2012年1月13日金曜日

歩く

『脱出記』(S・ラウィッツ著 ソニー・マガジンズ 2005)にはたまげた。副題は「シベリアからインドまで歩いた男たち」。ポーランド軍兵士だった著者は、侵攻してきたロシア軍にスパイ容疑で捕らえられ、裁判によって、シベリア強制労働25年を言い渡される。貨物列車でイルクーツクまで移送され、次に、吹雪の中をーヶ月鎖につながれたまま強制収容所のある地点まで行軍させられる。収容所に着いたら着いたで、自分たちの宿舎を建てるところからはじめる。ロシアの非人間性よりも、その非効率なやり方、そしてそれが可能だったことに驚く。1941年の話である。そこから著者は7人組ーラトビア人、アメリカ人をも含む混成部隊ーで脱走を図る。酷寒のシベリアから灼熱のゴビ砂漠を経、最後にはヒマラヤも越えてインドにたどり着きイギリス軍に保護される。途中力尽きた仲間もいる。4月に歩きはじめ、インドにたどり着くのが翌年の4月。その歩行距離は6500キロ。まったく信じられない行軍である。自由の希求と生存への執念。そのひたむきさに心打たれる。

ずっと歩いてきた、ような気がする。旅のスタイルは基本歩き。バイク派でもなく、サイクリング派でもなく、ヒッチハイク派だった私。他力本願で路端につっ立っていても、乗せてくれる車がなければ、一歩でも目的地に近づこうと歩きはじめる。無論距離は稼げないが、こういう時間もけっこう長かったような。未知の街にたどり着いたら、また訳もなくほっつき歩く。二日も歩けば、その街の地理も大体把握できてくる。「で、それでどうなの?」と訊かれても、それ以上答えようがない。関釜フェリーでプサンにはじめて降り立ったとき、この大地はインドにも、ヨーロッパにもつながっているのかと感動したことがある。行こうと思えば、この足で行くことができる。無論、思っただけだけど。昔の日本人はよく歩いた。江戸時代、つまり17世紀〜19世紀の日本。あれくらい多くの人が歩いて旅した民族っていないんじゃないかしら。芭蕉も然り。「おくのほそ道」冒頭の「月日は百代の過客にして、行きかふ都市も又旅人也」の一節など、読んでいてウルウルしてきてしまう。ことに最近。