2014年7月29日火曜日

7月の読書

老人ホームに音楽がひびく 野村誠・大沢久子 晶文社 2006
風の盆恋歌 高橋治 新潮文庫 1985
アトミック・ボックス* 池澤夏樹 毎日新聞社 2014
さあ今から未来についてはなそう* 瀬名秀明 技術評論社 2012
アップデートする仏教 藤田一照・山下良道 幻冬舎新書 2013
月山 森敦 河出書房新社 1974
年を冷やすフラクタル日除け* 酒井敏 成山堂書店 2013
木の教え* 塩野米松 草思社 2004
アイドルはどこから* 篠田正浩・若山滋 現代書館 2014
資本主義の終焉と歴史の危機 水野和夫 集英社新書 2014
 資本主義の「終わりの始まり」は1974年、この日本で始まった... なんというスリリングな出だし。
 ちょうど1974年について書こうとしていたタイミングでこの本を読んだことになる。
ヤマタイカ(1〜6) 星野之宣 潮出版社 1987-1991

小屋から家へ 中村好文 TOTO出版 2013
 6月末、21世紀美術館で「小屋においでよ!」展を観て以来、オレもこんな道に進んだ可能性もあったのに…などと妄想しー無論タラレバの話に過ぎないのだけれど、40年前、alternative technologyというジャンルに飛び込もうとしたことがあったーそれらしき書籍に目を通している。たしかに、その分野の面白さ愉しさは分かるし、ミニマルなライフスタイルに親和性は感じるのだけれど、なぜかワクワクしない。それが自分でも意外だった。皆さん良い人過ぎるからかしら?
非電化思考のすすめ* 藤村靖之 WAVE出版 2012
愉しい電力自給自足生活* 電力自給自足生活研究会/編著 2011
月3万円ビジネス* 藤村靖之 晶文社 2011

2014年7月26日土曜日

俳句の力

俳句が似合うようになってきた
最近の父を見ていると、そんな風に思う

週三日透析に通い
介護室で看護士・ヘルパーの保護監督下で暮らし
移動には車椅子
不自由を生きている

それでも病人になってないのは、
俳句の力としか言いようがない
自らの境遇を笑い飛ばす俳句の諧謔性

一番の愉しみは月例俳句会
ひと月かけて課題の句を五つ準備する
最近は、孫娘たちに付き添われて参加している
何十年前の体験が俳句として立ち上がってくることもあるらしい
言葉のちから

吾が脚の意外に太し半夏生(昧波)

さて、ぼくに整体が似合うようになるまで
あと何年かかることだろう

2014年7月22日火曜日

快挙

縄文カヌー目撃譚が詩になった




作者は大井町に稽古に来ているSさん
ぼくがひそかに「三人娘」と呼んでいる女性の一人
娘といっても、60代、70代、80代各一名
人生の大先輩を娘呼ばわりするのは失礼千万な話なのだが、
皆さんそれぞれに初々しい
Sさんは、その中の最高齢者
なのに、英語塾、詩の塾、さらにはご自身のライフワークもあって、
いつも忙しそう
参加している詩の会、7月のお題は「電車」だったとか
ぼくの山田縄文カヌー目撃談を聞いて、何かが閃いたそうな
それで出来上がったのが、この「快挙」という一編の詩
ご本人に許可を頂いたので掲載します

不在

操法を受けている途中、
年間の空白」
という言葉が浮かんできた
いや、空白というよりも「不在」だな

さて、
どの二年間なのだろう
不在だったのは僕だったのか
そもそも、どこに不在だったのだろう
何処に行ってたんだ

ただいま
戻ってきたよ

2014年7月12日土曜日

絵葉書

溜まりに溜まった絵葉書の束
旅先で買い込んだものもあれば、美術展で買い求めたものもある
おそらく頂いたものも混じっている
手許に置いておいても仕方ないので、
不義理している友人知人宛に暑中見舞い代わりに送ることにした

