有されてはこなかった

最近、公開講話で感受性という言葉が多用されている
いうまでもなく、整体協会的にいえば、晴哉先生の語彙に属するものであり、
整体を語る上でのキーワードのひとつである
どうやらダン先生は、晴哉先生の語彙を媒介にして、
言葉が通じなくなっていた二つのグループがコミュニケートできるよう
共通の土俵をつくる作業をはじめたらしい
一朝一夕でできる仕事ではない

あたらしい世代
修養講座、独法・双観法で学んだ世代が指導者になるまで最低でも5年はかかる
そこまでは面倒をみるつもりでいるらしい
とんでもない負荷であることは間違いないが、その負荷をさらなる技の進化に転じてしまう
そこが、わが師のとんでもないところである
70代のダン先生を目撃するために、こちらも、もうひと頑張りせねばと思う

2016年10月17日月曜日

歯が抜けて...

歯が抜けてから顔の静けさ (武玉川)

これは名句だな
付句とすれば、どんな句につけたのだろう 

第三折々のうた p131

旅の重さ

映画館でしか映画を見られない
DVDで映画を見ていると、ついipadを取り出して調べものをはじめたり、
怖い場面が来ると、思わずリモコンの停止ボタンを押してしまったり、
いささか集中力を欠いてしまう
映画館の椅子に座り、そこに他の観客もいて、場内が暗くなって、
という環境を自分に強制してはじめて映画に没入できる。

それでも、昔の映画をみたくなることは、ままある
近所にレンタルビデオ屋がないわけではないが、どうも肌にあわない
最近になって図書館ではDVDも貸し出していることを知り、時折借りはじめた
書籍・DVDを10件まで予約できる強み

「旅の重さ」を借りてきた
1972年の作品だから、もう44年前のもの
二十歳くらいのときに、映画館で見ているはずだ
家出して四国を歩いて回る16歳の女の子のお話なのだが、田園風景がほんとうに美しい
音楽は吉田拓郎
四国遍路のことを知ったのは、この映画だったかもしれない
僕自身も旅をはじめたころだ
映画館で一度しか観てない映画を何十年経っても覚えているということは、
それだけ集中していたということなのだな

2016年10月16日日曜日

集団のちから

白山稽古会がはじまってから7年経った
7年というと、そう長い期間とも思えないが、
それぞれが7歳年取ったと言い換えるといささか感慨深いものがある
7年のうち6年は関東から毎月通ってたわけで、まあ、よく続いたものだ

今回はなぜか古いけど新しいひとが参加したり、
最近になく大人数が集まった
といっても10人くらいなのだけれど、いつもよりは多い
それだけで、会の密度が大分増し、「ひとにもまれる」という感じが生まれてくる

普段、等持院ではほんと少人数で稽古している
丁寧といえば丁寧な稽古になるが、「ひとにもまれる」という感じはない
もっと集団のちからを活用したほうが、ひとりひとりのレベルも上げられるかもしれない
そんなことを思った

2016年10月11日火曜日

岡山行き 3

▪️岡山駅がお洒落に生まれかわっているにには驚いた。まずは腹ごしらえと、駅ナカの寿司屋で昼食。さてどうするか。このまま帰ってオーストラリア戦に備えるか、それとも倉敷まで足を伸ばすか。■大原美術館を訪れるのは、いったいいつぶりなんだろう。津山への帰省に合わせてアイビースクエアに行った記憶はあるのだが、まだ母が生きていた頃のことだから20年も前のことかもしれない。大原美術館はコレクションといい見せ方といい、スタッフの対応といい、押し付けがましさがなく、気持ちよく過ごせる。■帰路は相生、姫路と山陽線を乗り継いで京都に帰り着く。学校帰り、仕事帰りの人たちで車内はずっと活気がある状態が続く。内陸側のさびれ具合とのコントラストが著しい。▪️これで西に向け風穴が少し空いたな。




 


岡山行き 2

■津山は次回に回すことにして、岡山に向かうことにした。意地でも往復運動を回避。ホテルが岡山駅まで無料バスを出しているというので、それを利用することにした。出発は11時。それまでの時間を使って、生まれ育った町を散歩することにした。■おそらく20年も前のことになるが、同じようにこの町を歩いたことがある。子供の時の記憶に比べ、町は思っていたよりずっと小さく狭かった。その20年前よりも、さらに町はゴーストタウン化していた。夏草や強者どもの夢の跡。廃墟ツアーができそうなくらいだ。半世紀経つと、町はこのように変貌してしまうのか。日本の津々浦々で見られる風景に違いない。■河原に出てみた。この河原で遊んだのが、ボクの一番古い記憶。母親は他の女たちと一緒に、河原で洗濯をしていた。そんな記憶である。昭和30年−1955年前後、つまり60年前の記憶だ。水遊びして溺れかけたのも、この川だし、平らな石を向こう岸に向けて投げたのも、この河原だった。町の風景は変わってしまったが、川は同じように流れていた。▪️さて、もうすぐ岡山駅だ。


