2014年12月31日水曜日

一区切り

父が逝って十日
お葬式からまだ一週間しかたっていない
1月中にこれまで暮らしていた居室を退去することになるので、
その打ち合せのため江戸川区へ

必要な物さえ持ち出せば、あとの始末は施設に一任できるとのこと
お見舞いにいただいた花はまだ元気なのに、居室に父の気配は見事なくらいない
ぼちぼちと荷物の整理をはじめることにした
俳句関係の書籍、謡のテキスト、それに着物類
それらをまとめただけで結構な量になる
狭い我が家に引き取ることになるのかと思うと、先が思いやられる

それでも、なんか一区切りつけられそう
帰途、年末の慌ただしい街の空気の中を歩きながら
安堵している自分がいた

新しい年を新しい気分で迎えられそうです

2014年12月30日火曜日

12月の読書

うーん、草臥れてる
体力ないと活字も追えないや
久しぶりに本屋の棚を眺めていて、
面白そうな本は目に入ってくるのだが、
その本自体の重量を家まで運ぶことを思うと手が出ないw
正月はゆっくり休んで、本を読む体力を取り戻そう

あこがれの家電時代* 清水慶一 河出書房新社 2007
キャパの十字架* 沢木耕太郎 文藝春秋 2013
魚はどこに消えた?* 片野歩 ウェッジ 2013
弾正の鷹* 山本兼一 祥伝社 2007

2014年12月27日土曜日

祝受賞!

技術研究員仲間の紺野さんが日経小説大賞を受賞されたとのニュース
選者も絶賛
おめでとうございます

2014年12月24日水曜日

Dad, it's your turn now - 3

余分なことをしなければ、
人は健やかに逝くことができる
というのが結論だ
しかし、寄ってたかって余計なお世話をする仕組みが出来上がっている

最後の引導を渡す役目が、今回も私に回ってきた
大阪から見舞いに訪ねてきてくれた姪っ子とその息子が帰ってから暫くすると
呼吸がつらそうになり表情に険が出てきた
目を開け、口を開けたまま喘ぎはじめた
これは過呼吸の感じではないか
吸入器を外すことにした
すると自分の静かな息にもどり、表情も穏やかになった
でも、ここからは私の予想より早かった
私と妹と娘の三人が見守るなか
右から左へかぶりを振りながら、両目と口をウームと閉じた
それが最後の息だった
あっけなかった

一年前の義姉の急逝にはじまった私の周りの大変動は、
ひとりひとりが亡くなっていったということではなく、
一連の大きな流れの中で起こった出来事であるとしか思えない
父のお別れ会を東京でやった12月の21日というのは、
義姉の一周忌の日であったし、
父の命日となる12月20日というのは、
妻が亡くなった9月20日からちょうど三ヶ月目の月命日で
しかも曜日も同じ土曜日で、葬儀も23日の祝日
なんだかもう笑うしかない

あ~あ、みんないなくなってしまった

2014年12月20日土曜日

Dad, it's your turn now - 2

続きを書く時間的余裕は充分あると思っていたのだが、別れの日は意外に早くやってきた。妹たち、可愛いがっていた姪とその息子、俳句仲間、施設の受付嬢...。会うべき人たちには一通り会い、12月19日、89歳の誕生日のその日、父は静かに息を引き取りました。

葛の葉の自由闊達うらやまじ  昧

2014年12月17日水曜日

Dad, it's your turn now - 1

11月上旬に大阪で妻の四十九日を終え、下旬には秋田で義姉の一周忌をやってきた。秋田から帰ってきた時には、もうクタクタで、娘にいたっては、三日間風邪で臥せってしまった。うらやましい。12月の声を聞いたところで、今度はオヤジの番。こうなるとヤケクソというか、意地というか、もう何でもいらっしゃいという感じ。少なくとも「お願いだから11月は避けてね」という私の念は通じたようなので、感謝はあっても文句をいう筋合いはない。

老人ホーム内に設けられている介護室という名の大部屋で過ごしているオヤジをどの段階で自分の居室に戻すか、そのタイミングを測っていた。介護室にいる限りヘルパーさんたちの目が届くから安心といえば安心。ただ、環境的にはガチャガチャと騒がしいし、面会に行っても、こちらがお客さんになってしまい、長居しづらい。最後家族で看取るとすると、自室に戻す必要がある。ただ、どのタイミングで自室に移行するかが問題。こちらの都合を勘案しすぎると判断が曇る。おまけに、食べられなくなってからは、点滴を受けたり鼻から酸素を入れている状態なのでその判断が余計に難しい。

医療関係者は死というものをどのように捉えているのだろうと、いつも疑問に思う。息が苦しいといえば酸素を与え、顔色が悪いといえば点滴を与える。痛みが出れば鎮痛剤。この足し算思考の先には何があるのですか、という問いには答えてくれない。どうも「健やかな死」というものは想定されていないようなのだ。基本、延命措置は不要ですと予め伝えてあるはずなのに、結構なし崩し的に、というかルーティンワーク的に自分たちの仕事をやってしまう。おまけに、医療を疑わない家族がいたりするとーまあオヤジ自身がそのように生きてきたからなあー僕にできることには自ずと限界がある。

