2013年4月12日金曜日

カタ

結局40年前に引っ掛かっていたものを
ずうーっと引き摺って60の歳までやってきた、ということなのね
カタというものを鋳型として捉えれば、それはもう、そこから逃げ出すしかない
1950年代、60年代に育った若者がアメリカ文化にひかれていったのは当然
なんせ、日本にはない自由があるように見えてしまったのだから
「私はJ I S規格に適合すべく生産された工業製品である」と書きしるし、公教育を批判するところから、僕の卒論(1976年)は始まっているくらいだ
そして40年たった今、ようやくカタにたどり着いた、と言う訳だ
はっきり言って、「なにやってきたんだろオレ」、みたいな心境

それにしてもカタというのはすごい発明だ
不自由なものこそ自由であるという発見
カタに入らなければ、他者とも出会えない
カタに入ってはじめて人は外に向かって開かれていく
つまり、生きていくには「技」が要るのよ、というのが結論だったりする
その技の伝承を教育と呼ぶ

教育における「自発」「自主」なんてのは、一から定義し直す必要があるのでは
「それは、キミの自主性に任せるよ」って言葉は、責任放棄の言い訳に過ぎない
と言いながら、自分の子供に何度も使ってきた気もする
やはり、トホホだ
生きる技術って、カタの中でどれだけ自由に動けるかということだし、
創造性って、新しいカターつまり、新しい制約ーを発見する
という意味になる

若者よカラダを鍛えよー動法せよ
感覚を磨けー内観せよ
そんなこと言う資格がぼくにあるのか、そうとうにあやしいけれど、
反面教師の役目くらいはまだ残っているだろう