岡山行き 1

■岡山行きを思いついたのは朝起きて空が青かったから。湯郷温泉のホテルが予約可能なことを確かめ、叔母に「これから行きます」と電話し、それから旅支度を10分で済ませ家を飛び出した。京都駅からも津山便のバスはあるのだが、朝いちに1本、あとは夕方に3本。この時間帯(9時)だと大阪駅発の便に乗るしかない。■まずはお土産と、北野天満宮脇の和菓子屋さんに行くが、買いたいものはどれも賞味期限が本日中なので、しかたなく日持ちするお菓子を買ってバス停に戻ろうとすると、今度は、目当てのバスは行ってしまう。なんだか行手を邪魔されているようだ。早足で白梅町のバス停に戻り、西院行きのバスを待つ。大阪駅の雑踏を抜けるのはいやなので、結局、阪急と地下鉄を乗り継いで新大阪。津山行きのバス待ちしている間にホテルに電話してピックアップを依頼。ところが、下車する停留所が近づいたころで、時刻表を一列読み間違えていたことに気づく。美作インターでバスを降り、ホテルに「1時間早く着いてしまいました」と電話すると、15分ほどで迎えの車が来る。■津山の家を畳んだのが6年前の春。以来、岡山の地に足を踏み入れることはなかった。震災後の混乱期と重なり余力がなかったことも確かだが、西に向かおうとすると必ず拒絶された。去年の夏もそうで、石川から岡山に行こうとしたのだが、叔父さんの都合が悪く、結果、京都に向かうことになった。あの時、岡山に行っていたら、京都への引っ越しもなかったかもしれない。■京都に引っ越してきても、まだ西に向かえなかった。妙に、南方向にばかり足が向いた。一年経って、やっと見えない壁を通り抜けた。■ボクが生まれ育ったのが今の美作市林野という町で、湯郷はそこから数キロ南。たまに温泉に入りに来ることはあったが、泊まるのは今回がはじめて。つまり、それだけボクが異邦人になった証拠だ。叔父叔母たちと再会し、宿に戻って温泉にも入り、明日は津山に出てから帰ろうかと思ったのだが…。

2016年10月9日日曜日

せうそこ、その後

6月末に等持院稽古場で開催した「せうそこ#1」を活字化する作業が進行中。はやければ今月末には地下出版物として出来上がってきそうです。その時の話者の安森さんに等持院稽古場で「筆動法」の稽古をやっていただけることになりました。→ 等持院稽古日程。但し、定員6名で、残2名です。更に、11月末にせうそこ#2を開催の予定。話者は大松美紀子(鎌倉稽古場)さんで、テーマは「育つ」。日時は11月30日、17時〜19時。会場は等持院稽古場になります。

2016年10月8日土曜日

二年目

9月は、夏の疲れと、一年前の引っ越し疲れと、その前の年の看病疲れが一気に押し寄せてきたようで不調の極み。何人かの人に「寂しそう」と声を掛けられたが、まあ、妻の命日が近づいてくると、あれこれ想い出すことも多い。急に涼しくなったので、扇風機を片付けたり、冬支度をはじめたのだが、その後、暑さが戻ってきてしまったのはご愛嬌。台風18号が通り過ぎ、これで、やっと秋になるだろう。旧暦ではもう晩秋なのに。

30年間書き続けてきたので、このブログももう閉じてしまおうかとも考えたのだが、稽古会の告知には使っているので、当面、継続することにした。ただし、以前使っていたseesaaブログは閉鎖し、このブロクの記事も京都引っ越し以前のものは読めない状態にしてしまいました。ただし、資料的に読めたほうが良さそうなものは順次復活させていきます。振り返ってばかりもいられない。

京都暮らしが二年目に入ってようやく次になにが起こるのか少しだけ予測がつくようになった。案の定、今月末の近所の神社のお祭りのための奉加帳も回ってきた。三ヶ月以上咲き続けていたムクゲもようやく終盤に近づいてきて、代わりに南天の実が色づいてきている。秋明菊も咲いている。植物についての知識が増えたのが、ここ一年のいちばんの成果かもしれない。

2016年10月1日土曜日

10月1日

稽古会が終わって一晩すぎたらもう10月ではないか。今回も知恵熱出そうな三日間で、おまけに泊り客が26日から続いたことも影響しているのか、昨晩は爆睡。気がついたら昼近くになっていた。陽が射していたのであわてて洗濯機を回す。このところ雨の日が多く、陽が出ると条件反射的に洗濯する習慣が生まれた。6月末にやったせうそこの掘り起こし原稿に朱を入れていたらあっという間に日が傾いてくる。ほんと、もう秋なのだ。もっとも、暦の上ではもう晩秋に入ってしまっている。時計の針を見るともう17時。買物にでも出かけようかと思っているところに、Bさんから空間現代ライブのお知らせメール。ライブは今晩20時から百万遍南のアンスティチュ・フランセ関西、つまり昔の日仏会館。そういえば、Kさん興味あるかもとメールしてみたら「行きたい!」との返事が来たので、急遽出掛けることにして、買物はあきらめ、Yさんがお土産に持ってきてくれていた新潟の厚揚げをフライパンで焼き、生姜醤油で食べ小腹を満たす。19時に家を出て白梅町からバスで百万遍。Kさんは会場の一番奥の二つだけ置いてある椅子に座って待っていてくれたので、その隣に座る。つまり敬老席だ。ライブは結構な賑わいで、百人近い人たちが立ち見の状態。稽古会関係者の姿もチラホラ。今日はドラムがやたら和太鼓に聞こえてきた。ライブ終わったら21時。再び百万遍まで歩き、西方向へのバスが行ってしまったので、同じ系統のバスを逆向きに乗ったら、丸太町通りではなく東大路を南に走りはじめ、結局、祇園経由で白梅町。随分大回りしてしまったが、期せずして京都ナイトクルーズになってしまう。祇園界隈って、夜でも観光客で賑わってるのね。結局、帰宅は22時過ぎになってしまった。それでも、ライブ開始3時間前に告知を受け、そのままさっと動けてしまうというのは、京都のサイズ感に依るところが大きい。この街で暮らしはじめて丸一年になる。