12月の第2週、自室に戻すことにした。つまり泊まり込み態勢のはじまりである。

2014年12月12日金曜日

白山稽古会中止のお知らせ

この週末(12/13-14)予定されていた白山稽古会は中止となります
急な決定でご迷惑をおかけしますがご了承ください

2014年12月9日火曜日

MNP

OCNモバイルが音声simの提供を始めたので、長年使ってきたウィルコム/ワイモバイルからOCNにMNP転入することにした。単に愛着のある070の番号でiPhoneを使ってみたかったという以上の理由は見つからない。通信通話料のの節約になるかどうかは不明。申し込みから開通まで実質5日。不通期間は約1日であった。以下、時系列でその経緯をたどっておく。【12/1】OCNが音声サービス開始したことを知る/午後:イオシスにiphone5c docomoモデル発注【12/3】午前:ワイモバイルMNP予約番号取得/iPhone到着/午後:ocnモバイル音声sim申し込み/携帯電話替えますアナウンスメールを知人宛に送信【12/4】深夜:アマゾンにiphone用ケース発注【12/5】午前:iPhoneケース到着【12/6】午後:ワイモバイル不通となる【12/7】午後:OCNカスタマーズフロントにSIMカード配送状況を問い合わせるも不明との返事/ OCNマイページにMNP転入の番号も追加されているのを発見/夜:帰宅したら佐川急便からの不在配達票【12/8】午前:佐川急便で音声sim届く/通話可能になる/午後:出先のwifiを借りてOCNの構成プロファイルをDL+インストールすることでデータ通信も可能になる【12/9】iOSを8.1.1にアップグレード。テザリングも可能になる。

2014年12月3日水曜日

時間割

月刊全生の巻末に掲載されはじめた修養講座の時間割を眺めていると、身体教育研究所が始まった頃の時間割を思い出す。当時(1988〜)の稽古場というのは週4日集団稽古をやっていて、そこに10種類の稽古種目(動法、行気、脱力動法、活元運動、感応動法、相互行気、内観的愉気、気韻、筆動法、あとひとつ思い出せない)を順繰りに組み込んでいくというものだったから、時間割を組み立てていくのは、なかなか大変だった。修養講座で取り入れられた単位制というアイデアも稽古場でやろうとしていたものだが、開催場所の数が多かったのと、それに対応する人力不足で実現しなかった(言い訳w)。

修養講座に出ている人の話を聞くと、なかなか活気があるようで、担当者一人ひとりの解釈の違いが、整体というものの幅を広げているようだ。百花繚乱。勉強している人にとっては面白いだろうし、一方、担当している先生方には、すごい鍛錬の場になっているのではなかろうか。D先生の色に染まっていく速度がちょっと早過ぎるんじゃないのと思わないわけではないが...。

最近の私の稽古はすべて「カタと同調」という名称で済ませてしまっているけれど、稽古場でやってきたいろんな種類の稽古を集約していった結果、「カタと同調」にたどり着いたというだけで、必要に応じて、もとの細分化された稽古に立ち戻れるというのは、25年間稽古してきた賜物だろう。この集注と拡散を往き来する運動性というものを自分の中で如何に保つかが課題だな〜。

身体教育研究所の公式HPが出来る前、非公式サイトを運営していた。どこかに痕跡が残ってないか辿ってみたら、いまでも閲覧可能な状態にあるらしい。リンク切れの部分もあると思うがご参考までに。2001年バージョンのようです。http://dohokids.com//skk/skk.html

2014年12月2日火曜日

秋田に行くたびに
水が美味いと感じる
食事をする度に、お茶を飲む度に、
特に今回は福岡伸一の本を読んでいたせいもあるかもしれないが
体の中の水分が、入れ換わっていく感がある

横浜市の水道水は比較的美味しいとされている
そのような感想を抱くことは稀だが、
それでもペットボトルで売られている道志川の水は柔らかくて美味しい
ただ、道志川で取水された水が、どういう経路で、我家まで届けられているのだろう
いずれにしても、随分な距離を移動<させられて>きていることは確かだ

秋田の水が美味いのは、この移動距離の短さにも由来するのではないのかしら
水が本来持っている律動感が減衰しないうちに蛇口から出てきて、
それを口にすると美味いと感じる
そんなこともあるのではなかろうか
水も地産地消にはかなわないということか

いやー、水の美味しいところに住みたい

2014年11月30日日曜日

雪囲い

雪降る前の気分ってどんなの?
と義妹(年上ですが)に訊いてみたら、
雪降るまでは、いやだいやだと思うけど、
一旦降ってしまえば、諦めがつく、との答えが返ってきた

そうなんだろうな
この土地に暮らす限り
四季折々の行事が雪とともにある
何百年もの間、そのように暮らしてきた

雪囲いされた家をひと周りし、
雪掻きしていた日々を思い出しながら、
それからまだ一年経ってないことに驚く

無人の家を維持していくのは大変だ
水道管が破裂しないよう、水抜きをして元栓を閉じる
雪降ろしは誰かに頼むとしても
雪消しをしないことには家は雪で埋まる
人が暮らすことで、家はかろうじて保たれるのだ
来るたびに更地が増えていくのを残念がるのは、街人間の勝手な感傷
でも、もったいない

昨日、義姉の一周忌も済ませ、これでようやく一区切り
これから帰京するが、当地の天気予報には明後日あたりから雪マークが付いている
明日から12月

2014年11月28日金曜日

11月の読書

下のリストのうち、現在進行形のものが4冊
今月は腰を落ち着けて本と向かい合う状態に入れなかった

英国一家日本を食べる* マイケル・ブース 亜紀書房 2013
どうすれば「人」を創れるか 石黒浩 新潮文庫 2014
 せいめいのはなし 福岡伸一 新潮文庫 2014
シャバはつらいよ* 大野更紗 ポプラ社 2014
兵士は起つ* 杉山隆男 新潮社 2013
日本国憲法を生んだ密室の九日間* 鈴木昭典 角川ソフィア文庫 2014
クレージー・イン・ジャパン べてるの家のエスノグラフィ 中村かれん 医学書院 2014
日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか
 矢部宏治 講談社インターナショナル 2014
 311のとき、日本政府・東電の当事者能力のなさに、「この国は信託統治に置かれるべきだ」と思ったが、「そもそも日本政府に当事者能力はなかった」ということを解明したのがこの本である。

2014年11月21日金曜日

ADSL停止

10年以上使い続けてきたADSLを止めた
とうとう光にするの?
という話ではなくて、モバイル契約だけにした
200k+月4Gのプラン
つまり、200kbpsという低速度接続が基本で、
月4Gバイト分まで高速のLTE接続を使えるというもの

