2012年8月29日水曜日

8月の読書

心臓に毛が生えている理由* 米原万里 角川学芸出版 2008
人間の叡智 佐藤優 文春新書 2012
現実入門* 穂村弘 光文社 2005
新リア王* 高村薫 新潮社 2005
失われた鮨をもとめて* 一志治夫 新潮社 2006
たった独りの引き揚げ隊 石村博子 角川文庫 2012
オオカミの護符* 小倉美惠子 新潮社 2011
家族の勝手でしょ* 岩村暢子 新潮社 2010
庄内パラディーゾ* 一志治夫 文藝春秋 2009
仏教教理問答* 宮崎哲弥 サンガ 2012
円朝の女* 松井今朝子 文藝春秋 2009
宮本武蔵* 魚住孝至 岩波新書 2008
日本のリアル 養老孟司 PHP新書 2012
ブラジルの流儀* 和田昌親 中公新書 2011
「言語技術」が日本のサッカーを変える* 田島幸三 光文社新書 2007
最後の冒険家* 石川直樹 集英社 2008

2012年8月28日火曜日

戸隠



石川で二日続けて白山稽古会をやり、
その足で新潟で開催された一泊二日の指導者研修会に向かう
晴哉先生が太平洋戦争時、会員の子供たちを連れて疎開していたという
妙高市にあるお寺が会場
30代の晴哉先生の書が残されていた
優しい筆遣いで、なにかに似ていると思ったらmame画伯の抽象画に通じていた

研修の後、そのまま帰ってくるのは勿体無いような気がするし、
少し涼しいところに行きたかったので戸隠神社に寄り道することにした
中社に泊まり(布団を掛けて寝た)、翌朝、奥社まで歩き、
そのまま鏡池に足を伸ばし、そしてまた中社に戻った
歩いたの距離は10キロほどなのだろうが、上り坂になると息が上がる
ちょっと体力が落ちているのかな

ここ十年くらい、どこかに出かけようとすると、山に向かってしまう
山に登ることに興味があるわけではない
でも、行ってみると修験の山であることに気づく
三徳山(投入堂)にはじまり、岩木山、出羽三山、早池峰、白山...
日本人の信仰心の源を遡っていくと山にたどり着く
水であり森であり、山なのだ

修験の山に行くと、そこが神仏習合の場所であったことがわかる
明治維新期、神道の国家神道化の過程で行われた廃仏毀釈によって、
神道と仏教の共存が壊され、これによって日本の信仰心も歪められていく
このあたり、松岡正剛が的確に評論している「千夜千冊」の一章をを発見
→ http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1185.html
ここに挙げられている書籍を手がかりに少し学んでみることにする

2012年8月20日月曜日

基礎

教えることに興味がなくなった
というか、少なくとも、もはや卸業者としてやってもつまらない
というふうに思うようになった
本部を上位に置いて、そこから下流に向かって何かを流していく役目
というものに興味がなくなった

ところが卸の役目というのをレゾンデートルにしてきたから、
それから外れたら実になにもできない
ということもわかった

稽古を進めていく上で、共有しておくべき最低限の技術、知識
というものはある
これはもう、学んでもらわないと話が先に進まない
でも、その最低限をどこに設定するかというと、
やはり最低限のところに留めていたほうがよい
というのが結論
痛し痒しの部分ではあるが、
でも卸業者の役目を捨ててしまえばなんのことはない

じゃあ、その最低限の技術、知識ってなんだ
というと、これがまたわからない
おそらく集注ということなになるし、
稽古でいうと合掌行気、坐法、臥法あたりになりそうだ

あらためて基礎と呼ばれている稽古と取り組んでみる
その後の新しい知見を盛り込める器を有するものこそが基礎である
ということがわかる
坐法1988と坐法2012は同型であるが内実は進化している