2016年9月28日水曜日

9月の読書

パール判事* 中島岳志 白水ブックス 2012
うつくしい列島* 池澤夏樹 河出書房新社 2015
新しい風土記へ* 鶴見俊輔座談 朝日新書 2010
オリジンから考える* 鶴見俊輔・小田実 岩波書店 2011
身体感覚で「芭蕉」を読みなおす。* 安田登 春秋社 2012
飛魂* 多和田葉子 講談社 1998
アメリカ* 多和田葉子 青土社2006
ソーシャルファイナンス革命 慎泰俊 技術評論社 2012
言文一致体の誕生* 橋本治 朝日出版社 2010

2016年9月27日火曜日

秋のたより

引っ越し一周年!
それにしても、今月はしんどかった〜

2016年9月24日土曜日

老鶴萬里心

額装されている書を取り出し掛けてみた
父の部屋に掛かっていたもの

老鶴萬里心
調べてみたら杜甫の漢詩で、この前に、
「蟄龍三冬臥」という句が先んじて置かれる

蟄龍三冬臥 老鶴萬里心

気分とすれば前段ですね


2016年9月17日土曜日

満月

民泊

訪ねてきてくれた人の多くが、
「ここ民泊にするとはやりますよ」と仰る
たしかに、ロケーションといい、建物といい、民泊向きではある

すでに宿泊所にはなりつつある
今年のはじめからどれくらいの人が泊まりにきたか数えてみた
15人、宿泊数にすれば19泊
平均すると、毎月2人、3泊弱といったところ
さすがに熱帯夜の続く8月はゼロ

人が来てくれることは嬉しい
一人暮らしだと、人と喋る機会は少ない
泊まりがけで来た人と話していると、オレってこんなにおしゃべりだったっけ
と思うくらい話す
もちろん、相手によるけれど

月末の稽古会や修養講座の宿泊所として使ってもらうのも結構
ただ、研修会館との往復になるから京都情緒は味わえない
稽古とは別立てで来ていただいたほうが愉しめる
毎月25日には天満宮(徒歩10分)に市が立つし、神社お寺の行事も多い
そいういえば、空間現代のライブハウスもオープンする

もうすぐ引っ越して一年だ

2016年9月13日火曜日

崇徳院

薪能が行われるというので主催者に問い合わせたら、上京区役所か会場となる白峯神社で前売券が買えるとのこと。郵便局や図書館に行く予定もあったので、郵便局、中央図書館、白峯神宮という順路で回ることにして自転車で出発。

地図で見ると白峯神宮は堀川今出川交差点の東に位置している。洛外居住者の私にとって、この堀川通りは難所なのです。堀川通りは、京都市内を南北に貫く他の通りより幅の広い交通量の多い道路に過ぎないのだが、自転車で市内を移動していると、この堀川、よほど気合を入れないと越えられない。洛中洛外の境界線は時代とともに外に広がっていったと思われるが、どの時代か、ここを流れる堀川が洛中洛外を隔てる強力な境であったとしか思えない。

千本丸太町の定食屋でランチを食べ、白峯神宮へ向かうことにする。基本、北へ東へ動いていけばよいので、車の少なそうな道をのんびり走らせる。途中、拾得の看板をみつける。まだあるんだ〜。さらに北に向かうと白山湯という銭湯。そういえば、銭湯経営者には石川出身者が多いという話を思い出し、スナップを撮る。



白峯神宮で祀られているのは崇徳院。いま読んでいる二冊の本の中に出てくるのだ、崇徳天皇が。橋本治の『言文一致体の誕生』の第二章には天台宗の僧、慈円はなぜ「愚管抄」を漢字かな交じりの文体で書かねばならなかったかという解釈が、だらだらと、もとへ、橋本文体で綴られている。歴史的背景となるのが保元の乱で、その当事者かつ敗者が崇徳院。もう一冊の『身体感覚で「芭蕉」を読みなおす。』(安田登)も面白い。おくのほそ道を夢幻能に喩えてーそういう見立てだったとしか思えないですねー解説していく。無論、芭蕉が追いかけたのは西行で、その西行の仕事の最たるものは保元の乱によって讃岐に流され怨霊となった崇徳院の鎮魂だったという。社務所で前売券を買い、本殿にお参りする。蹴鞠で有名な神社でした。

2016年9月10日土曜日

車窓

金沢行サンダーバード
いつものように進行方向右側の座席
午後の日差しを避けるための選択だが、結果として、ずっと琵琶湖を眺めていることになる
北陸に入ると、こんどは白山が姿を現わす
京都から金沢まで200キロを2時間
同じ2時間でも京都ー東京を新幹線で移動しても、この旅気分は生まれない

これまでいったいどれだけの時間、車窓から外を眺めてきたのだろう
人生の0.5パーセントくらい、こうして、窓の外を流れていく風景を眺めてきたのではないか
自分で運転するわけではなく、いつも何かに運ばれている、
平均時速50キロくらいで
この運ばれていく感じと共にずーっと過ごしてきた

(この写真は先月のもの)