といって、昔、訪ねた先で買い求めた、
名所旧跡シリーズを送りつけるのは今更という気がする
美術館、美術展で買って来たものは、比較的使い勝手は良さそうだが、
それでも、ゴッホの自画像など、かなり人を選びそう
さて十枚組の「十牛図」はどうしよう?
深読みしすぎる人には送れない

絵葉書の使い途は、思っていたほど易しくはない

2014年7月10日木曜日

ラジオ

朝5時に目覚ましをセット
いつものことだが、アラームが鳴る前に目覚めてしまう
目覚しを解除
といって、布団から抜け出すのも大儀なので、ラジオのスイッチを入れる
アルゼンチンーオランダ戦はすでに始まっている
サッカーのラジオ中継を聴くには、相応の蓄積が要る
半醒半睡のまま聴いているうちに
延長戦を終えても決着はつかずPK戦へ
がばと起き出しラジオごと階下に移動
と思ったら、「ラジオ置いてって」と妻の声
なんだ、聴いてたんだ
台所に置いてあるもう一台のラジオを点けダイヤルを回す
ネットのストリーミング映像を観るという手もあるのだが、
タイムラグがあって、ラジオの臨場感に負けてしまう
なんと、オランダが二人外して、アルゼンチンが勝ち抜ける
決勝はドイツーアルゼンチン

テレビを観なくなって久しい
代わりにラジオの音声が流れていることが多い
都合3台あって、うち2台は手廻し発電機つきのものだ
ラジオ放送(殊にAM放送)というのは、いってみれば、
「枯れた」技術で出来上がっているメディアで、
受信機自体、ここ50年間、いやもっと長い間、進化していない
半世紀前、各家庭に鎮座していたマジックアイ(懐かしい)付の5球スーパーであっても、
いま流れている放送を受信することができる
真空管がトランジスタになり、さらにはICチップに替わっただけだ
ネットラジオというのもあって、
インターネットを通じて、ラジオ局につながることはできる
しかし、線として繋がっているようで、ラジオを聴いている気がしない
やはり、ラジオは「波」として伝わってくるものを直に受け止めるのがよい

2014年7月6日日曜日

四字熟語

筆動法の時間、たまに四字熟語辞典を活用する
辞典を後ろ手に、つまり自分の目に見えない状態で頁をめくる
次に、開いたところの左右どちらかの頁を選び、
あてずっぽに指先で一点を定める
そこに載っている四字熟語をその日の課題とする

書きたくないものに当たったらどうする?
しかたない、もう一度、同じ手順で選んでみる
ただし、もっと書きたくないものが出てきても、前には戻れないものとする
三回目までは可

この方式に辿り着くまで、何度か失敗を重ねている
一発勝負でやっていた頃、一人の若い女性が「傍若無人」を選んだことがある
思わず、「うーん、ピッタリ」と手を打ったのが良くなかった
その後、筆動法に来なくなってしまった

知らない熟語と出会うこともある
知っている熟語に知らなかった意味が隠されていることを発見することもある
腑に落ちても書きたくないものと出会うことだってある

今日最初に行き当たったのは「玩物喪志」
出典は書経
・人を玩(もてあそ)べば徳を喪(うしな)い、物を玩べば志を喪う
・珍奇な物に心を奪われて大切な志を失うこと

耳が痛い
でも書きたい言葉ではない
で、もう一度トライ
今度は、「後生大事」が出てくる
うーん、後生大事か...
しかし、「いつも心を込めて勤め励むこと」という意味もある
とのことなので、これに決める

