2012年5月30日水曜日

5月の読書

読書月間でした
藤沢周平を読んだりもして...
 
独立国家のつくりかた 坂口恭平 講談社現代新書 2012
「あなたの本はリトルモアという出版社からしか出版できない」とアドバイスした彼の友人はスゴいな
外国人力士はなぜ日本語がうまいのか* 宮崎里司 日本語学研究所 2001
こんな噺家は、もう出ませんな* 京須偕充 講談社 2011
パリの異邦人* 鹿島茂 中央公論社 2008
くさいものにフタをしない* 小泉武夫 筑摩書房 2005
江戸の女は俳諧師「奥の細道」を行く* 金森敦子 2008
人間の檻* 藤沢周平 講談社文庫 2002
オカルト 森達也 角川書店 2012
 森達也のウロウロぶりを好感する
犬儒派だもの* 呉智英 双葉文庫 2006
早春* 藤沢周平 文春文庫 2002
言葉を育てる 米原万里対談集* ちくま文庫 2008
 米原本は網羅していると思っていたが、読み残しがあった
毒婦 北原みのり 朝日新聞出版 2012
知の現場から* 原武史編 河出書房新社 2010
やっぱり昔ながらの家がいい* 辻垣正彦 晶文社2004
日本人の坐り方* 矢田部英正 集英社新書 2011
ぼくは猟師になった* 千末信也 リトルモア 2008
きみのためのバラ* 池澤夏樹 2007

2012年5月4日金曜日

受け身の参加感覚

1)昨日の稽古で体験した「受身の参加感覚」の発現というのは稽古場でやろうとしてきたことのひとつの到達点のように思える。

2)稽古場で育てようとしているものは、よき「演奏者」ではなく、よき「聴衆」なんだろうと思いながら20年間稽古を続けてきた。つまり、出来なかったことが出来るようになる技の追求よりも、出来なかったことがなぜか出来てしまうようになる技の追求と言い換えてもよい。

3)「技」といってしまうと個人の技になってしまうから、むしろ「稽古法」と呼ぶべきだろうし、実際そう称してきた理由もこれで納得できる。

4)よき聴衆となったとして、それは職業にはなりそうもない。職業として成り立てば面白いのだろうが、それは当面難しそう。しかし、これが教養として多くの人たちに共有されれば、おそろしく強靭な文化力となる。

5)かくして、これを職業にできるのは稽古法を編み出せる者ということになる。

6)なぜ古典なのか、という問いに対する答もここにある。古典は稽古法の宝庫である。

7)振りかえって我が身を見れば、「出来なかったことを出来るようにさせる」教師的役割に堕し、稽古法を編み出す努力が決定的に足りてない。還暦を前にしての壁は、このような壁でもあったのだ。