2016年9月8日木曜日

繕う

ひとり暮らしを実感するのは繕いものをしているとき
家事全般一通りこなせるつもりでいても、針仕事はダメだ〜
かといって、稽古着を着ていると、繕いものは必ず出てくる
長着の背中は割れる、袖は破ける、襦袢の半襟は取り替えなきゃならない
先送り先送りしていても、いつかはやらなきゃしょうがない
東京にはこころ強い助っ人がいたのになどとブツブツ言いながら、針箱を取り出す
昔はカミさんのために針に糸を通してあげていたが、最近、これも難しくなってきたぞ
布相手に奮闘がはじまる
で、出来上がり具合はというと、これがまた下手くそなんだ
どっかの運針稽古にでも行ってこようかしらね

2016年8月31日水曜日

8月の読書

国貧論 水野和夫 太田出版 2016
鹿の王* 上・下 上橋菜穂子 角川書店 2014
能へのいざない* 味方玄 淡交社 2006
海女のいる風景* 大崎映普 自由国民社 2013
かかとを失くして* 多和田葉子 講談社文芸文庫 2014
カタコトのうわごと* 多和田葉子 青土社 1999
盆踊り-乱交の民俗学* 下川耿史 作品社 2011
ニッポン大音頭時代* 大石始 河出書房新社 2015
 予想以上にアカデミックなアプローチで、日本近代音楽史の一面をたどっている。この本の中で言及されている様々な音頭の音源のほとんどをネット上で見つけられたのにも驚かされた。
水上勉の京都を歩く* 蔵田敏明・宮武秀治 淡交社 2006

2016年8月30日火曜日

垂直

関が原あたりまでは曇りだった天気が、
米原になるともう降り出し、京都に着いたら結構な降り
どのルートを取れば一番濡れずに済むのか?
山陰線・嵐電経由にして、まずは太秦へ
そこから嵐電の撮影所前駅まで歩き白梅町行きに乗って等持院下車
白山東京遠征を終えて一週間ぶりに等持院に帰ってきた

やたら上下動したというのが今回の遠征の印象
つまりは、泊めてもらった娘のところが三階建ての建物で、
階段を登ったり降りたりしないと何事もはじまらない
普段水平移動しかしてないから、都会の上下動に慣れるまで時間がかかる
地下鉄JR東急といった電車に乗るにしても、エスカレータやエレベータで上下する
デパートも然り
都会というのは垂直移動で成り立っているのだ
もっとも、東京駅など、丸の内側から八重洲口に移動すると、迷路のような地下道を延々と歩くことになる
たしかに東京の人はよく歩く

京都に引っ越してきてすでに11ヶ月
一年前は影も形もなかった孫という存在まで出現した
唯一の誤算は、東京に頻繁に行く回数が、この孫のおかげで増えてしまったことだ
年3回の研修会に行けば良いはずだったのに、すでに7往復
もっとも、これからは東京に行くのは4ヶ月に一度のペースで落ち着くだろう
西に向かわねば

雨の京都はさすがに涼しい
ただ予報ではまた暑い日がやってくるとのこと
冬の寒さに夏の暑さ
こんなに季節の変化を実感した一年はない
四季折々といった風雅を越え、サバイバル感の方が強い

2016年8月20日土曜日

嵯峨野

観光してますね〜と、よく言われる
引っ越してきた当初は、ひとりで市内をうろうろしていたことは確か
それでも観光気分というよりは、かつて自分が住んでいた町を再確認したい、
これから住む町を把握しておきたいという気分が先にある
定期借家契約だから、五年後、京都に住んでいるかどうかわからない
その分、一年一年を大事にしたい

最近は、生活圏が定まってしまい、街中に行く回数も減った
ましてや、観光名所と言われているところにひとりで出かけていくことはあまりない
例外は、来客があったとき
先月、岡山から叔母と従妹がやってきたときは、祇園・八坂神社に付き合った
従妹といっても50代の叔母さんなのだが、とにかく祇園に行ってなんとかパフェを食べたいと仰る

先日の来客は嵐山の祇王寺に行きたいというので付いて行った
嵐山まで嵐電で30分かからない
渡月橋を往復し、目星をつけた方向に歩きはじめる
竹林の小径と呼ばれる散策路に入り、だらだらと続く坂を登っていく
それにしても、この観光客の多さ

西行井戸という立て看板を見つけ立ち寄る
西行が庵を編んでいたところらしい
芭蕉の弟子であった向井去来もまた、この辺りに住んでいた
そして、この地域が小倉山と呼ばれた地であったことも知った
平安、鎌倉、江戸と歴史が積み重なっている

























牝鹿なく 小倉の山の すそ近み ただ独りすむ わが心かな

祇王寺は苔の美しい小さなお寺だった
モミジの木もたくさん植わってしるから紅葉時もまた綺麗だろう

























嵯峨野を歩いたのはいったい何年ぶりの事だったのだろう
たまに観光地を歩くもいいものだ

2016年8月19日金曜日

ラジオ

電池の持ちのよさはラジオにかなうものはない
我が家に置いてあるのは、手廻し充電機能付のラジオ
電池は単4で、エネループを入れている
最近、ラジオを点ける時間は多くないとはいえ、いつ電池を換えたか覚えていない
なんと電力消費の少ないメディアなのだろうと、いつも感心する
ラジオ派になったのは、テレビが壊れてからのことで、もう十年近くたつ
テレビ新聞の報道に、こりゃだめだと思うことがあったのも、テレビに戻らなかった理由である

聴いていたのは主にTBS
そのTBSから離れられず、京都に来てからも、TBSばかり聴いている
京都まで電波は届かない(夜、届いたとしても不安定)
radikkarというスマホアプリを使っているのだが、東京局が聴けるかどうかは運次第
リアルタイムで聴けないときは、podcastから模様替えしたラジオクラウドというストリーミングサービスに頼ることになる