それぞれぴったりのものを選んでいるように思える
少なくとも傍目には
必ずしも「現状」を示唆するものとは限らない
来るべき将来を示していそうなものもある

今日の作品?はこちらで
http://fudedoho.blogspot.jp/2014/07/fudedoho-on-201476.html

来月、8月3日(日)は七夕筆動法にします
その前日、8月2日(土)の船橋稽古会も筆動法やります【詳細

【 ↓ Iさん作の年々歳々】

2014年7月4日金曜日

ブラジル2013

ブラジルでワールドカップ開催中
でも、ほとんどテレビ観戦はしておらず、
ネットで流れてくるダイジェスト版を観るくらい
昨秋、ブラジルに行ったのがまるで幻のよう
滞在中何度か稽古会をやったことは、このブログでも報告したが、
その時の写真が思わぬところに残されているのを発見
ページを下の方にたどっていくと出てきます
カメラマンはRogério Ortiz氏
http://www.danca-acontecimento.art.br/?page_id=1031

ルーツ

父のところに週一のペースで通っている
昨年11月の喜寿のお祝いではしゃぎ過ぎてしまったのか、
昨年末から、転んだり、透析がはじまったり、検査入院したりと変動が続いてる

岡山人になれなかった大阪人
というのが、僕の父に対する理解だったのだが、
なぜ大阪生まれの父が岡山に住むことになったか
という肝腎なところをこれまでちゃんと訊いたことがなかった
最近になって、ようやく父との会話がそのあたりに近づいてきた

スナミというのはもともと岡山にルーツを持つのだが、
そのスナミの家に婿養子に入った長畑某という秀才(ほんとかな)が
警察官としてあちこち転勤しているうちに落ち着いた先が大阪だった
ということらしい
曽祖父が長畑姓というのも知らなかったぞ

僕の祖父にあたるハジメさんは、東京の大学を卒業後、大阪に戻る
難波チヨノさんという才媛(ほんとかな)をルーツに近い岡山から嫁に迎える
これで父が生まれる条件が揃ったわけだ

このままなら、父は大阪で順調に成長するはずだったのに、
チヨノさん(私の祖母ですね)の実家を継ぐはずだった弟が戦死してしまい、
老母だけが実家に取り残されてしまう事態になった
そこで、チヨノさんは、子ども連れで実家と大阪の間を行き来することになる

先日会った叔母たちが数年単位で岡山に住んだことがあると聞いたとき
ちょっと意外な気がした
一番長く岡山に住んだのが父で、
岡山との縁がもっとも濃くなってしまった

そのチヨノさんの実家と私の母の実家がご近所だった
これで私が世にでる条件がかなり整ってきたわけだ

歳取ると自分のルーツを知りたくなる傾向が多くの人の中に生まれるらしい
その例に漏れず、ということになるのだろうが、
一連の流れのどこに自分がいるのかを確かめたくなる
そんな気持ちが分かる歳になってしまった

2014年7月3日木曜日

備忘録

とりあえず、やらなきゃいけないこと、
やりたいことなどが、20件ばかり並んでいる
ipadに入っている備忘録アプリのはなし

誰それに電話する、何々を買う、といった直近のもの
稽古会の会場予約という月例のもの、
あるいは、「枇杷の木の枝払い」という進行形のもの、
更には、「xxへ行く」といった将来の希望

入力時期が古いものほど上に表示される
上から3番目にある「ニューヨークにKさんを訪ねる」など
三年以上、ずっとこの位置を占めている
ちなみに一番上にあるのは「白山に登る」
このアプリを使い始めて最初に入力したものだが、いまだ実現できてない

やるべきことが順調に片付いてゆき、
このリストが短くなってくると、なぜか「まずいな」と感じはじめる
やることなくなっちゃったら、この先どう生きていけばよいのか、
という危機意識が頭をもたげてくるらしい

あわてて、やるべきことを追加していくのだが、
泥縄的に付け加えた、「xxで食事する」なんていうのは、
あっという間に実現してしまう

だいたい20件というのが定常数らしい
ちなみに、一番最近付け加えたのが「FairLawnHotelに泊まる」というもの
「どこかに行きたい」という欲求が最後まで残るみたいだ