ADSLをやめて、いきなり後悔
1日0.5G使ってたら、一週間で4G使い切っちゃうじゃないか
自分が結構ネットのヘヴィーユーザーであったことに今更ながら気づく
それでも二週間経つと、200kbpsという低速度にも適応し
(電話回線+モデムの時代の接続速度32kbpsという時代を知っている世代なので…)
これだけでやっていけそうな感じである

ここ4、5年の間に、テレビ新聞なしの生活に移り、
情報源はネットとラジオだけという感じでやってきたが、
そのネット依存もほどほどにすべしと、あえてパイプを細くすることにした
mixiからは離脱、twitterはダイエット中、facebookもROM状態
というような具合だ

世の中と細くつながっていた方が、正気が保てる
そんな時代にさしかかっているようだ

秋田

年内にもう一度
訪ねておきたい場所がある
いや、行かなくてはならない土地
秋田である

昨年末義姉が亡くなった家
娘が毎朝雪掻きしながらひと冬護った家
退院明けの妻が夏前まで暮らした家
僕がせっせと10回通った家
住む人のいなくなってしまった妻の実家
のある秋田

そこをもう一度訪ね、
墓に参り、
お世話になったご近所に挨拶し、
家の中をもうひと片付けする
それなしに年を越せない
そんな気分

オレってこんなに義理堅かったっけ?
まるでカミさんが乗り移ったみたいじゃないか

来週、次のしごとが本格化する前に、11回目の秋田を目指す

2014年11月18日火曜日

湯呑

本部稽古場で、最近自分の窯を開いた近藤亮介さん作の湯呑みをゲット!
窯出しされた作品が持ち込まれたことは何度かあるらしいが、現物を手に取るのは初めて
湯呑みなのに、この重みと深さ、まるで抹茶茶碗みたいだ
はやく、抹茶茶碗を見てみたい

2014年11月17日月曜日

32℉

会うたびに「お疲れの出ませんように」
と、声を掛けてくださる方がいて、
そう草臥れているという実感もなかったので、
「お気遣い有難うございます」と儀礼的に応じていたのだが、
四十九日を終え、忌明けのお礼を届けたあたりから、
やっぱりオレ疲れてる?
と疲れを自覚するようになった

忌明けのお返しはどうしようかと考えたとき、
思いついたのは、地元に 4 、5年前にできたカフェ
たまに独りでカフェオレを飲みに寄ることもあったが、
カミさんの御伴で出かけるというのが専らだった
この店の紅茶は好きで、よく買ってきて、家でも淹れていた

若夫婦二人でやっているお店で、
相談に出かけて行ったら、「是非やらせて下さい」とのこと
結構な数をお願いすることになるので、
通常業務の妨げにならないか心配したが、
包装から配送の手配のところまで引き受けてくださることになった
だから、私がやったのは、送り状の宛名書きくらいで、あとはもう丸投げ

かなり負担だったんじゃないかと思う
基本、紅茶とコーヒーとクッキーの詰め合わせなのだが、
その組み合わせも、あれこれリクエストされるし、
あとから、クッキーだけの箱を作ってくれと言ってくるし、
結構我儘な依頼主だったかも

とまあ、お陰でひと仕事終えられました
32°Fというのが、お店の名前で、
摂氏零度ということになるのだが、
この店の名前の由来がなんなのか訊いたことなかったな
次行ったとき尋ねてみることにしよう

2014年11月13日木曜日

西光寺から宝慶寺へ

結婚式の記念写真に納まっている人の数27名
時は1987年5月、場所は京都亀岡の西光寺という小さな禅寺
27年後の今、その写真を見直すと、物故された方が9名
四半世紀たつと、三分の一の人が消えてゆくのだ

四十九日の法要を大阪で終え、その足で金沢へ
白山稽古会のあと金沢にもう一泊し、
翌日、福井県大野市の宝慶寺を目指すことにした
27年前、結婚式で導師を務めていただいた和尚が住職をされているお寺である
稽古会仲間が車を出してくれるというので、その言葉に甘えることにし、
他の稽古会仲間とその家族も加わることになり、
結局、車2台、総勢9名(うち子ども3名)の大所帯になってしまった


白山の麓にある白峰を抜け、勝山にある恐竜博物館にも立ち寄り、
宝慶寺にたどり着いたのは午後
すでに冬に備え、雪囲いが施されている
他出されていた和尚を待つ間、宝物館を案内され、道元禅師の肖像を拝み、
更に、この寺の開祖である寂円禅師が座禅されたという坐禅岩に案内していただく
絶景! 十年分の紅葉を観た心地である


お寺に戻り、お経を上げていただく
三年半ぶりに和尚と再会し、妻逝去の報告
亀岡西光寺に始まった長くも短かった旅が、
時代を一巡りして、福井宝慶寺にたどり着くことで完結した
そんな気分

お寺の皆さま、付き合ってくれた仲間に感謝



2014年11月4日火曜日

この秋の大井町筆動法
テーマは七夕、野分と続いたのでどうしようか
と思案の末、今月は「栗」を選択
さて、どんな俳句があるのかしらと探してみたら意外に少ない
柿の句は山ほどあるのにね
やはり、色彩的に地味だからかもしれない
一通り選んでみたものの、なにか物足りない
そうだ、良寛さんに栗を詠み込んだ歌はないかしらと
探してみたらありました

月よみの光を待ちてかへりませ 山路は栗のいがの落つれば(良寛)



2014年10月30日木曜日

10月の読書

ウェブ文明論* 池田純一 新潮選書 2013
月の輪書林それから* 高橋徹 晶文社 2005
古本屋月の輪書林* 高橋徹 晶文社 1998
風流らくご問答 立川志の輔・玄侑宗久 文春文庫 2008
おすもうさん 高橋秀実 草思社 2010
センセイの書斎* 内澤旬子 幻戯書房 2006
しんがり* 清武英利 講談社 2013
人生問題集* 春日武彦・穂村弘 角川書店 2009
個人情報ダダ漏れです!  岡嶋裕史 光文社新書 2013