基礎を掘り下げる
自分の稽古はここから再スタート

2012年8月17日金曜日

夏野菜

お盆前の週、秋田(雄勝)に行って来た
義姉が一人暮らししているかみさんの実家
妹も近所に住んでいる
三人姉妹が雁首そろえて喋っているのをみると、
歳とっても(皆さん60代越え)かしましさは変わらない


(湯沢の七夕絵灯籠)


前回の東北行からすでに5年たっていることに驚く
5年前は、西馬音内盆踊り、出羽三山巡り、山寺研修と二週間の長丁場だった
筆動法でおくのほそ道を書いていた時期である

野菜が新鮮
トマトにパプリカにキュウリ
ほとんどご近所から回ってくるもので野菜は足りてしまう
とれたてトウモロコシを茹でたものがお昼に出てくると、
なんか半世紀前の夏休みに引き戻される

帰り道、肘折温泉に一泊
新庄から車で40分くらい
月山の懐に分けいって行く
宿の食事にも地元の野菜がぞろぞろ出て来る
通年営業というから、今度は雪の季節に来てみたい

面白い旅館で、廊下のところどころに本棚があって、
ジョブズ伝とか、東北学シリーズとか、亭主のこだわりが並んでいる
そのなかに『庄内パラディーゾ』という一冊を見つけた
奥山政行という料理人が庄内野菜と出会うお話

帰ってきてからちょっと夏バテ気味
スーパーの野菜売り場で買ってきた野菜を食っても元気が出ない
東北で食べた野菜のみずみずしさが必要だ

2012年8月14日火曜日

還暦

還暦到達
60代、はじけます

2012年8月5日日曜日

受けの美

オリンピックのサッカーが面白い
男女とも勝ち進んでいるしね

なでしこの真髄は粘り強い守り
耐えて守っている姿が実に美しい
似合っている
一方のブラジル
攻めてるときは美しいが
守る姿が美しくない
きっと嫌いなんだな
攻めるブラジル、守る日本
両者の特徴が遺憾なく発揮された好ゲーム

柔道って見ててつまらない
積極的に攻めないとすぐ注意とか受けてしまう
えっ、柔道ってそんな競技だったっけという印象
柔道って、本来、「受け」の武道じゃなかったのかしら
先に攻めるって、弱いものがやることじゃなかった
日本の柔道が金メダル取れなくて当然
だって、攻めるなんて美意識に反しているんだから
銅メダルで十分でしょう

2012年8月1日水曜日

オムレツ

「たまには朝御飯作って」
というリクエストに応えて、台所に立った
一家に主婦は二人いらないから、
このところ主夫業はサボリ気味だったのだ

メニューは簡単
トマトサラダ、オムレツ、トーストと紅茶
トマトはサイコロに切る
ドレッシングづくりはカミさんにまかせることにして、
オムレツにとりかかった
フライパンに卵を流し込んで火加減をみているうちに、
先日、ある人から受けた相談事をふと思い出した
そうか、料理に挑戦させればいいじゃないか

相談事というのは、その人自身のことではなく、
その元同僚から持ちかけられた、
「僕、動きがとろいんですけど、なんとかならないですかね」
という漠然としたもの
僕も、その人とは少しだけ付き合いがあって、
「同時並行処理が苦手な人」という印象が残っている
単純に「稽古しなさい」とは言えない距離なので、
アドバイスのしようがないなあと、聞き流していたのだ

料理って、ちゃんと段取りを踏んで複数の作業を並行してやんなきゃいけない
でないと、温かいトーストと紅茶とオムレツが同時にテーブルに並ばない
そいういう意味ではかなり修練のいる作業
加減とか塩梅とか極めてアナログな感覚的世界で、
オムレツなんて、追求していけば、とてつもなく深い世界

料理に挑戦しなさい
こんなアドバイスを伝えようかと思っている
でも、そのもとになる感覚的世界=身体という部分は手つかずのまま
隔靴掻痒感は残る