本当のところは、スマホではなく、ラジオから流れてくる音を聴いているのが一番落ち着く
いっそ、もう一度、短波受信機でも手に入れてみようかしら

2016年8月18日木曜日

山門閉鎖

等持院から「山門修復工事のため8月22日より、山門および西向き通路を通行止めにします」という案内が届きました。つまり、等持院稽古場への通路としてご案内している「等持院山門をくぐってすぐの道を左折」というルートが使用できなくなります。工事中は、「喫茶サークルの角を入る」ルートをたどっていただくようお願いいたします。等持院の山門は名刹にしてはだいぶ傷んでいる印象がありましたので、修復工事でどのように生まれ変わるか楽しみではあります。

2016年8月16日火曜日

送り火

東京からの来客があったので、キダさんに無理をお願いしてお店を開けてもらい食事し、北野白梅町まで電車で行こうと小雨の中、龍安寺駅に向かっていると、家々から人がぞろぞろ出てきて僕らと同じ方向に歩いていく。どこに行くのかと思ったら、嵐電の踏切の真ん中に人だかりができている。線路の先に大文字の火がちらちらと見える、らしい。白梅町にも人が大勢出ていて、信号が変わる度に、横断歩道の真ん中に出て、車の往来を邪魔しながら左大文字を見ようとしている。そう、道路の中央がいちばん見晴らしがよい。雨はどんどん激しくなり、天満宮方面に行って今出川通りの先の大文字を見ることは諦め、西大路を少し北上し、ほんの少しだけ大きく見える左大文字に満足することにした。それにしてもひどい雨。浴衣姿で京都の夜を優雅に散歩するはずだったのに、裾をからげて傘をさして歩くことになった。でも、ほんのちらりとでも送り火を見ようと外に出てくる京都人気質に触れられた。

2016年8月15日月曜日

814

■真夜中を過ぎても30度を切らない最悪の熱帯夜を乗り切るには冷房に頼るしかなく、タイマーをかけて布団の上でごろごろしているうちに6時半がきたので起き出してバナナヨーグルトの朝食を食べ、せっかく早起きしたのだからと、外に出てぼたぼたと落ちている木槿の花を拾い集め庭の片隅にほかす。このあたりでちゃんと近所付き合いしようと思ったら毎朝6時に起きて外周りの掃除すればいいのだろうが、普段8時にしか起きてないので近所の評判はきっと芳しいものではないだろう。7時半、26番のバスに乗って京都駅に向い近鉄電車に乗り換える。近鉄乗るの何年振りだろうなどと窓の外の風景を見ているうちに橿原神宮前。なんだ意外に都会じゃないか。■天河神社の名前は40年も昔からいろんな人から聞いていたが、これまで縁がなく、今回がはじめての訪問になる。能楽師の味方さんという方が天河神社で能を奉納されるというので橿原神宮からのバス付きツアーに申し込んだ。鎌倉稽古場の方たちも何名か来られるということは後から知った。天河神社はこじんまりとした神社で、本殿の真向かいに能舞台がつくられている。神事につづきお能「三輪」が奉納される。風が通り抜けるオープンエアの能舞台は素晴らしく、これまでで最高のお能体験となる。■往路は主催者事務局が用意してくれたバスを利用したのだが、帰りは稽古会に来ている方が車で来ていたので便乗させてもらうことにして出発。往路、バスの窓から外を観ることもできなかったので、まさかこんな坂道をこんなに登ってきていたのかと驚く。奈良の地を歩いた記憶を辿って行くと20代の頃が一番ひんぱんに来ていて、最近来たのはいったいいつだろうと考えると、奈良女で行われた体育学会にダン先生のお供で来たときくらいで、それにしても15年も前のことになる。いや日帰りツアーとはいえ、随分遠出した気分。京都は雨が降ったようで、すこしばかり涼しい。

2016年8月9日火曜日

七夕

外は熱風が吹き
水道の蛇口からはお湯が出る
この猛暑はあとどのくらい続くのか

一週間前までは、平屋にしては暑くない
などと言っていたが、さすがに猛暑日が続くと
家全体が熱を持って、夜になっても室温が下がらない

こうなるとエアコンのある部屋に引きこもるしかない
ここぞとばかり、アイロンとアイロン台を持ち込んで、襦袢にアイロンをかける
アンプに電源を入れて音楽を聴くのもひさしぶりのことだ

夕方には打ち水をする
ここのところ取り組んでいる庭木の剪定も頓挫
剪定した枝を細かく切ってゴミ袋に入れていくくらいがせいぜいだ
庭木の剪定に精を出す生活など想定外だったが、
それ以上に、庭仕事を愉しんでいる自分が出現したことにも驚いた
ほとんど、家守として雇われている気分

暦の上ではもう秋
たしか今日9日が七夕のはずだ
筆動法の日ではないけれど、硯と墨を取り出して、
願い事のひとつも書いてみようか

2016年8月4日木曜日

熱風をかきわけて

この夏一番の暑さ
熱風の中、自転車を走らせる
そういえば、一年前の今ごろ降り立った京都もこんな暑い日だった
その熱さを「懐かしい」と感じたのが運のつきだったのか
そう、この熱さはけっして嫌ではない

今日の目的地は二条にある映画館
シンゴジラを観るのだ
なぜか、猿の惑星シリーズとゴジラ映画は観ることにしている

舞台は首都圏
蒲田がやられ、北品川がやられるということは、
その間にある大井町稽古場はきっとやられているだろう
などと思いながら映画を見ている
多摩川が防衛線になる、つまり川崎は打ち棄てられるところなどリアリティーがある
来るべき、首都圏地震のシュミレーションとも読めるが、
肥大化した統治機能自身が、絶滅した恐竜のアナロジーとも読み取れる
おい、凍土壁どうなった?
なんか、見どころ、つっこみどろこ満載の映画
東京駅に巨大ゴジラのモニュメントができれば、上京します
あれはワットロンクンか?