2014年10月29日水曜日

雑感3

『動法研究』最新号の連語欄にあった、Y女史の「寄る辺なき身は、何処にでも行けるのだろうか」という自問に、オヤジの「空広し糸切れ凧の行きどころ」という句を思い出した。Y女史は憎ったらしいくらい上手にこの問いに応えているが、さてこの私は、「ソコ」に辿り着けるのだろうか。

2014年10月23日木曜日

雑感2

結婚三年たって子供が出来なかったら不妊治療を考えるのが一般的だという話を聞いて仰天した。いきなり不妊治療かよと思う。不妊治療となれば、まず最初に行われるのは原因の追求となり、夫婦どちらかが悪い、みたいな話になってしまうのは当然の成り行きで、結果、深く傷ついてしまう人がいる。僕らの間では「子供が出来ないのは夫婦仲が良すぎるからよ」という言い伝えが残っている。実に含蓄に富んだ言葉でであるし、実際、私など素直にそう思っている。いつから子供は授かるものでなくなってしまったのだろう。

雑感1

AppleとFacebook、女性従業員の卵子凍結費用を支援というニュースを見て、ああ、来るべき時代が来てしまった、という感慨を持つと同時に、これから先、ネットとどう付き合っていけばよいのか、深く考えさせられることになった。彼ら=米国のIT企業=がインターネットによって実現しようとしている世界において、生殖技術によって生命をコントロールしていくことは、「自明」のものとして、あらかじめ組み込まれているわけで、「インターネットを使ってるってことは、生殖技術も認めるんでしょ」という世界観(宗教観と呼んでもよい)に飲み込まれないためには、相応の理論武装が必要になる。(以前読んだ、『ウェブ×ソーシャル×アメリカ <全球時代>の構想力 』(池田純一著 講談社現代新書)には、ここらあたりの事情が書かれている)

2014年10月17日金曜日

金曜日

あの金曜日から四週間
遺影を囲むように供えられていた花たちが
日を追うごとに減っていき、
それに応じて日常の時間が流れ込みはじめる

それでも
遺品の整理などしていると
50年前、就職のため上京した娘に宛てた父親からの手紙なども出てきて
ーつまり、50年間大事にしまい込まれていたということなのだがー
ほんと僕は妻のことを何も知らなかったのだ
という思いが今頃になって募ってくる

ちょうどこのタイミングで
ドイツ稽古会の人たちからの寄書きが届いた
感謝

「出立記」再掲します
9月のところまで遡ってみてください

2014年10月13日月曜日

臥法

ロイ先生が亡くなって二ヶ月
本部道場ではじまった稽古会風なコマ割りが話題に上がる
整体協会の総監督がダン先生になったことで
整体指導室と稽古場の関係はこれから先どのようになっていくのか
確かに一組織二制度で活動してきたのに頭が同じになっちゃった、というのは妙である
このあたり皆さん気になるらしい

人が行き来することで風通しがよくなれば
それはそれで喜ばしいことだと思うが、
かといって、これまで別々に活動してきたものが慌てて一つになるとは考えにくいし
また、その必要もないだろう
十年先、二十年先の、次の世代のことは分からないけれど

稽古場でやっていることを極論すれば
接触以前に焦点を当てているところだろう
手を触れて、そこから何かがはじまるのではなく、
触れる前に何が行われるべきかの追求

整体指導者って坐るのが仕事なわけで、
坐法でなくても、それぞれ工夫をしてきているはず
鍵になるのは臥法だろう
たとえば操法を受けに来た人に臥法を求めるかどうか
これがあるかないかで、指導者と会員との関係性はまるで違ったものになる

臥法は稽古場にぜひとも取っておいてもらわねば
次、ダン先生に会った時にお願いしておこう

2014年10月5日日曜日

野分

ぽつぽつと馬の爪切る野分かな (一茶)

(c)sakamoto

2014年10月4日土曜日

句会

句会デビューしてきた
といっても、父の付き添い

孫たちが交互に付き合うことが多かったが、
9月は手が足らず、図らずも私に出番が回ってきた
私の妹も付き添ったことがあるから一家総出(笑)

いろんなものを諦めて諦めて
最後に残ったのが俳句だよね
ということは家族みんなに共有されているから
「おじいちゃん厳しい」といいながら孫たちも付き合ってくれている

さて句会
なかなかの集注感
三時間の会が終わったときには、結構ぐったり
予め父には、俳句持って来なさいよと念を押されていたから、
いくつか持参
人前に自分の句を晒すのはためらわれたが、
いったん自分の手を離れると客観的に見れてしまうのは面白い

介護真最中だったから、
その風景を言葉に落とし込もうとしていただけ

指通信たれと話すや夢十夜(和)

お題の月の句もひとつ用意したのだが、
あまりにもベタな句なのでここには載せず、
代わりに父の句を紹介しておく

月今宵兎は波の上走る (昧波)

会の最後、「10月の兼題は昧波さんに」、と振られて
即座に「新」で行きましょうと応じた父
この秋の季節に「新」?といぶかるも、
いざ、10月になってみれば、確かに「新」という語がふさわしい

9月17日のことである

2014年9月30日火曜日

9月の読書

人間の叡智* 佐藤優 文春新書 2012
風の陣 烈心篇* 高橋克彦 PHP研究所 2010
世迷いごと* マツコ・デラックス 双葉社 2010
大貧帳 内田百閒 六興出版 1981
日本<汽水>紀行* 畠山重篤 文藝春秋 2003
黒川温泉のドンー後藤哲也の再生の法則* 後藤哲也 朝日新聞社 2005
牡蠣礼賛* 畠山重篤 文春新書 2006

2014年9月7日日曜日

待宵

今日の大井町筆動法のテーマは月

  
待宵や女主に女客 (蕪村)

2014年8月30日土曜日

8月の読書

猛暑から一転、秋の天候となる
怒涛のようだった8月もようやくおしまい
しかし、昨年暮れくらいに始まった時代の歯車が大きく動いてる感じは、
暑さが鎮まったくらいでは止まりそうもない
一体、この流れは、どこに向かっているのだろう?

ヘタウマ文化論* 山藤章二 岩波新書 2013
電気は自給があたりまえ*  田中優/編著 合同出版 2013
資本主義という謎* 水野和夫・大澤真幸 NHK出版新書 2013
1Q84 book 1,2,3 村上春樹 新潮社 2009
建築家と小説家* 若山滋 彰国社 2013
一神教と国家 内田樹・中田考 集英社新書 2014
流星ひとつ* 沢木耕太郎 新潮社 2013
限界集落の真実* 山下祐介 ちくま新書 2012
地宝論* 田中優 こどもの未来社 2011

2014年8月27日水曜日

1974年4月 To Mexico

3月および4月前半のSanta Feパートは後回しにして、メキシコパートに入ることにします。サンタフェにはチカーノと呼ばれているメキシコ系の住民も多く住んでいる。歴史的にみれば、もともとメキシコだった土地なわけで、スペイン語を耳にする機会は多い。ここまで来たからには国境を越えてメキシコにも足を伸ばしたい。メキシコシティの南にあるCuernavacaという街にはFWCのセンターもある(はずだった)。というわけで、イースターで学校も休みに入るので、国境を目指すことにした。

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4月14日(日) サンタフェ発1030。BarbaraがワシントンD.C.に帰るLaurieをアルバカーキ空港まで送って行くというので、車に便乗させてもらう。アルバカーキからEl Pasoまでヒッチハイク。エルパソから国境(Rio Bravo)を徒歩で越えCiudad Juarezに入る。思った以上に英語が通じない、というか、いきなりスペイン語世界。2230発のバスでChuihuahuaを目指す。チワワ着午前3時。
4月15日(月) チワワ発0820の列車で鉄路(チワワ太平洋鉄道)太平洋を目指す。途中、カッパーキャニオン(銅渓谷)を通る。グランドキャニオンよりもでかいらしい。La Junta – Creel – (copper canyon) -Sufragio着2030。
(そうそう、このカッパーキャニオンのあたりが「走る種族」と呼ばれるタラウマラ族が住むエリアなのだ ⇒ Born to Run 。そもそもメキシコを目指した理由のひとつにカスタネダの影響がある。1973年の大学生の間ではカスタネダの本は必読の書であった。)

















4月16日(火) Sufragio発0300 –  Mazatlan 着0835
4月17日(水) Mazatlan, mexico 昨晩食べたエビがあたり食中毒。
4月18日(木) MazatlanからバスでCiudad Mexio(メキシコシティ)へ
4月19日(金)  メキシコシティ到着後、すぐにCuernavaca行きのバス停からクエルナバカへ
4月20日(土) Cuernavaca 終日、FWCラテンアメリカセンターを探すが見つけられず
4月21日(日) Cuernavaca ラテンアメリカンセンター探しは徒労に終わる。
 なんとグアテマラに移転していたのだ!
 (なんで自分は旅してるんだろう? というメモ書きがある。アホである。それはともかく、クエルナバカで覚えているのは鮮やかな緑。みずも滴るような樹木)
4月22日(月) Cuernavacaからメキシコシティに戻る
4月23日(火) メキシコシティ徘徊

















4月24日(水) メキシコシティからテオティワカン日帰り
















そして国立人類学博物館















4月25日(木) メキシコシティから汽車でエルパソに向かう
4月26日(金)
4月27日(土)エルパソに早朝到着。再びヒッチハイクを始め、夕刻SFCS到着
(旅は無意味だ!というメモ書きがある。やっぱりアホである。だって、このあともずっと同じこと繰り返すのだから...)



2014年8月25日月曜日

ピアノ搬出

ピアノが、わが家に来たのは15年前
娘も最初の5年くらいは熱心に弾いていたが
高校に入ってからあとは、
ピアノに向かう頻度はぐっと減り
忘れた頃に、ポロンポロンと鳴らすくらい

このまま退蔵させておくのは申し訳ない、と
もともとの持ち主に訊ねてみたら
係累に使ってくれそうな方がいらっしゃるという
渡りに船と、譲っていただいたピアノをお返しすることになった
今日、運送屋さんが来て、手際よく運び出していったのだが、
随分とあっけない
なんだか古巣に帰れるのをよろこんでるみたいだったな、あのピアノ

そういえば、このピアノについて書いたことがあるなと、
ファイルの奥をゴソゴソ探してみたらありました

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■ピアノの発表会で娘と「連弾」したことは、以前書いた。今年の春のことである。その時、つくづく思ったのは、ピアノと電子ピアノはまったく別物であること。あったりまえじゃないかと言われれば自分の無知を恥じるしかないが、弾いてみてはじめて実感した。よく、4年もの間、別物で我慢してくれていたものだ。そんなわけで、どうしてもピアノを買ってやらねばならぬ状態に陥った。しかし、ピアノは高価であるし、それ以上に狭い家に住む身分にあって、はっきりいって置き場所がない。つまり、板挟み状態。■そんなとき、人を介して、今は使われていないピアノを借り受ける話が舞い込んできた。Bealeという、ほとんど知られていないメーカー製の小型ピアノ。イギリス製ということだったが、どうやらオーストラリア製。1902年、初代オーストラリア首相のバートン卿によって創立され、第二次大戦中に会社自体がなくなったというところまでは、インターネットで調べることができた。もっともイギリスにも同じ名前の会社があった可能性がないわけではない。いずれにしても、作られてから半世紀以上たったピアノであることは間違いない。今の持ち主自身、30年は使っていたはずだ。■夏休みの終わり、娘と二人でどんなピアノか観にゆかせてもらったのだが、とにかく可愛いし音もいい。(ずいぶん広い部屋に置かれていたから、実物がわが家にくるとどう感じるか心配ではある)。少なくとも、標準とされる大きさのピアノよりは威圧感がなく、かろうじてわが家に納まりそうだ。新品のピアノにくらべれば、調律・整備はより頻繁に必要になりそうだが、使用料と思えば納得できる。ピアノの到着をこころまちにしている。【気刊あざみ野通信1999年9月】