2016年7月30日土曜日

7月の読書

「弱くても勝てます」 高橋秀実 新潮文庫 2012
庭木の自然風剪定 峰岸正樹 農文協 2001
京都・お婆さんのいる風景* 名古きよえ コールサック社 2011
もうすぐ夏至だ* 永田和宏 白水社 2011 
オイッチニーのサン* 高野澄 PHP研究所 2008
世界といまを考える2* 是枝裕和対談集 PHP文庫 2016
出来事と写真 畠山直哉x大竹昭子 赤々舎 2016
忘れられた巨人* カズオ・イシグロ 早川書房 2015
わたしを離さないで* カズオ・イシグロ 早川書房 2006
数学する身体* 森田真生 新潮社 2015
八紘一宇* 島田裕巳 幻冬舎文庫 2015

2016年7月20日水曜日

郡上八幡

郡上八幡に向かう途中、梅雨が開けたことを知る
今回の郡上行きはオスマン音楽がお目当てで、郡上踊りは次回に持ち越し
そういえば、郡上市も気温が上がることで有名なところだ

京都から岐阜までは各駅停車
岐阜駅で改札を出ようとしたら、ICカードを受け付けてくれない
窓口に行ったら、ここはJR東海ですと言われ、JR東海が新幹線だけではないことを知る
そこから高速バス
京都から郡上八幡まで直接バスで行けることは後から知った

街中のどこからでもお城が観える
山の中腹にある宿に荷物を降ろし、そこから城を目指す
天守閣を通り抜ける風が心地よい
























山を降りる
観光客の姿はすでまばらで、音楽会が終わったころには食事処は閉まっていそうだ
うなぎ屋をみつけて、うな重を注文
うなぎといえば、オヤジのことを思い出す
一之江に行く度に、うなぎ屋に繰り出していた

























会場である安養寺の本堂へ
正面に端正な阿弥陀仏が置かれている
中央前から三番目の座布団の上に陣取ることにする
いつも感じるのだが、由緒あるお寺の本堂は実に座りやすい

「トルコ・スーフィー 音楽の祭典」に来るきっかけを作ってくれたのは石坂亥士さん
昨秋、京都に引っ越す前に群馬の友人たちが設けてくれた送別会の席ではじめて出会った
土取利行さんの内弟子だったというパーカショニスト

音楽家たちはそれぞれ素晴らしい
クツィ・エルグネル Kudsi Erguner ネイ(葦笛)
ベキル・ビュユックバッシ Bekir Buyukbas 詠唱
ムラット・アイデミイル Murat Aydemir タンブール
土取利行


























一泊して翌日午前中は街の中を散策
小さな水路が流れている町並みは涼しげ
町の中央を流れる川で鮎釣りをしている人もいるではないか

























筆動法の前になると旧暦カレンダーを見る
梅雨明け前だったのに季節でいえばすでに晩夏
いま咲いている木槿など、秋の季語であることに驚く
雨の合間を縫って買物にでかけ、 帰ってくると、どことなく秋の気配
それが一週間前のことだ
唐突に梅雨が明け、湿気も一気に抜けた
普通ならここで、「夏本番」とでもいうのだろうが、
日はすでに短くなりつつあり、夕方の影は秋のおとづれを告げている

2016年7月12日火曜日

庭木

庭木についての知識は皆無
いったいどの季節に剪定すればよいのか
紫陽花は花が終わったらすぐハサミを入れるとあるので、
早速、剪定ばさみを買ってきて、刈り込んだ

図書館から本を借りてきて勉強中なのだが、
春先までにやっておくべきことがたくさんあったらしい
あとのまつりだが、寒い間は庭木のことなど気にしなかった
いまはムクゲが満開だ

庭木に水をやろうと、
横浜から持ってきたホースを蛇口につけたら
長さが全然足りない
これも、買い足さねばならない

季節が巡っていくたびに、モノが増えていく

2016年7月5日火曜日

等持院撮影所年譜

1921年から11年間、この家が立っているところに撮影所があったらしい。マキノ・プロジェクトによると、「当初、等持院山門をくぐると参道の西側部分にステージ1棟、倉庫、俳優部屋、事務所があった。東亜キネマ京都時代には、ダーク・ステージ4棟、オープン・ステージ2棟へと成長した」とある。1932年、撮影所は閉鎖され、跡地は競売に付され、宅地になった。

以下の年譜は、「等持院撮影所」をキーワードにインターネット検索した結果をもとに再構成したもので、自分で文献に当たるといった作業はまったく行っていないことを予めお断りしておく。矛盾する記述は無視し、文体だけを揃えた。文化庁が運営する日本映画情報システムで「等持院」を検索すると322件の映画がリストアップされた。どうやら、ここは日本映画黎明期の重要な舞台の一つだったらしい。