2014年8月18日月曜日

ある日曜日

親に連れられて稽古場にやってきた高1女子
「高校生になったらもっと大人の感じになれると思ったのに」と宣う
そうか、高1女子はこんな風に自らの歳を感じ取るのかとなぜか嬉しくなる
「そうだよね、先生だって60になったらもう少し大人の感じになれると思っていたのに…」
とその子に聞こえないように相槌を打つ

父の住む高齢者施設の週二回だけ開く喫茶室
80歳、85歳、88歳の男たちがテーブルを囲んで珈琲を飲んでいる
その輪に加わり、しばし談笑
「12歳のとき疎開先で竹槍訓練をさせられて…」
それぞれが戦争体験者であり、高度成長JAPANの中で生きてきた人たち
それにしてもこの違和感のなさはなんなのだ?
と自分の立ち位置をふりかえる

ひょっとして、いやきっと、ヒトは成長も成熟もせず、
ただただその時代の空気を吸い吐きしながら生きているだけなのだ

2014年8月15日金曜日

1974年2月 Santa Fe

自分が使っていたノートとはいえ、解読に苦労している。ただ、言えるのは、人間は進歩しない、ということ。この間何やってたんだろう。体験は積んできたことは確かなのだけれど、40年前とそのまんま同じ自分が、いまここにいる。今回も時系列で出来事を並べていきます。空白部分は、後追いで埋めていく予定です。SFCSで撮った子どもたちの写真も並べてみます(日付と写真は対応していません)。この子たちも、もう40〜50代のおっさん、おばさんになってるんですね〜。写真を観ると名前が蘇ってくるのが不思議です。

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1月末に引いた風邪が長引き、なかなか仕事に戻れない
せっかく新しい試みをはじめようとしたのに、
それができないもどかしい日が続いている

2月1日(金) santa fe, u.s.a.
2月2日(土) santa fe, u.s.a.
2月3日(日) santa fe, u.s.a.
2月4日(月) santa fe, u.s.a.
2月5日(火) santa fe, u.s.a. the strawberry statement (いちご白書)を読みはじめる
2月6日(水) santa fe, u.s.a.
2月7日(木) santa fe, u.s.a. community meeting

























2月8日(金) santa fe, u.s.a.
2月9日(土) santa fe, u.s.a.
2月10日(日) santa fe, u.s.a.
2月11日(月) santa fe, u.s.a. 
2月12日(火) santa fe, u.s.a. 
2月13日(水) santa fe, u.s.a. 
2月14日(木) santa fe, u.s.a. 






2月15日(金) santa fe, u.s.a. 
2月16日(土) santa fe, u.s.a.  スチームバス 
2月17日(日) santa fe, u.s.a. 
2月18日(月) santa fe, u.s.a. 
2月19日(火) santa fe, u.s.a. 料理当番に組み入れられる チキンライスをつくる
2月20日(水) santa fe, u.s.a. 
2月21日(木) santa fe, u.s.a. 







2月22日(金) santa fe, u.s.a. アルバカーキにstate fairを見に行く 熱気球が大空に浮かぶ
2月23日(土) santa fe, u.s.a.
・Davidに連れられてblack canyonでクロスカントリースキー 初体験
・帰路立ち寄ったハレ・クリシュナ系の人たちがやっている自然食レストランに入ったら、そこで昨秋NYで一緒だったBill C がウエイターとして働いていた。 
2月24日(日) santa fe, u.s.a. 
2月25日(月) santa fe, u.s.a.  central cleaning house 
2月26日(火) santa fe u.s.a. 
2月27日(水) santa fe, u.s.a.  学生ボランティアはどんどん帰っていく 
2月28日(木) santa fe, u.s.a. Charlie Bentleyにインタビュー 







2014年8月10日日曜日

お疲れさまでした

秋田行の計画が流れてしまったので、
急遽、稽古を入れることにした
やるとすれば「活元運動以前」
あらましを決め大井町稽古場に貼り出した
それが先週日曜日、筆動法の稽古の前のことである
稽古を終え、参加者と駅前でお茶し、電車に乗ったところで携帯電話が鳴った
あれあれと思いながら、折り返しの電話を入れたのは電車を降りてから
ロイ先生の訃報だった

京都に住んでいる頃は阪神愉気法に通ったものだ
本部道場に通い始めたのは、年間初等講座が先だったか、
それとも活元運動研修会だったか
80年代のはじめ、整体の勉強を本格的に始めた頃のことで、
あれからもう30年経ってしまったのだ
「これが鎮心だよ」と掌を触れられ、
拇指が甲側に突き抜けてしまったような感覚に吃驚したのが
ロイ先生に触れられた最初の記憶かもしれない
このような吃驚した経験というのが、存外、勉強を続ける動力になったりする

活元運動をやり込んだ、と自信を持って言えるのは、
活元運動研修会にある期間ずっと出ていたからだし、
その後の、「脱活元運動」の期間を経たあとで、
「活元運動以前」なんて稽古をはじめてしまったのも、同様の理由からだ

一つしか違わないのに、
「おい、そこのボク」と呼ばれたときには、
「なに、この人?」と思ったものだが、
まったく30過ぎたばかりだったのに、えらく、ジジイだった
それともジジイぶってたのか
このように書き始めてしまうと、ぞろぞろといろんなことが甦ってくる
いまとなっては、お疲れさまでした、という言葉しか出てこない

さて、活元運動以前
当日は、台風の影響による豪雨で中止も考えた
意を決して、雨の隙間を縫うようにして大井町にたどり着いたがすでに、ずぶ濡れ
来るか来まいか迷っている人たちには、無理しないでと伝え、
さて誰か現れるかしらと待機
はたして若者二人プラスおじさん一名がやってきた
この稽古、ロイ先生にも結構面白がってもらえるんじゃないか
と思うのだが、どうだっただろう

2014年8月5日火曜日

茶碗が届いた!

Kさんから茶碗が届いた!
持ち運びできる小振りのものをとお願いしていたいたのだが、
ちょうどぴったりサイズ
色合いも赤の上に緑がかかった微妙なもの
80歳になっても陶芸家は進化を続けるらしい

これまで愛用していたKさん作の赤茶碗
去年、一緒に、ドイツ、フランス、ブラジルと渡り歩き、
最後はお世話になったおウチに預けて帰ってきた
いまでも、ブラジルで大事に使われているはず

長年使ってきたものだったので、
手ぶらで帰ってきたら、ちょっと寂しい
思わずKさんに電話して新作をお願いした
それが今年のはじめ
2代目として大切に使わせていただきます


1974年1月 Santa Fe

最近読んだ、『資本主義の終焉と歴史の危機』(水野和夫著 集英社新書)のなかに、「資本主義の終わりの始まりは1974年に(まさにこの日本で)始まった」という一節に行き当たった。「おお、時代的にも1974年は特異点だったのだ」と独り合点。さっそく稽古場でこの「1974年」を話題にしたら、その場に居た半数は、なんとまだこの世に生まれていなかった。1974年は、すでに歴史の一部なのです。

さて、1974年を私はサンタフェという米国ニューメキシコ州の田舎町で迎えた。サンタフェの部分については、すでに書いたものがあるので(⇒SFCS1974)、この部分に深入りするのは後回しにします。FWCに提出したレポートをスキャンしたものがあるので、(FWC journal 1974)興味のあるかたはリクエストしてください。ここでは、ひたすら時系列的に出来事を並べ、訪ねたところなどには、wiki等のリンクを貼っていくことにします。

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1974

1月1日(火)santa fe , u.s.a.
・今日が正月とはとても信じられない
・日本のお正月が恋しい
・電気なし、セントラルヒーティングなしの原始生活




















1月2日(水)santa fe, u.s.a.
・朝起きると雪が30センチ位積もっている



















1月3日(木)santa fe, u.s.a. サンタフェ銀行で口座を開く
1月4日(金)santa fe, u.s.a. 寒い! 今朝の気温マイナス16°F(-27°C)
1月5日(土) santa fe, u.s.a. 年が明けて一度もコーヒーを飲んでいない
1月6日(日) santa fe, u.s.a. DaytimeSavingtimeを使っているせいで、時間の感覚がわからない石油危機のため、この年、冬にもかかわらず「夏時間」が適用され、時計の針が一時間進められた
1月7日(月) santa fe, u.s.a. サンタフェコミュニティスクール新学期
1月8日(火) santa fe, u.s.a. 
・PIT-HOUSEで寝る 
・近々、ここに移ることになる 
・public welfare office foodstamp 申請



































【pit-house内部】


1月9日(水) santa fe, u.s.a. 大阪の叔父から手紙が届く
1月10日(木) santa fe, u.s.a.
1月11日(金) santa fe, u.s.a.
・子どもたちに理科を教えることにする。
institute of american arts museumを訪ねる



1月12日(土) santa fe, u.s.a.
1月13日(日) santa fe, u.s.a.
1月14日(月) santa fe, u.s.a.
・food coop 主催のパーティ参加
・public welfare office 面接
1月15日(火) santa fe, u.s.a. public welfare officeで面接 foodstampを4月まで貰えることになる
1月16日(水) santa fe, u.s.a.
・Davidの夕食準備補助 Eggplant Parmesan。美味い
villanueva state park へフィールドトリップ








1月17日(木) santa fe, u.s.a. community meeting
1月18日(金) santa fe, u.s.a.
1月19日(土) santa fe, u.s.a.
1月20日(日) santa fe, u.s.a.
1月21日(月) santa fe, u.s.a.
1月22日(火) santa fe, u.s.a.
1月23日(水) santa fe, u.s.a.
・実家から手紙が届く
nambe indian pueblo へフィールドトリップ



















1月24日(木) santa fe, u.s.a.
1月25日(金) santa fe, u.s.a.
1月26日(土) santa fe, u.s.a. ひどい風邪ひき 喉が痛い
1月27日(日) santa fe, u.s.a.
1月28日(月) santa fe, u.s.a. ようやく熱も下がってきた
1月29日(火) santa fe, u.s.a.
1月30日(水) santa fe, u.s.a.
1月31日(木) santa fe, u.s.a.

1974-1 why 1974?

I recently read a book called "The demise of capitalism and the crisis of history" written by Kazuo Mizuno, Japanese economic historian. It was very exciting book and I was fascinated  with the paragraph saying that "end of  capitalism begun in 1974".  Wow, I was just trying to write about the year 1974.

1974 was a special year for myself. I started the year in Santa Fe, New Mexico, and ended in Kerala, India. This is the only year I spent 365 days outside Japan. But I do not quite remember how I have spent the year, where I visited, whom I met, and so on. This is an attempt to gather my scattered memories by going through my notebooks. Remember, in 1974, we did not have internet and main means of communication were postal mail and telephone.

Where were you in 1974?

自分の日記、ノートの類いを読み返すなんてことは、ほとんどない
このままのかたちで残しておいてもゴミになるだけである
さてどうする?
古いノートをどんどんスキャン
その後、シュレッダーにかけてたのち、捨ててしまうことにした
手許に1970年から2013年までの電子化されたノートが残った

さて、1974年はどんな年であったのか?
ウィキペディアで1974年という項目を観ると、次のような事件が並んでいる
これらを一覧してもピンとこないが(なんせ、僕自身日本国内で起こったことはリアルタイムで経験していない)、前年1973年に勃発したオイルショックの余波が続き、トイレットペーパーが払底し、消費者物価が一年で23%上がった年として記憶されているはずだ
手元に残った電子化されたノートを手掛かりに
この 年の自分の足取りを再構築してみようと思う
インターネットはまだなく、郵便、電話が主たる通信手段だった時代の話である


2014年8月3日日曜日

七夕

8月2日が旧暦七月七日にあたるとのこと
ちょうど2日が船橋、翌3日が大井町での稽古の日なので
二日続きで七夕筆動法の会とした

さて古人はどんな句を残しているのだろう
季寄せなどを紐解いてみると、恋にまつわる句が多い
七夕が織姫、彦星の逢瀬の日であることを思えば当然なのだが、
自分自身の連想が、願いごと止まりで、
恋にたどりつかなかったことに軽いショックを受ける
















筆動法について書いたブログエントリーのにこんなのがありました
よくまとまっている(自画自賛ですが...)のでリンクを貼っておきます

2014年8月1日金曜日

1974年-序 why 1974?