1921年(大正10年)6月、マキノ省三は、京都市北区・衣笠山の麓の等持院境内に「牧野教育映画製作所」を設立、同年9月、同所に「等持院撮影所」を建設・開業した。牧野教育映画製作所は、やがて、それがマキノキネマ株式会社へと発展、先駆的な時代劇映画を送りだすとともに、後の日本映画を支える人材を育成した。

1924年(大正13年)6月、東亜キネマがマキノを吸収合併し「東亜キネマ等持院撮影所」と改称される。

1925年6月(大正14年)、マキノが東亜キネマから再び独立し「マキノ・プロダクション」を設立。花園天授ヶ丘「御室撮影所」へと移転する。等持院撮影所の旧マキノ派は新生マキノ・プロに結集した。「東亜キネマ等持院撮影所」は「東亜キネマ京都撮影所」と改称される。所長には同社の親会社・八千代生命の宣伝部長である小笹正人が就任した。

1927年(昭和2年)東亜キネマは「甲陽撮影所」を閉鎖、等持院の「東亜キネマ京都撮影所」に製作事業の拠点を一元化した。

1929年(昭和4年)3月、小笹が同社を退社、出版事業等にも手を出して没落した親会社・八千代生命が映画製作事業から撤退、牧野の長女の夫・高村正次が京都撮影所長に就任し、事業の立て直しを図った。

1930年(昭和5年)に阪急電鉄の小林一三が設立した「宝塚映画」に働きかけ、資金面での提携を図った。

1931年(昭和6年)9月、同社の製作代行をする会社として「東活映画社」が設立され、高村は退陣、安倍辰五郎が「東活映画等持院撮影所」の所長に就任した。高村は小説家・映画プロデューサーの直木三十五の協力を得て「大衆文芸映画社」、「正映マキノ」を設立してゆく。

1932年(昭和7年)10月、わずか1年で東活映画社が解散し、東亜キネマは製作事業をついに断念、「等持院撮影所」を閉鎖する。同年11月、「正映マキノ」の高村が再度登場し東亜キネマを買収、「御室撮影所」に宝塚キネマを設立、東亜キネマはその9年間の歴史に幕を閉じた。「等持院撮影所」は競売に付され、1933年(昭和8年)5月には住宅地となった。

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参考サイト
*立命館大学アート・リサーチセンターマキノ・プロジェクト
*ウィキペディア

2016年7月4日月曜日

風景

娘のお腹に手を当てて愉気している
生まれて二日目の赤ん坊は、母親のお腹にしがみつくような格好で眠っている

妻を送ったときの風景が蘇る
真ん中にいたのが妻で、娘は向こう側に座って妻に手を当てていた

生と死
真逆の出来事なのに
そこにある空気感は似ている
静謐な時間が流れていく

小さないとこたちが訪ねて来て
眠っている赤児の寝顔を神妙に見入っている
新しい仲間を迎えている
いい風景だな

2016年7月2日土曜日

7月

月末三日間の稽古会に出て、その後、等持院稽古場で「せうそこ」第一回。さらにキダさんのところで会食という過密日程をこなすと、さすがにへろへろで、その日は爆睡。目覚めたらもう7月だ。

7月に入れば、8月の稽古日程も出さねばならぬ。困ったことに決まり切らない部分がまだあって、予定表を出しそびれている。特別行事も目白押しで、特に中旬以降、天河神社奉納能、白山登山、上越稽古場連座、月末の研修と続く。

おまけに、東京にいる娘のところに子どもが生まれたので〜とうとうジージと呼ばれることになった〜様子ものぞきに行きたい。引っ越して一年も経たぬというのに、優雅な京都隠遁生活に暗雲が漂いはじめている。

8月の稽古日程は数日中にアップします。

2016年6月29日水曜日

6月の読書

世にも奇妙なマラソン大会* 高野秀行 集英社文庫 2014
医療にたかるな 村上智彦 新潮社新書 2013
尼僧とキューピッドの弓* 多和田葉子 講談社 2010
セックス放浪記* 中村うさぎ 新潮文庫 2007
日本会議の研究 菅野完 扶桑社新書 2016
隣のアボリジニ* 上橋菜穂子 ちくま文庫 2010
他界* 金子兜太 講談社 2014
タネが危ない* 野口勲 日本経済新聞出版社 2011 
英国一家、インドで危機一髪* マイケル・ブース 角川書店
   アルコール依存症気味作家がインドに行ってヨガと瞑想に救われるというお話なのだが、多くのページが割かれているケララの描写に、もう一度ケララに行きたくなってしまった。skyscannerで関空〜コチン(今はコチと呼ぶらしい)を調べてみると、たった15時間で(かつてーいつとは言いませんがー少なくとも三日がかりだったぞ)、しかもエアアジアを使えば10万円を切るくらいの値段で行けることが判明。旅心がくすぐられてしまう。原題は”Eat, Pray, Eat”

2016年6月26日日曜日

あれから

一年前の今頃、3年ぶりに京都にやってきた
このブログで「前に進む」シリーズを書きながら、
これから先どうしようかな〜、と思案していた時期にあたる
稽古の合間の雑談で、「関西に戻ってこようかな」などと話していたが、
まさか、三ヶ月後、京都に引っ越してくるとは、その時はまだ空想だしていなかった
ちゃんと前に進んだ、ということでしょうね

はたらきかけない
稽古場をはじめるにあたり、心に定めたことのひとつ
手ぐすね引いて待っているという心情が全くないわけではないし、
こうしてブログも書いている
でも、どこまでどこまで受動でいられるか、というのを自らの課題とした
すると不思議なことが次から次に起こりはじめ、
ゆっくりではあるが、稽古場として回りはじめてきた