自分の日記、ノートの類いを読み返すなんてことは、ほとんどない
このままのかたちで残しておいてもゴミになるだけである
さてどうする?
古いノートをどんどんスキャン
その後、シュレッダーにかけてたのち、捨ててしまうことにした
手許に1970年から2013年までの電子化されたノートが残った

1974年は私個人にとって特異な年であった
サンタフェという米国ニューメキシコの田舎町で新年を迎え、
その年の終わりには、インド・ケララの田舎にいた
一年丸ごと海外で過ごした年はこの1974年しかない
ただ、その一年をどのように過ごしたか、40年前のことゆえ記憶があやふやである

さて、1974年はどんな年であったのか?
ウィキペディアで1974年という項目を観ると、次のような事件が並んでいる
これらを一覧してもピンとこないが(なんせ、僕自身日本国内で起こったことはリアルタイムで経験していない)、前年1973年に勃発したオイルショックの余波が続き、トイレットペーパーが払底し、消費者物価が一年で23%上がった年として記憶されているはずだ
  • 2月4日 - パトリシア・ハースト誘拐事件
  • 3月10日 - ルバング島で小野田寛郎元少尉を発見
  • 4月20日 - 東京国立博物館でモナ・リザ展開催(6月10日まで)
  • 5月15日 - セブン-イレブン東京都江東区に第1号店を出店
  • 8月8日 - ウォーターゲート事件ニクソン米大統領辞任
  • 8月15日 - ソウルで朴大統領狙撃事件(文世光事件)
  • 9月13日 - 日本赤軍がオランダ・ハーグにあるフランス大使館を占拠(ハーグ事件)
  • 10月8日 - 佐藤栄作前首相にノーベル平和賞が贈られることが決定する
  • 10月14日 - 巨人の長嶋茂雄選手が後楽園球場の対中日ダブルヘッダーを最後に引退
  • 12月9日 - 金脈問題で田中角栄首相辞任。三木武夫内閣発足
手元に残った電子化されたノートを手掛かりに
この 年の自分の足取りを再構築してみようと思う
インターネットはまだなく、郵便、電話が主たる通信手段だった時代の話である


January 1974 - Santa Fe

1973年の夏、Friends World College(FWC)という小さな実験的大学に留学することになったは私は、渡米、9月から12月までの四ヶ月を、ニューヨーク、ロングアイランドにあるキャンパスで過ごしたのち、年も押し迫った12月28日、「体験学習」の地として選んだサンタフェに向かった。勿論、移動はバス。NYCからセントルイス、カンザス、デンバー経由でサンタフェ着に到着したのが大晦日。荒涼とした風景に戸惑い、その寒さに驚きながら(サンタフェが標高2300mの地にあることを失念していた)、サンタフェでの体験に心踊らせていた。

このSFCSについては、何度もこのブログで書いてきたし、FWCに提出したジャーナルと呼ばれていたレポート(pdf 8MB)もある。そういえば、昔、「教育の森」という雑誌に書かせてもらったこともある。


1974

1月1日(火)santa fe , u.s.a.
・hard to believe today is a new year holiday, I miss Japanese New Year.
・started rather primitive life. I have no electricity nor central heating system.

















1月2日(水)santa fe, u.s.a.
・30cm deep snow fall.


















1月3日(木)santa fe, u.s.a.
・open an account at the Bank of Santa Fe

1月4日(金)santa fe, u.s.a.
・Cold! minus16°F in the morning.

1月5日(土) santa fe, u.s.a.
・realise I have not had any coffee quite a while.

1月6日(日) santa fe, u.s.a.
・I have lost the sense of time because of DaytimeSavingtime applied this time of the year.

1月7日(月) santa fe, u.s.a.
・new term has begun at the SFCS

1月8日(火) santa fe, u.s.a.
・slept at the PIT-HOUSE
・applied foodstamp at public welfare office.


































【pit-house内部】


1月9日(水) santa fe, u.s.a.
・received a postcard from my uncle in Osaka.

1月10日(木) santa fe, u.s.a.

1月11日(金) santa fe, u.s.a.
・teach science to kids?
・visited institute of american arts museum



1月12日(土) santa fe, u.s.a.

1月13日(日) santa fe, u.s.a.

1月14日(月) santa fe, u.s.a.
・food coop benefit party
・ public welfare office foodstamp 面接

1月15日(火) santa fe, u.s.a.
・public welfare officeで面接
・foodstamp(月額42ドル分)を4月まで貰えることになる

1月16日(水) santa fe, u.s.a.
・Davidの夕食準備補助 Eggplant Parmesan。美味い
・field trip to villanueva state park





1月17日(木) santa fe, u.s.a.
community meeting


1月18日(金) santa fe, u.s.a.

1月19日(土) santa fe, u.s.a.

1月20日(日) santa fe, u.s.a.

1月21日(月) santa fe, u.s.a.

1月22日(火) santa fe, u.s.a.

1月23日(水) santa fe, u.s.a.
・field trip to nambe indian reservation




















1月24日(木) santa fe, u.s.a.

1月25日(金) santa fe, u.s.a.

1月26日(土) santa fe, u.s.a.

1月27日(日) santa fe, u.s.a.

1月28日(月) santa fe, u.s.a.

1月29日(火) santa fe, u.s.a.

1月30日(水) santa fe, u.s.a.

1月31日(木) santa fe, u.s.a.