なにかを追いかけるでもなく、はたまた追いかけられるでもなく、
庭木の手入れなどしながら、日々の時間を味わっている
だれかが、「アジールに成りつつありますね」と表現してくれたが、
そんな隠れ里的な稽古場であればよいと思っている
そう、隠れ家は賑わっちゃいけない

2016年6月21日火曜日

ひとまわり

清澄白河から富岡八幡宮をかすめて門前仲町まで歩く
都営地下鉄、京急線を乗り継ぎ鮫洲
京都に引っ越して以来、9ヶ月ぶりの大井町稽古場
松井さんには東京行きを伝えていたので大して驚かせることはできなかったが、
稽古に来ていた数名と再会を喜び合う
活気は以前より出てきているようで安堵する

大井町から東急大井町線で上野毛下車
アンクルサムズでツナアボガトチーズサンドイッチを食べ、
坂道を下って本部稽古場へ
ダン先生にご挨拶し、個別に来ていた顔馴染みとも再会
みなさんご健勝の様子でなにより
アリ先生には連座についてあれこれ話を聞くことができた
帰りがけ、ドアに額をおもいっきりぶつけるというアクシデントはあったが、
実りのある里帰り
二子玉川駅周辺をぷらっと歩き、田園都市線・半蔵門線で清澄白河
電車に運ばれて、東京をぐるーっとひとまわりしたことになる

2016年6月15日水曜日

連座基礎

連座ってどんな稽古ですかと問われると、「内観の風景が移ろっていく様を賞でる稽古」とでもいうしかない。等持院稽古場の稽古の柱のひとつにしようと、開設当初から連座のコマを設けている。月1回程度の開催になっているが、これまでに20人くらいの人たちに体験してもらえたことになる。でも、ここまでは、お試し編。もう少し、先に進みたいので、本部で連座の研鑽をつづけている服部さんに「連座基礎」の稽古をやってもらうことにしました。ちょっと先の行事になりますが、メモしておいてください。連座未経験者も参加可です。

【連座基礎】
 日時 7月30日(土) 17時〜19時
 会場 等持院稽古場
 担当 服部陽一(身体教育研究所・動法教授資格者)
 会費 2000円
 予約 等持院稽古場まで  定員10名

2016年6月11日土曜日

【変更】坐法臥法→行気法

6月13日(月)15時〜17時
「坐法・臥法」→「行気法」

2016年6月10日金曜日

紫陽花

紫陽花は仲夏の季語とある
江戸時代は紫陽草とも記したらしい
原産国日本だって

紫陽草や帷子時の薄浅黄(芭蕉)

今日の筆動法は、脚の縮みとしずみについて

2016年6月9日木曜日

廃墟、ではない

とりふね舞踏舎の公演があるというので、
はじめて足を踏み入れた「元・立誠小学校」
正面玄関はそれなりに綺麗
しかし、一歩裏へ回ると、ここは廃墟か?
と思わせるくらいの荒れようで、
ゴミは散らかりっぱなし、落葉はそのまま、蜘蛛の巣は張り放題
これでも映画会をやったり、カフェをやったりしているところをみると、
わざと、廃墟っぽく見せている節もある
でも、廃墟というのは、なぜか写真におさめたくなるものらしく、
つい、あれこれ撮ってしまった









2016年6月7日火曜日

ひさしぶりの「活元運動以前」

またまた30代女子がやってきた
今度はブラジルから
なぜか、やはりダンサーで御朱印女子で、室野井さんつながり
という共通項もある
さて、なんの稽古をするか

最近は、独法から人が流れてきたり、
白紙の状態でない人も増えてきていて、なかなか悩ましい
坐法臥法を習いたいといってきたとしても、
坐法臥法は、これまで作り上げられてきた内観的身体技法の一部でもあるから、
だだ坐法臥法やれば済むということにはならない

ショック療法という手もあるのだが、
できるだけ混乱をきたさないよう、かつ妥協しないで
坐法臥法を習得してもらおうとすると、使用する言葉にも配慮がいる
基本、親切な私

さて、今回のブラジル女子
ブラジルの田中さんのところで稽古し、
日本に来てからは、元整コンの方ところで「整体法」を学んでいると仰る
悩ましさ2乗
本人もすでに混乱している様子
しかも、お互い、拙い英語でコミュニケーションをとるしかない

とはいえ、活元運動はそれなりにやっているようなので、
その準備動作を題材にした「活元運動以前」の稽古をやることにした
カタに入って動けなくなった体をどう扱うか、という稽古
そういえば、この稽古、三年前、ブラジルに持って行ったものだ
「自発」という日本語も問題アリだけど、英語のspontaneousも扱いがむづかしい
さて、少しはわかってくれたかな、くらいの感触で稽古を終えた

30代女子を前にすると、父親モードのスイッチが入ってしまうらしい

2016年6月1日水曜日

和菓子は買ってきたその日に食べる
豆腐も、買ってきたその日か、少なくとも翌日には食べる
和菓子も豆腐も、時間とともに、味がどんどん変わってくる、落ちてくる

一日で庭の緑がうわーっと増える
昨日蕾だったものが、翌朝には花開いている
自然の営みがこんなに ダイナミックであったとは

こんな当たり前のことに今頃になって気づく、あるいは思い出す
味覚が鈍っていたと思わないし、四季の移ろいに鈍かったとも思わない
ただ、そんな風に暮らしてなかったとは思う

紫陽花が咲きはじめた